ルドルフ・アムシンク(Rudolf Amsinck)
1577年11月9日ー1636年12月1日
ドイツ人商人でハンブルク市議会議員であった。
スペイン領ネーデルラントから移住してきた織物商
ウィレム・アムシンク
の息子として生まれた。
1618年に父の死後、兄アーノルドと共に家業を継いだ。
織物取引に加え、海上保険業や銅線・真鍮線製造のための線材工場も経営に拡大し、利益の多い輸出事業へと発展した。
その後、約200年間アムシンク家が経営した。
父と同じく、ルドルフ・アムシンクは聖ペトリ教会の弁護士であり、1619年の
ハンブルク銀行
の設立時に最初の2名の「銀行員」の1人に選出された。
同年、市議会議員に選出され、長年にわたり様々な官職および軍職を歴任した。
同時期に勃発した三十年戦争の間、彼は当初「砲兵隊長」として要塞砲兵隊を指揮した。
ハンブルク要塞の築城時に建設された堡塁の一つは、彼の名にちなんで「ルドルフス」と命名された。
その後「大佐長」として聖ヤコビ教区の市民軍を指揮した。
1626年からは聖カタリーナ教区でも指揮を執った。
1623年には第一裁判長(プラエトル)、1625年には救貧院および刑務所の理事会の副議長を努めた。
1625年には市営工場長を努めた。
1628年には軍事評議会の副議長、そして1633年には「銀行長」(銀行代表団の長)を務めた。
1625年から1635年にかけて、アムシンクはオランダへの外交使節団を率いた。
1627年のリューベックにおけるハンザ議会への派遣に参加した。
そして1634年のデンマーク国王への謁見など、いくつかの外交使節団を率いた。
アムシンクは1601年から
イゼボー(イザベラ)・デ・ヘルトーゲ(1583年ー1662年)
と結婚した。
イゼボーは裕福なオランダ移民の家庭出身で、夫婦には14人の子供がいた。
1628年から一家はレーディングスマルクトの家に住み、アムシンクはクルスラックとビルヴェルダーにも農場を所有していた。
1624年、彼と弟のアーノルドは当時ストランド島であった場所に広大な土地を獲得した。
ただ、これらの多くは1634年のブルハルディ洪水で失われた。
なお、ハンブルガー ハリーグ (ハンブルク ハリーグ) という名前だけが、かつての「アムシンク コーグ (アムシンク ポルダー)」の所有者を思い起こさせる。

