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2012年05月21日

ココ・シャネル(Coco Chanel)フランスの女性ファッションデザイナー

ココ・シャネル(Coco Chanel)
   1883年8月19日 - 1971年1月10日
 本名 ガブリエル・ボヌール・シャネル
        (Gabrielle Bonheur Chanel)
 フランスの女性ファッションデザイナー
 フランス南西部オーヴェルニュ地方ソミュールの救済病院で生まれ、12歳の誕生日を迎える前に母
   ジャンヌ
が病死してしまい、行商人であった父
   アルベール
には見捨てられて孤児院や修道院で育った。
 田舎町ムーランでお針子として18歳で孤児院を出た。
 その後、当時つきあいのあったフランス軍将校たちに連れられ
   グラン・カフェ
で歌手になりたいと夢見た。
 歌手を志して「ココ」は愛称でキャバレーで歌っていた
   「Ko Ko Ri Ko(コケコッコウ)」
と「Qui qu'a vu Coco dans le Trocadero(トロカデロでココを見たのはだれ)」という歌の題名にちなんでつけられたものといわれている。
 シャネルは歌手を目指しヴィシーでオーディションを受けたが落選し続け芸能界への道はあきらめた。
 この頃、織物会社の跡取りでもあった将校
   エチエンヌ・バルサン
に伴われてパリ郊外へ移り、友人達の社交場となった彼の牧場で過ごした。
 退屈しのぎで制作していた帽子のデザインがそこで認められ、バルサンの出資援助により、1909年、マルゼルブ大通り160番地で、帽子のアトリエを開業した。
 パリのカンボン通り21番地に「シャネル・モード」という名で1910年に帽子専門店を開店した。
 その後、バルサンと別れ同じ遊行仲間の中にいたイギリス人青年実業家
   アーサー・カペル
との交際を始めている。
 なお、カンボン通りの店の開設資金はカペルの助力によるものである。
 事業は順調に進みドーヴィルに1913年、二号店を開店している。
 翌年、第一次世界大戦が開戦、1915年、ビアリッツに
   「メゾン・ド・クチュール」
をオープンさせた。
 翌年コレクションを発表しジャージー素材を取り入れたドレスが話題となり大成功を収めている。
 第一次世界大戦が1918年に終戦し、1921年には、本店をカンボン通り31番地に拡張させた。
 前年に会った調香師
   エルネスト・ボー
によって生み出された、シャネル初の香水「No.5」、「No.22」を発表した。
 劇作家のジャン・コクトー、画家のパブロ・ピカソ、作曲家のイーゴリ・ストラヴィンスキーなどが集うサロンを主催するミシア・セールと出会い、ストラヴィンスキーやジャン・コクトー、ロシアのドミトリー・パヴロヴィチ大公などサロンの様々な人物と交際するようになった。
 同時期には画家・マリー・ローランサンに肖像画を描いてもらっている。
 この肖像画は現在、パリのオランジュリー美術館に展示されている。
 イギリスのウェストミンスター公爵と1924年に出会い、以降6年間に及び交際、その時贈り物として貰った宝石類から着想を得た、模造宝石を使ったジュエリーを発表している。
 同時期、後に「シャネル・スーツ」として発表されるスーツの原型もつくられた。
 シャネルは事業を拡大し1939年、当時4000人を抱える大企業として成長したが、コレクション前の苛烈な労働条件に、労働者側がストライキを敢行し、ココは一部店舗を残し全てのビジネスを閉鎖、一時引退している。
 第二次世界大戦中の1940年、フランス
が率いるドイツ軍に占領され、親独のヴィシー政権下となった。
 その際、シャネルはドイツの国家保安本部SD局長
   ヴァルター・シェレンベルク親衛隊少将
と愛人関係にあった。
 シャルル・ド・ゴール率いる自由フランス軍と連合国軍による1944年のフランス解放後に、
   「対独協力者」
としてルイ・ルノーの創業者が拷問の末死亡したようにレジスタンス闘士からのココ・シャネルがリンチの恐れもあった。
 そのため、シェレンベルクとともに戦後の数年間スイスのローザンヌに脱出し亡命生活を送った。
 1954年、スイスでの亡命生活を終えパリに戻ったココは、ヴァンドーム広場を望むホテル・リッツに住まいを構え、ファッション界へカムバックを果たしている。
 2011年8月には、シャネルがドイツ軍において1921年から1944年まで存在した
   諜報活動機関 アプヴェーア
の工作員であり、積極的に対独協力を行っていたことや反ユダヤ主義者であったとする書籍
   『敵と寝る―ココ・シャネルの秘密戦争』
が、パリ在住のアメリカ人ジャーナリスト、ハル・ボーンによって発表された。


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posted by まねきねこ at 00:00| 愛知 | Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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