当ブログ内の情報はあくまでも参考情報です。投資にあたっての判断は投資する人の自己責任でお願いします。
当ブログでは、一切の責任を負いませんでご了承下さい。

マーケット出来事貴金属とレアメタル宝石と宝飾品貴金属の取引方法貴金属取扱会社

2012年09月25日

ジラール・ペルゴ(Girard-Perregaux 、GP)

ジラール・ペルゴ
   (Girard-Perregaux 、GP)
 スイスのラ・ショー=ド=フォンに本社を置き
   高級機械式時計を自社一貫生産
する高級時計ブランドメーカー(マニュファクチュール)の一つとして知られている。
 時計の組立師、時計師、金銀細工師として名をはせた
    ジャン・フランソワ・ボット
      Jean-François Bautte
         (1772年ー1837年11月30日)
が1791年に工房を開き、19歳で初の時計を製作したのがはじまり。
 主要な顧客としてビクトリア女王 、クレルモン・トネールの公爵夫人などがいた。
 ジャンの息子ジャック・ボット(Jacques Bautte)と娘婿ジャン・サミュエル・ロッセル(Jean Samuel Rossel )が1837年に後継者になった。

 ボットの工房で時計師として働いた
   コンスタン・ジラール(Constant Girard )
が1852年に弟と共同でスイスの北部ラ・ショードフォンでジラール社を設立した。
 その後、コンスタンはマリー・ペルゴ(Marie Perregaux )と1854年に結婚、 二人の姓を組み合わせた
   ジラール・ペルゴ社
が1856年に誕生した。

 創業者コンスタン・ジラールの義弟でマリー・ペルゴの実弟
   フランソワ・ペルゴ
は幕末の動乱のさなかである1861年に来日し横浜で商館を開き懐中時計の販売をした。
 日本に最初に正規輸入されたスイス時計はジラール・ペルゴとなった。

 1867年にはスリー・ゴールド ブリッジ付トゥールビヨンがパリ万博(第2回)で金賞を獲得、超薄型懐中時計を自社内一貫生産することで、瞬く間に名声を得るに至った。

 1880年以降 - ヴィルヘルム1世から注文を受けドイツ海軍将校用に腕時計を開発。
 1906年にはボットを買収・合併した。

 ドイツ人時計師
   オットー・グラエフ(Otto Graef )
が1928年にジラール・ペルゴを買収した。
 1930年には腕時計の売り上げが懐中時計の売り上げを上回った。


 1993年にフェラーリとブランド・ライセンス契約を結び
   カヴァッリーノ・ランパンテ
を刻印したスプリット・セコンド・クロノグラフを限定生産した。
 2012年にはオメガ、ブランパンなどの時計メーカーで活動した時計師
   ドミニク・ロワゾー
     (Dominique Loiseau)
を複雑時計製作チームに迎え入れた。



     

 1969年にはセイコーと同時期に時計用クォーツの開発に成功した。
 翌年にはスイス初の量産にまで至ったものの消費が伸びず、世界初はセイコーに譲った。
 ただ、ジラール・ペルゴの開発陣が定めたクォーツ周波数32768Hzは現在世界規格となっている。

 日本製クォーツの爆発的な販売拡大に押され経営危機に陥った。

 イタリアにおいて
   ブライトリングブーム
を作り出した時計販売会社の
   トラデマ
の社長
   ルイジ・マカルーソ
     (元フィアットのレーサー)
がデザインした時計ジョルジオ・アルマーニが愛用したことで有名になりが大ヒットした。

 2年後マカルーソはジラール・ペルゴ社長となり、イタリアの名門自動車メーカーの
   フェラーリ
とのブランドライセンス契約を締結した。

 ロゴ入りスプリット・セコンド・クロノグラフを販売し、2週間で完売するなど人気を博した。
 その後、アメリカズカップでBMWオラクル・レーシングチームの後援を行うなどの活躍もするようになり現在に至る。


     ↓ 参考になったらクリックお願いします。
  人気ブログランキングへ

    
posted by まねきねこ at 21:03| 愛知 ☁| Comment(0) | ファッション、ブランド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: