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2024年02月07日

バンガードグループ(Vanguard Group, Inc.) iシェアーズに次ぐ世界第 2 位の上場投資信託(ETF) プロバイダーで2023 年 4 月の時点で約 7 兆 7,000 億ドルの運用資産を管理

バンガードグループ(Vanguard Group, Inc.)
 ペンシルベニア州マルバーンに本拠を置く米国の登録投資顧問
 2023 年 4 月の時点で約 7 兆 7,000 億ドルの運用資産を管理している。

 ミューチュアル ファンドであり、ブラックロックiシェアーズに次ぐ世界第 2 位の上場投資信託(ETF) プロバイダーである。
 投資信託や ETF に加えて、バンガードは仲介サービス、教育口座サービス、ファイナンシャル プランニング、資産管理、および信託サービスを提供している。

 バンガードが管理するいくつかの投資信託は、米国の投資信託の運用資産のトップにランクされている。

 バンガードは、ブラックロックおよびステート ストリートと並んで、米国企業において支配的な役割を果たしている
   ビッグ 3 インデックス ファンド マネージャー
の 1 つでもある。

 1951年、プリンストン大学での学部論文のために創業者となる
は、ほとんどのミューチュアルファンドは幅広い株式市場指数と比較してそれ以上のお金を稼いでいないことを発見した。
 資金の株式がベンチマークインデックスに勝ったとしても
   管理手数料
がベンチマークのリターン以下の投資家への利益を減らしていた。

 1951 年にプリンストン大学を卒業し、ボーグルは
に雇用された。
 1966年、ボストンに拠点を置くファンド管理グループとの合併したのち 1967 年に社長に就任し、1970 年に CEO に就任しました。
 ただ、この合併は不調に終わり解消、ボーグルは 1974 年に解雇された。

 その後、ボーグルはウェリントンで新しいファンド部門を立ち上げる活動をした。
 ナイル川の戦いにおけるホレイショ・ネルソンの旗艦、HMS ヴァンガードにちなんで、ヴァンガードと名付けた。

 ウェリントンの幹部らは当初この名称に抵抗した。
 しかし、ボーグル氏が
   バンガード・ファンド
がウェリントン・ファンドの隣にアルファベット順でリストされると言及した後、辛うじて承認した。

 ウェリントンの幹部は、同基金が助言や資金管理サービスに従事することを禁止した。
 ボーグルはこれを、 1957 年に設立されたS&P 500のパフォーマンスに連動した
   パッシブ ファンド
を開始する機会と捉えていた。
 こうした判断は、後にノーベル記念賞を受賞した経済学者のポール サミュエルソンにも影響を受けている。

 1976年、ウェリントンの取締役会の承認を得た後、ボーグルはファースト・インデックス・インベストメント・トラスト(現在はバンガード500インデックス・ファンドと呼ばれる)を設立した。
 最も初期のパッシブ投資インデックスファンドの 1 つである。

 1986年12月、バンガードは2つ目の投資信託であるトータル・ボンド・ファンドと呼ばれる債券インデックス・ファンドを立ち上げた。
 これは個人投資家向けに提供された初の債券インデックス・ファンドとなった。

 1987 年 12 月、バンガードは 3 番目のファンドであるバンガード エクステンデッド マーケット インデックス ファンドを立ち上げた。
 次の 5 年間で、小型株インデックス ファンド、国際株式インデックス ファンド、総合株式市場インデックス ファンドなど、他のファンドも設立された。
 1990 年代にはさらに多くのファンドが提供された。

 ボーグルのファンドがS&P 500指数のリターンを年間平均300ベーシスポイント上回った30年間のキャリアを経て、1995年にバンガードのウィンザー・ファンドのマネージャーを退任した。
 
 2021年3月、バンガードは70社以上の資産運用会社に加わり、ポートフォリオ内の企業が2060年までに
   ネットゼロ排出量
を達成することを目指した。
 これはパリ協定に匹敵する目標である。

 気候変動と先住民族の擁護者らはこの展開について楽観的だと感じていたが、バンガードは森林破壊、化石燃料採掘、環境悪化に携わる企業への投資もやめなければならないという問題を強調した。 

 ボーグル氏は、バンガード社の70歳の定年年齢に達した1999年に会長を退任し、ジョン・J・(「ジャック」)・ブレナン氏が後任となった。 

 なお、バンガード・グループは、新型コロナウイルス感染症のパンデミックを画策した陰謀の一部であるという陰謀論を含め、陰謀論の対象となっている。
 こうしたバンガード・グループの陰謀論の中には、アイルランド・カトリック教徒の血を引くバンガード・グループのCEO
   モーティマー・J・バックリー氏
がユダヤ人であり、新型コロナウイルスと「新型コロナウイルスのアジェンダ」の責任者であるユダヤ陰謀団の一員であると誤って主張する陰謀論など、反ユダヤ主義も組み込まれているものもある。  
   
    
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2024年02月06日

ソロモン・ブラザーズ(Salomon Brothers) 1910年にアメリカで設立された名門投資銀行

ソロモン・ブラザーズ(Salomon Brothers)
 1910年にアメリカで設立された名門投資銀行のこと。

 創立者のアーサー・ソロモンはジョン・モルガンとアポなしで会える一握りの人物であった。
 ソロモン・ブラザーズは1915年、アルゼンチンの短期国債1500万ドルの引受に参加した。

 第一次世界大戦のとき
   戦時国債(3rd Liberty Loan Act)
が連邦債を氾濫させたので、消化してくれる顧客をソロモン・ブラザーズが探して利益をあげた。

 1930年までにボストン、シカゴ、フィラデルフィア、ミネアポリス、そしてクリーブランドへ支店を設けた。

 ソロモン・ブラザーズは証券取引委員会創立後で初めての社債を発行した(Swift & Company)。
 第二次世界大戦の戦時国債は生保・年金が引受けたので証券会社の出番は少なかった。
   
 1977年にルイス・ラニエリ(Lewis Ranieri)がバンカメのモーゲージを証券化して民間MBSの発行を始め、最大手のプライマリ・ディーラーとして発行国債の独占的獲得を謀ってきた。 

 1991年に元トレーダーの
   ポール・モーザー(Paul Mozer)
が米国債の不正入札に手を染めたことが発覚、ソロモン・ブラザーズは信用を失って、レポ市場の独占が阻止され一般機関投資家に明け渡した。
 その際、ウォーレン・バフェットCEOに経営再建をゆだねることになった。
  

 ジャンク王も呼ばれ一世を風靡した
のドレクセル・バーナム・ランバートが内部者取引を摘発されて穴をあけたジャンク債市場で、ソロモンは10億ドルのポジションを占めた。

 1997年にトラベラーズグループにより買収され、トラベラーズとシティコープの合併に伴い1998年にスミス・バーニーと統合されシティグループの投資銀行部門であるソロモン・スミス・バーニー (Salomon Smith Barney) となった。
 
 ソロモン家は1907年恐慌以前から証券会社向けの金融仲介業を行っていた。
 ただ、営業日をめぐる親子の対立から息子たちが5000ドルの資本金を用意して独立し1910年に
   ソロモンブラザーズ
      (Salomon Brothers & Hutzler)
を設立した。

 設立当初のソロモンブラザーズも金融仲介を専業としたが、証券発行と公債・社債取引を営むウォール街スペシャリストの場末的存在であった。

 1951年、創業者次男のハーバートが死亡した。私募債専門家
   ルドルフ(Rudolf Smutny, 1897-1974)
がソロモン・ブラザーズの新たな指導者となり、1957-66年に10億ドル以上の私募債発行を手がけた。

 1969年にはデュポン・グロア・フォーガン(DuPont, Glore Forgan & Co.)に参加した。

 1962年キューバ危機で市場が麻痺していたとき、ソロモン・ブラザーズは
   AT&T社債2.18億ドルの発行
を引受けた。 

 1960年代、ニューヨーク証券取引所がオートメーション化してゆくとき、ボストン取引所などの会員権を得て、1969年の株価下落では(店頭ブロック取引によって)M&Aブームをもたらした。

 1980年代には、著名なトレーダー
ら率いる債券アービトラージ部門が莫大な利益をあげるなど右肩上がりの成長をつづけた。

 1981年フィブロ(Phibro Corporation)というエネルギーコンツェルンの傘下に入り
   フィブロ・ソロモン
に改称するとともにパートナーシップから株式会社に組織変更した。
 1986年には経営陣が実権を握りソロモン・インクに改称した。

 1987年9月末、マクアンドリューズ&フォーブスの
   ロナルド・パールマン(Ronald Owen Perelman)
がソロモン・ブラザーズを買収しようとしたが、ソロモン・ブラザーズは拒否した。

 ウォーレン・バフェットがソロモンの優先株7億ドルを購入した。
 これは資本金の12%に相当し、発行の3年後から普通株に転換可能となるものであった。

 1991年に元トレーダーの
   ポール・モーザー(Paul Mozer)
が米国債の不正入札に手を染めたことが発覚、ソロモン・ブラザーズは信用を失って、市場を一般機関投資家に明け渡した。

  
 1997年11月、バフェットの仲介でアメリカのトラベラーズ・グループ(Travelers Group)に買収された。
 トラベラーズ傘下の投資銀行であるスミス・バーニー(Smith Barney)と合併し
   ソロモン・スミス・バーニー(Salomon Smith Barney)
となった。
 その翌年トラベラーズ・グループがシティコープと合併してシティグループとなり、ソロモンもシティの傘下となった。

 最終的に2012年にスミス・バーニー
   モルガン・スタンレー
に売却し、「ソロモン・ブラザーズ」のブランドは事実上休止状態にある。

   
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バウポストグループ(Baupost Group)  米国の投資会社運用規模は世界20位の238.79億ドル(2023年6月) 

バウポストグループ(Baupost Group)
 バウポスト・グループは
と共同経営者の
   ジョーダン・バルーク
   アイザック・アウアーバック
によって1982年に設立されたヘッジファンドでプールヴ氏から基金の運営を手伝うよう依頼された
   セス・クラマン(Seth Klarman)氏
は、現在もその社長にある。
 運用資産は238.79億ドル(2023年6月)

 Baupost Group の投資哲学はロングオンリーでリスク管理を重視している。
 同社は世界最大のヘッジファンドの 1 つでバリュー投資マネージャー。
 ブルームバーグ LPによると、バウポストは創業以来の純利益で第 4 位にランクされている。
  
 バウポスト・グループは、投資に 1 ドルにつき 1 ドルのレバレッジを使用した不動産を除き、投資にレバレッジを使用していないと報告している。
 バウポストのCEO、セス・クラマン氏はMITの学生向けの講演で、
   感情に基づいた投資研究は危険
であり、間違った投資につながる可能性があると説明している。
 また、創業以来、同社は平均年間収益率 20% を生み出してきた。
 
 ソブリン債務危機によりヨーロッパでディストレスト債の売却が増加した。
 このため、バウポスト・グループは2011年にロンドンに初の国際事務所を開設している。
 ヨーロッパの商業用不動産市場、ディストレスト評価での社債取引、仕組み商品での投資機会を活用した。

 バンク・オブ・ニューヨーク・メロン対ウォルナット・プレイスLLC他を引用したロイターの記事によるとバウポスト・グループはウォルナット・プレイスと同様の投資形態と伝えた。

 同記事によると、バウポスト・グループは、伝統的なヘッジファンドのツールである経営破たんや経営不振による財務危機に陥り、行き詰っている企業に対する債権
   ディストレスト債券決済
の法的異議申し立てを利用して、バンク・オブ・アメリカに対し、カントリーワイドの
   サブプライム債
の補償金決済額を増やすよう要求したという。。
 和解金が増額されれば、バウポスト・グループは非常に低い価格で購入した債券で利益を上げることになる。
 バウポスト・グループがなぜ訴訟で実名を出さなかったのかは不明と続けた。

カナダ、オンタリオ州メランソンでの天然資源採掘
 2006年、バウポスト・グループはカナダ・ノバスコシア州に本拠を置く企業
   ハイランド・カンパニーズ
を設立し、オンタリオ州トロントの北約120キロメートルにあるメランソン・タウンシップで、農業目的と称して農地の購入を開始した。

 2011 年初頭までに 7,000 エーカー以上の土地を買い求め、その後、ハイランド カンパニーズによって積極的に農業が行われていた。
 同社では、確保した土地のうち2,316 エーカーについて
   アマベルドロマイト(苦土石灰)採石場
の開発申請を提出した。
 この申請には激しい反対が起きた。
 反対派は地下水汚染、地元遺産、食糧安全保障への懸念のほか、トラックの交通渋滞、高速道路の安全性、騒音や粉塵汚染などの多くの付随的な問題について懸念を表明した。
 2012 年 11 月、ハイランド カンパニーズはコミュニティの一致した反対に応えて申請を取り下げた。

 2007 年から 2008 年の金融危機の後、バウポスト グループは、同社の研究者が懸念していた政府介入の結果として
   貨幣価値の下落
に対応するため、ヘッジとして、国債が急落した場合に利益が得られる5年物国債のオプションを購入した。
 
 2004 年には社員42 名と報告書が提出され、そのうち 12 名が投資専門で、30 名が管理部門であった。
  
     
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2024年02月05日

BP(BP plc、旧The British Petroleum Company plc) イギリスの石油・ガス等のエネルギー関連事業を展開する多国籍企業

BP(BP plc、旧The British Petroleum Company plc)
 イギリス・ロンドンに本社を置き、石油・ガス等のエネルギー関連事業を展開する多国籍企業
 第二次世界大戦後から1970年代まで、世界の石油の生産をほぼ独占状態に置いた
   セブン・シスターズ(7社)
の内の一社である。
 BPは油田・ガス田の探査・採掘事業や精製事業、輸送・マーケティング、石油化学事業、電力事業、トレーディング事業など、石油・ガス関連事業の上流から下流まで垂直統合で一括で行っている。
 2018年12月31日時点で世界の約80か国において日量3,700万バレルの原油を生産。
 およそ200億バレルの埋蔵量を保有している。
 また、バイオ燃料や風力発電、スマートグリッド、太陽光発電などの再生可能エネルギー事業へも積極的に投資し、事業を拡大し続けている。
 毎年発表するBP統計 (BP Statistical Review of World Energy) は世界の石油と天然ガスに関する統計資料として広く利用されている。

 ロシア最大の国営石油会社
   ロスネフチ(Rosneft)
の株を2006年のIPO時に1.25%取得し、2013年に18.5%を追加して19.75%まで高めた。
 2022年のロシアによるウクライナ侵攻に抗議する形で同年2月27日に株式を売却した。
 このほか、ロシア国内での合弁事業も全て解消する意向を表明した。
 2020年のフォーチュン・グローバル500では総収益で世界8位にランクインしている。

 1901年にウィリアム・ノックス・ダーシー (William Knox D'Arcy) がペルシャ政府(イラン)から石油採掘権を取得した。
 1908年 5月26日、ダーシーがイラン南西部フーゼスターン州
   マスジェデ・ソレイマーン
の地下1,200フィート(366メートル)で石油を掘り当てる。
 
 1909年に ダーシーがアングロ・ペルシャン・オイル・カンパニー (APOC) を英国で設立して、イランの油田操業を開始。
 1915年 にはイギリス石油業界全体で、年間輸入量が4,700万ガロンと飛躍的に増加した。
 
 1932年には年間4,500万バレルを生産するようになった。
 ペルシャ政府は11月、APOCが権料(同社年間利益の16%)の支払いを怠ったとして
   石油事業協定の破棄
を発表した。
 イギリス政府は12月、ペルシャ湾に艦隊を差し向け、破棄を撤回しない場合は
   国際司法裁判所
に損害賠償請求を訴える旨を通告した。 
 一方で、ペルシャ政府は12月14日、問題はペルシャ政府とAPOCとの間の協定でありイギリス政府は無関係として撤回を拒絶し、イギリス政府の威嚇的行為を国際連盟に訴えた。
 
 1933年4月29日、ペルシャ政府とのあいだで新協定が締結された。
 1935年にAPOCをアングロイラニアン・オイル・カンパニーに改称した。
 1951年にイラン石油国有化法が施行された。
 1952年にはイギリス政府が、イラン石油国有化法は1933年の
   アングロ・ペルシャ石油会社
との新協定に違反しているとして、イラン政府を国際司法裁判所に訴えた。
 ICJは和解案を提案したが、イラン政府が応じなかった(The Anglo-Iranian Oil Co. case)。
 また、イギリス政府は安全保障理事会にも訴えたが、十分な票を獲得できず敗退した。
 
 1953年にイラン首相モハンマド・モサッデクが、アングロ・イラニアン石油会社が所有するイラン国内の権益の国有化を宣言し、アーバーダーン危機が発生した。
 アングロ・イラニアン石油会社は持ち株会社を経て分割された。
 1999年に米国の石油会社アモコ (Amoco) と合併し、英国本社社名がBPアモコ (BP Amoco plc.) となった。
 これにより世界第3位の石油企業グループとなる。
 
 2000年 4月にアトランティック・リッチフィールド(ARCO)を、7月にカストロールを買収して新しい統一ブランド「BP」を発表した。
 2001年には英国本社の名称をBP plc.(ビーピー・ピーエルシー)に変更した。
 2003年にはロシアと出資を折半でTNK-BP を設立し、世界金融危機のときに紛争の種となった。
 
 2010年にメキシコ湾原油流出事故が発生した。
 被害回復のため、200億ドルを拠出することで、オバマ大統領と合意している。
 2022年のロシアによるウクライナ侵攻に伴い、ロシア国内の事業から撤退した。
 同年1〜3月期の実質的な最終利益は62億ドル(約8000億円)だったが、ロシア石油大手
   ロスネフチ株(19.75%)
の価値をゼロにした場合の損失見積額は約255億ドルと4倍まで増加した。

 その後の10月17日、アメリカの再生可能天然ガス企業
   アーキア・エナジー(本社:テキサス州ヒューストン)
を買収すると発表した。
  
    
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2024年02月03日

バンク・オブ・アメリカ(Bank of America Corporation)

バンク・オブ・アメリカ(Bank of America Corporation)
 米国ノースカロライナ州のシャーロット市に本社を置く世界規模の銀行で、バンカメリカやバンカメの略称で呼ばれる。
 (英語の略称はBofA)

 1998年にネーションズバンク(NationsBank)が親会社のバンクアメリカ(BankAmerica)を吸収合併して設立。
 合併後の名称をバンク・オブ・アメリカ・コーポレーションとした。

 この際、バンク・オブ・アメリカNT&SAがその名称をバンク・オブ・アメリカ・エヌ・エイに変更した。
 これは当時、歴史上最大の銀行間取引であった。
 2つの巨大な会社の規模にも関わらず、規制当局ではニューメキシコの13支店の剥奪のみ主張しただけで合併を認めている。

 なお、合併のとき財務情報が新株主に正しく伝えておらず、2002年に
   和解金5億ドル
を支払うことになった。

 バンクアメリカは1904年に持株会社構造の先駆者として、多くの近代的な銀行業務の発明者として知られるイタリア系移民の
       (Amadeo Giannini)
が、バンク・オブ・イタリア(Bank of Italy)の商号で、労働者階級−特にサンフランシスコの北海岸に住むイタリア系移民のための銀行として、サンフランシスコに設立したもの。
 1906年のサンフランシスコ地震にも生き延び、翌日からは
   市街の再建ビジネス
に融資を提供する最初の銀行となった。

 1907年恐慌ではソキエタ・バンカリア・イタリアーナ(Società Bancaria Italiana)を救済するため、頭取の
   ボナルド(Bonaldo Stringher)氏
が米国債の利子を立替えて流動性を回復させた。

 1919年7月に連邦準備制度に加盟して競争相手の
   クロッカー(Crocker National Bank)
が小さく見えるほど支店網を広げ事業が拡大した。
 その後、連邦準備制度は会員銀行にそれ以上の支店設置を認めなかった。
 ただ、会員銀行は貿易特権があったため、本国イタリアでは1925年に
   JPモルガン
から10億ドルを借りるなど会員銀行は勢いづいた。

 1927年、カリフォルニア州の金融当局が態度を軟化させて支店拡大を認めた。
 翌1928年に二つ目の持株会社トランスアメリカ(Transamerica)を創業した。

 1929年、サンペドロが保有していたバンク・オブ・アメリカ・ロサンゼルスを買収した。
 さらに、二つ目の持株会社が
   ブレア商会(Blair & Company)
を吸収合併した。
 ブレア社長の
   エリシャ・ウォーカー(Elisha Walker)
は、ロスチャイルド系金融機関のクーン・ローブ商会のパートナーであった。

 1930年、二つの持株会社(National Trust と Saving Association)を統合させた。
 ジアニーニは引退して社長職をウォーカーに譲った。
 しかし、斜塔になったウォーカーがトランスアメリカを解散して清算しようとしていることを聞きつけて、ウォーカーを辞任させ1931年に再び社長に返り咲き、カリフォルニア州の株主を説得して主導権を回復した。
 ただ、1930年代後半まで続いた世界恐慌のダメージがジアニーニを連邦の金融政策から疎外し、連邦準備制度が1937年にトランスアメリカとバンクアメリカ(旧バンク・オブ・イタリア)を強制分離しようとした。
 なお、バンクアメリカは第二次世界大戦で著しい成長を遂げた。
 
 戦後、バンクアメリカは情報革命に努め、ジェネラル・エレクトリックやスタンフォード研究所(現・SRIインターナショナル)と提携し、業務の集中処理化、小切手の自動処理、口座番号、磁気インク文字認識(MICR)などを開発した。

 1954年クラーク・ベイズ(Clark Beise)が社長となり、1963年までオートメーション化を進め職責を果した。
 ベイズはウォルト・ディズニー・プロダクションとフルハーフ(日本フルハーフの親会社)で重役をつとめた。
 また、SRIインターナショナルで顧問をしたこともあった。

 1956年、米国では銀行持株会社法(Bank Holding Company Act)が制定されて、銀行業とそれ以外の兼業を禁じた。
 バンクアメリカは保険事業をトランスアメリカに譲渡したうえ、カリフォルニア州外の銀行業務を、新たに設立された
   ファースト・インターステート・バンコープ
          (1996年ウェルズ・ファーゴに吸収)
に譲渡せざるを得なくなった。

 1958年には、クレジットカード『バンカメリカード』が発明された。
 1960年ニューヨーク州にある
   チェースマンハッタン銀行
が、バンカメリカードと競争するため
   Master Charge(現在のMasterCard)
を発明した。

 1968年、バンクアメリカおよびその子会社を所有する目的で
   バンクアメリカ・コーポレーション
が設立され、1971年にトム・クラウセン(Alden W. Clausen)が社長となって1981年に世界銀行へ拡大していった。
 これは第三世界の対外債務がデフォルトするリスクに晒され、国際交渉に参加しようという目的があった。

 バンクアメリカは当時アグリビジネスに対する世界最大の貸し手となっていた。

 その後、サム・アルマコスト(Sam Armacost)が社長職を引き継いだ。
 1983年、バンクアメリカはシアトルの
   シーファスト・コーポレーション
と、その銀行業務の子会社であるシーシアトル・ファースト・ナショナル・バンクを買収し(Seafirst Bank)した。
 また、カリフォルニア以外に経営を広げることを許されたことから、同年、証券会社で金融持株会社の
   チャールズ・シュワブ(Charles Schwab Corporation)
を買収した。このブローカーは翌年ノーロードの
   ミューチュアル・ファンド
を設定した。
 当時は、ミルケンらが跋扈し、ジャンク債の隆盛期であった。

 しかし、ラテンアメリカなどがデフォルトしたため、バンクアメリカは1986-87年に巨大な損失を被った。
 クラウセンはチャールズ・シュワブとグループのイタリア子会社を売り払い窮状を回避した。
 
 1987年のブラックマンデーから1992年までの5年間バンク・アメリカは1株当たり8ドルで取り引きされていた。
 事業整理が進んで1990年ごろには収益を回復した。
 また、機関投資家を資本参加させるにつれて株価は大きく反発したことで、国内外の拡大路線に回帰して、ミラノ支店を開いた。

 1991年、ヒューストンの
   ヴィレッジ・グリーン・ナショナル・バンク
   GNA証券
を買収した。

 1992年、バンクアメリカはカリフォルニアでライバル社の
   セキュリティ・パシフィック・コープ
と、カリフォルニアにある子会社の
   セキュリティ・パシフィック・ナショナル・バンク
                (Security Pacific Bank)
を買収した。これにより、セキュリティ・パシフィックが1980年代後半に手に入れた広東銀行(Bank of Canton)も傘下に収めた。
 譲り受けた支店は、アリゾナ州、アイダホ州、オレゴン州やワシントン州にもあった。

 ただ、セキュリティ・パシフィックのワシントン子会社
   レイナー・バンク(Rainier Bancorp)
は、連邦当局が強制的に売却させた。
 それ以降、バリー・バンク・オブ・ネバダを獲得することで、ネバダ州にまで経営を拡大させている。

 1993年、中国人民銀行の認可を得て広州市の代理店をフルサービスの支店に変えた。
 1994年、バンクアメリカはシカゴの
   コンチネンタル・イリノイ銀行
を買収し、経営戦略を展開する店舗を設立するため、シカゴにその全国的な金融の部署を移動させた。

 1996年、ダヴィッド・コールター(David Coulter)が社長兼会長に就任した。
 バンクアメリカはノンバンクを自由化する、あるいはシャドー・バンキング・システムを拡張するグラム・リーチ・ブライリー法の規制緩和を求めた。
 連邦法は緩和する方向になり、バンクアメリカは1997年に中堅の証券会社
   ロバートソン・ステファン(Robertson Stephens)
を買収することができた。
 翌1998年、ネーションズバンクと合併した。
 なお、ネーションズの子会社
   モントゴメリー証券
    (Montgomery Securities)
は、買収していた傘下のロバートソン・ステファンと協働することができなかった。
 このため、1998年の間にバンクボストン(BankBoston)へ売られた。

 2001年、バンク・オブ・アメリカのCEOであり社長の
   ヒュー・マックコール(Hugh McColl)
が辞職し、ケネス・ルイス(Ken Lewis)を彼の後継者として指名した。
 2003年9月3日、ミューチュアル・ファンドを利用した不正競争の疑いで捜査が入った。

 2004年、連邦預金保険公社に国内預金市場占有率を5130億ドルと評価された。
 その後、マサチューセッツ州ボストン市を拠点とした
   フリートボストン(FleetBoston)
を470億ドルで買収している。

 2005年、バンクアメリカ副社長を1993年から務めていた
   ジェームズ・ハンス(James H. Hance, Jr.)
がカーライル・グループへ移籍した。
 また、同年、中国の建設銀行に9%資本参加した。

 世界金融危機では
   不良資産救済プログラム
     (Troubled Asset Relief Program)
の対象となり、優先株250万ドルを発行し倒産を免れている。
 ユーロ危機後にも収益が悪化、大規模な事業売却をくりかえしたる。

 バンカメ証券(Banc of America Securities)は大手金融機関
   シティグループ
の戦略に従って設立され、シティグループのようにユーロ債を取引している。
 なお、他のメガバンク同様、バンク・オブ・アメリカも十分に機関化されている。
日本における事務所は「バンク・オブ・アメリカ・エヌ・エイ東京支店」として 東京都中央区日本橋1-4-1 日本橋一丁目ビルディングにある。
  
 2007年、チャールズ・シュワブからUSトラスト(U.S. Trust)を買収した。
 さらに、ABNアムロ銀行からラサール銀行(LaSalle Bank)も買収している。
 2008年9月15日、アメリカ合衆国第3位の投資銀行
   メリルリンチ(総資産1兆0200億ドル。2007年12月現在)
を1株29ドル、総額500億ドルで買収することを発表し、翌年1月1日、メリルリンチをグループ傘下におさめ、米国最大の民間金融機関となった。
 
 2010年、自治体や学校・病院を詐欺した容疑で連邦政府から賠償訴訟を提起されている。
 2013年、中国建設銀行の株式を全て売却した。
 
 2014年、オハイオ州コロンバスを拠点とし、中西部などを主要事業エリアとするリージョナル金融持株会社
   ハンティントン・バークシャー(Huntington Bancshares)
へミシガン州の数十支店を売却した。
 
 2015年2月、世界金融危機の引き金となった
   サブプライムローンの不動産証券の不正販売
をめぐり、米国司法省と
   166億5千万ドルの支払い
で和解した。

   
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2024年02月02日

オークツリー キャピタル マネジメント (Oaktree Capital Management ) 世界的な資産管理会社でオルタナティブ投資戦略を専門

      (Oaktree Capital Management )

 米国の世界的な資産管理会社でオルタナティブ投資戦略を専門とする。
 2023年3月31日の時点で、運用資産は1,720 億ドルという。

 1980年代から投資会社のTCWグループの関係グループによって 1995 年に共同設立された。
 2012年4月12日、オークツリー キャピタル グループ LLC としてNYSE : OAKに上場された。

 1995年4月にハワード・マークス、ブルース・カーシュ、 ラリー・キール 、 リチャード・マッソン 、 シェルドン・ストーンにより共同設立された。
 
 カリフォルニア州 ロサンゼルスに本社拠点があり、世界 19都市(ロサンゼルス、ニューヨーク市、ロンドン、香港、スタンフォード、コネチカット、東京、ルクセンブルク、パリ、フランクフルト、シンガポール、ソウル、北京、アムステルダム、ドバイ、ヒューストン、ヘルシンキ、ダブリン、上海、シドニー)に支店等ある。
  
 1995 年の設立以来、オークツリーは
   世界最大の不良債権投資家
になった。

 オークツリー、1980 年代半ばに初めて TCW グループに加わった
   プリンシパルのグループ
によって1995 年に設立された。
 この設立から 3 か月以内に、「30 を超える TCW 顧客が 15 億ドルの資産を Oaktree に譲渡しました。」という。

 オークツリーは 1995 年以来、さまざまなサブアドバイザー関係を築いて運用資産を拡大させた。
 1996年、オークツリーはバンガード コンバーティブル証券ファンドのサブアドバイザーに選ばれた。

 1995 年以来、オークツリーは
   「ステップアウト」戦略
と呼ばれるものを策定し、通常は世界中で新しいオフィスを開設するのに合わせて行った。
 その戦略の成長は主にヨーロッパとアジア市場への拡大に焦点を当てた。

 1997年から 1999年にかけて、オークツリーは 3 つの新しい戦略を作成した。
 @1997 年には新興市場絶対リターン、A1999 年にはヨーロッパ ハイイールド債券、B1999 年にはパワー オポチュニティーズである。

 2001年、オークツリーは
   メザニン ファイナンス
を始めとして、2006年のアジア・プリンシパル・オポチュニティに続いて、欧州プリンシパル・インベストメント、欧州シニア・ローン、翌年2007年に米国シニア・ローンおよびバリュー・オポチュニティ、2010年にグローバル・ハイ・イールド債券、2011年新興市場株式、および2012年に不動産負債という具合に新しい「ステップアウト」戦略を導入し続けた。

 2005年、証券取引委員会はオークツリーに対し、公募価格が公開されてから法定の5営業日が経過する前にオークツリーが
   「証券を空売りした」
との判決を下したことを受け、罰金、利息の支払い、利益の剥奪を命じた。
 この措置からオークツリーは、将来の違反を防止するためのポリシーと手順を導入する必要が生じた。

 2008年、同社は史上最大のディストレスト・デット・ファンド
   オポチュニティー・ファンドVIIb
のために109億ドルを調達した。

 2009年、オークツリーは他の8人の経営者(ブラックロック、インベスコ、アライアンス・バーンスタインなど)とともに米国財務省によって政府の官民投資プログラム(PPIP)に参加する人物に選ばれている。

 オークツリーがPPIPプログラムに加わった当時、ニューヨーク・タイムズ紙は「ハワード・S・マークスは、破綻した国の銀行の立て直しをワシントンが期待しているような金融業者だ」と報じた。

 2018年12月31日時点で、オークツリーPPIPファンドLPの総収益率は28%であった。
 
 2009 年にオークツリーは、住宅ローン担保債券ポートフォリオを専門とするロサンゼルスに本拠を置く投資会社
   DoubleLine Capita
lの株式 20% を取得した。

 2010年、オークツリーはラッセル・グローバル・オポチュニスティック・クレジット・ファンドのアドバイザー3名のうちの1人に指名された。

 2011 年 6 月 26 日のワシントン・ポストでオークツリーの 17 の不良債権ファンド (レバレッジを利用していない) は、過去 22 年間、手数料控除後の年間平均利益 19% を記録したと報じた。

 オークツリーの顧客には、米国最大の年金制度 100 社のうち 67社、米国の州退職金制度 40社、400を超える企業やその年金基金、300を超える大学、慈善団体およびその他の寄付金および財団、および 15 の政府系ファンドが含まれている。

 ウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、オークツリーは「年金基金と寄付金の安定した保管庫として長い間考えられてきた」と伝えている。
 同社の不良債権ファンドは募集が過剰になることが多く、オークツリーは2010年には
   ファンド規模に自主的に課した制限
を理由に潜在的な投資家を断った。

 2011 年 6 月 26 日のワシントン・ポストでオークツリーの 17 の不良債権ファンド (レバレッジを利用していない) は、過去 22 年間、手数料控除後の年間平均利益 19% を記録したと報じた。

 オークツリーの顧客には、米国最大の年金制度 100 社のうち 67社、米国の州退職金制度 40社、400を超える企業やその年金基金、300を超える大学、慈善団体およびその他の寄付金および財団、および 15 の政府系ファンドが含まれている。
  
 ウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、オークツリーは「年金基金と寄付金の安定した保管庫として長い間考えられてきた」と伝えている。

 同社の不良債権ファンドは募集が過剰になることが多く、オークツリーは2010年には
   ファンド規模に自主的に課した制限
を理由に潜在的な投資家を断った。

 2011年にオークツリーが証券会社
   バンガード
のエマージング・マーケット・セレクト・ストック・ファンドを管理する4社のうちの1社に選ばれ、取引関係が拡大した。

 2011年にはクレディ・スイス(ラックス)Iファンドのマネージャーに選ばれた。

 2012 年 4 月 12 日、オークツリーは上場パートナーシップとなり、株式はNYSEに上場された。

 欧州債務危機によって生み出された投資機会を求めて、オークツリーは2011年11月に
   約30億ユーロの約束資本
で欧州プリンシパルファンドIIIを設立した。

 2017年、マサチューセッツ州ボストンを拠点とするアメリカの投資運用会社
   イートン・バンス
はオークツリーをサブアドバイザーとしてオークツリー・ダイバーシファイド・クレジット・ネクストシェアーズ上場投資信託を立ち上げた。

 2018年、オークツリーは非取引REITを立ち上げるための登録届出を提出した。
 その後、オークツリーはオークツリー・オポチュニティー・ファンドXおよびXb(「Opps XおよびXb」)のために120億ドルを調達した。



 2019年3月13日、カナダの同業
   ブルックフィールド・アセット・マネジメント
が、オークツリー・キャピタル・マネジメントの62%を約47億ドルで買収しあ。
 また、世界最大のオルタナティブ・マネー・マネージャーの1つを創設することに合意したと発表した。

 2019年9月30日、ブルックフィールド・アセット・マネジメントによる過半数株式の取得完了が発表された。

 オークツリーの現在の投資活動は、クレジット、プライベートエクイティ、実物資産、上場株式の 4 つの資産クラスに分かれている。

 オークツリーの共同会長であるハワード・マークスは、投資家への手紙で投資コミュニティでは知られている。

  
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2024年01月31日

オリエンタル・バンク  イギリス領インド帝国にあった植民地銀行


オリエンタル・バンク

 19世紀のイギリス領インド帝国にあった植民地銀行で香港における最初の銀行。
 同時に、その香港で初めて紙幣を発行した銀行であり、1893年恐慌で倒産するまで
   日本国債
の発行を積極的に引き受けていた。
 なお、明治期の文献では英国東洋銀行と書かれていた。

 ただ、1890年代の浅草に資本金20万円の東洋銀行という、名称を用いた別の金融機関が存在した。

 なお、英国東洋銀行は幕末から明治維新にかけて一般にオリエンタル・バンクと呼ばれている。

 オリエンタル・バンクは1842年、インド植民地のボンベイで設立され、当時は「バンク・オブ・ウェスタン・インディア」という名前であった。

 3年後に本社がロンドンへ移動の際、オリエンタル・バンク・コーポレーションに改称した。

 イギリス東インド会社に続いて
   アヘン貿易の特許状
を1851年に得たうえ、カルカッタ、コロンボ、それに南京条約で開港された香港をふくむ中国各地の都市と鎖国を止め開国直後の日本の横浜、モーリシャス、ケープタウンにまで支店を展開した。

 1860年代、オリエンタル・バンクの活動はインド・中国を軸にしスリランカのプランテーションへ資本を集中投下した。

 英領セイロン総督がはじまる前から、スリランカには資金の多くを奴隷貿易に頼って財を成したバークレイズの経営者
   デイビッド・バークレイ
がプランテーションをもっていた。
 オリエンタル・バンクがセイロンに来たときにはロスチャイドの
   マイアー・アムシェル・ロートシルト
の孫モーリス・ベネディクト・ド・ウォルムズの所有地になっていた。

 ウォルムズ家はロスチャイルド家の200家族の一つであり、モーリスが1867年に亡くなっても、農園の継承者はソロモンなどいくらでもいた。
 この頃からオリエンタル・バンクは投下資本の回収が滞り、貸し渋りをするようになった。

 1866年の恐慌は乗り切ったものの、会長の
   ハリー・ゴードン
が自己の勘定で内外手形を買い入れる割引商会
   オーバーレンド・ガーニー商会
の取締役兼任であったのを批判されて辞任した。

 1873年と1875年に不安定なチリ政府公債の発行に関与し1878年に9万ポンドの損失を計上した。

 1877年末には「諸支店での損失」補填のため準備金を17万5000ポンド取り崩した。
 翌年末、チリでの損失以外で、オーストラリアを含む諸地域の支店で発生した焦げ付きなどの損失補填に24万ポンド、銀価格下落に伴う損失補填に18万ポンドを充当している。

 切羽詰まって特許状の禁じる半額減資を1884年に断行した。
 これにより信用不安が広がり取り付け騒ぎが起きて、預金者をなだめるためリストラを強行した。

 各支店から株式を発行して増資し
   「ニュー・オリエンタル・バンク・コーポレーション」
として再出発した。
 ただ、セイロンで100万ポンド焦げつかせた過去に懲りず経営を拡大させた。

 1884年の前後でロスチャイルド家200家族のひとつ、ウォルムズ家のヘンリーが政界に頭角を現した。

 1888年、彼は国際砂糖会議の議長を務め初代ピアブリッジ男爵となった。
 それから1892年まで植民省副大臣の地位にあり、英領セイロンの仕組みを確認している。

 セイロンの政治体制はインドから完全に独立し、植民大臣の直轄とされていた。
 なお、総督は大臣から命を受けて任期6年を務めるにすぎず、植民大臣はボーア戦争が起きた南アフリカ情勢に釘付けとなっていた。
 そこで、副大臣のピアブリッジ男爵ヘンリー・ドゥ・ウォルムズが一族の利益でセイロンを支配し、オリエンタル・バンクは追い出された。

 オリエンタル・バンクは世界中に支店を開設していたが、それらを1890年にアルゼンチンの財政破綻がもとで生じたベアリング恐慌が直撃した。

 香港上海銀行やインド・オーストラリア・中国チャータード銀行に競り負けて1892年6月8日に清算された。

 日本との関係では明治政府が幕府から引き継いだ対外債務は600万両に達し、このうち150万両は下関戦争の賠償金であった。
 残り450万両がオリエンタル・バンクやオランダ商館からの借入金で賄い、利率は15から18.2%であった。

 1868年、駐日英国公使のハリー・パークスの紹介で訪れた大隈重信に50万ドルの貸付をオリエンタル・バンクが承諾した。
 この資金で政府は横須賀製鉄所を接収した。
 政府の軍事力は、江戸幕府との関係からフランスの抵当に入っていたものがイギリスのものに変わった。

 1869年、オリエンタル・バンクは明治政府と貨幣鋳造条約を締結した。
 造幣局の運営に関する基本契約で、この条約によりキンドルが局長となった。
 なお、この条約は1875年1月に失効したまま更新されなかった。

 その後、1870年、パークスの紹介で政府と接触した
   ホレーショ・ネルソン・レイ
が、政府から12%の利子をとり公債所持人に9%払うというレイ借款を公募した。
 隠密行動を買われての裁量であったが、独断による公募を行ったうえ、利ざやをとった。
 なお、日本政府はオリエンタル・バンクに仲介してもらい、レイとの契約を破棄した。

 もっとも、レイの行動は契約書の範囲であり、契約内容を理解していなかった政府の失態でしかない。

 1870年の7月、オリエンタル・バンクはパーキンス・ベーコン社へ取次ぎ、政府のために
   新洋銀券
を発行させている。
 それまでは横浜為替会社が発行していた旧洋銀券は粗悪であったためだ。

  
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2024年01月28日

アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド(ADM) 米国の穀物メジャー

   
アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド (Archer Daniels Midland)

 米国の穀物メジャーのひとつ。
 特に食用油の原料となる大豆や綿花、トウモロコシなどに強みを持つ。
 
 
 1902年に、ミネソタ州ミネアポリスで
   ジョージ・A・アーチャー(George A. Archer)
   ジョン・W・ダニエルズ(John W. Daniels)
が、亜麻仁(亜麻の種子)粉砕事業を開始してアーチャー・ダニエルズ・亜麻仁社」(Archer-Daniels Linseed Company)を創業した。

 1923年に「ミッドランド亜麻仁製品社」(Midland Linseed Products Company)を買収して
   「アーチャー・ダニエルズミッドランド社」(Archer Daniels Midland Company)
に社名を変えた。
 現在はイリノイ州中部のディケーターに本社を置いている。

 創業以来10年ごとに、ADMは、製粉、加工、専門の食品素材、ココア、栄養など、少なくとも1つ以上の主要収益源を追加していった。

 製品には、大豆油、綿実油、ヒマワリ油、キャノーラ油、ピーナッツ油、亜麻仁油、ジアシルグリセロール(DAG)油だけでなく、トウモロコシ胚芽、コーングルテン飼料ペレット、シロップ、でんぷん、グルコース、ブドウ糖、結晶ブドウ糖、高果糖コーンシロップ甘味料、ココアリカー、ココアパウダー、ココアバター、チョコレート、エタノール、小麦粉、等々が含まれる。最終用途は、人や家畜の消費用、および、バイオエタノールやバイオディーゼルなどの添加燃料まで広がっている。

 長い間、食品や食材の会社として知られていたが、近年は燃料生産に投資している。
 バイオエタノール生産のため、パーム油生産量1位のインドネシア共和国へも進出を決定した。

 2022年、非動物性の乳製品の開発と商品化に向けて、代替乳開発のスタートアップNew Cultureと戦略的パートナーシップを提携している。


   アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド (Archer Daniels Midland)  ホームページ

   
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カーギル( Cargill) 世界最大の穀物会社


カーギル( Cargill)

 米国ミネソタ州ミネアポリス市近傍のミネトンカに本社を置く世界最大の穀物会社。
 穀物のみならず精肉・製塩など食品全般及び金融商品や工業品に営業範囲を広げている。
 
 非上場企業として世界最大の売上高を誇り、株式の全てをカーギル家とマクミラン家の関係者が所有する同族企業である。
 秘密主義で、情報の公開を義務付けられる公開会社としおらず、20世紀に資産が6000倍に成長した。

 ミネアポリスにある本社は古風で古城のような外観の建物で、「シャトー」と俗称されている。
 建物内部は一大情報センターであり、全世界の穀物の生産と消費の情報を基に経営戦略が練られている。

 米国の中西部、穀倉地帯からメキシコ湾、五大湖、大西洋西岸にかけ
   穀物エレベーター
を駅ごとに所有しており、このシステムを背景に仕入れ価格を支配し、駅まで作物を運搬できない小規模農家を疎外してきた。
(米国著名な投資家ウォーレン・バフェット氏が2009年10月5日、米国売上高トップの鉄道会社
    バーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道(BNSF)
 を440億ドルで買収すると発表し、11月3日263億ドル(同時期の日本円にして2兆4000億円)で買収に成功した。)

 穀物メジャーは国際資本の投資先でもある石油メジャーと同様に政治と密接な関係を持つ。

 近年では海洋牧場など水産養殖業にも注力し、タイやベトナムなど東南アジアに研究開発拠点を設置、飼料メーカーなどを買収するなど支配体の確立する動きを活発化させている。

 日本では1956年にトレーダックス株式会社を設立、1997年には会社更生法を申請した中堅商社東食を傘下に収め、「カーギルジャパン」を子会社に持つ。
 
 創業者ウィリアム・ウォレス・カーギルが1865年にアイオワ州で小さな穀物商を始めたのが創業となる。
 その後、次々と穀物倉庫を所有して規模を拡大させ1906年にミネソタ州に進出した。
 
 娘婿のジョン・H・マクミランが1909年に社長に就任した。
 その後、カーギル社の株式は、カーギル家 (85%) とマクミラン家 (15%) で持ち合うことになる。
 
 1922年にはニューヨーク州へ販路を拡大させた。

 
 1970年代にはコンチネンタル・グレイン、ブンゲ、 ルイ・ドレフェス、アンドレ・ガーナック、とともに五大穀物メジャーを形成し、事実上世界の穀物取引を支配下においた。
 
 1990年代には穀物メジャーの再編が進み、1999年にコンチネンタル・グレインがカーギルに買収され、最終的にカーギルとアーチャー・ダニエルズ・ミッドランドの2社となっている。
 
 2000年の調べでは、従業員数48,000人、売り上げ476億ドル。世界第2位のADM社を2倍以上の売り上げと従業員数となった。
 
 2022年度の売上高は1,650億ドル、最後に報告された利益は2021年で、50億ドル弱だった。従業員は世界66か国155,000 人以上の従業員を擁している。
 米国の穀物輸出全体の25% を担っている。また、米国国内の食肉市場の約22%を供給している。
 他のどの企業よりも多くの製品をアルゼンチンから輸入しており、タイ最大の鶏肉生産者となっている。

 米国のマクドナルドレストランで使用されるすべての卵は、カーギルの工場から提供されており、ファーストフードおよび加工食品業界で使用されるアルバーガー プロセス ソルトを製造する米国で唯一の企業である。
 なお、カーギルは1865年の創業以来、一貫して非公開企業で、大部分は創業家が所有している。

 現在、創業者ウィリアム・カーギルの子孫ら100人余りが株式全体の90%を保有し、17人の取締役会に一族から6人が選出されている。
 残る10%は経営陣と従業員持株会が所有し、同家との合意により同社は年間純利益の最大80%を再投資に当て、残る利益を配当金として支払っている。

 2023 年 1 月、ブライアン サイクスが社長兼 CEO に任命された。


   
   カーギル( Cargill)  ホームページ

     
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2024年01月24日

今年の原油相場は減産とは異なる価格に流れ


 TDセキュリティーズの商品ストラテジスト
   ダニエル・ガリ氏
は顧客向けリポートで「レンジ取引はトレンドフォロワーを無力化する。狭い値幅はアルゴリズムを高値買いと安値売りに導き、価格がほとんど動かない原因になっている」と説明した。

 ただ、需給のバロメーターである原油先物のプロンプトスプレッド(当限月と来限月の価格差)は、紅海でのリスク上昇に押し上げられている。
 
 ブレント原油の期近物は期先物に44セントの上乗せで取引され、この幅は限月最終取引を除いて昨年11月以来の大きさに開いた。

 中東の紛争と石油輸出国機構(OPEC)による減産方針にもかかわらず、今年の原油相場は減産とは異なる価格に流れが起きており、方向性が不明瞭になっている。
 

 
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2024年01月11日

パシフィック・インベストメント・マネジメント(PIMCO)

       (Pacific Investment Management Company LLC)

 米国カリフォルニア州ニューポートビーチに本社を置く、世界規模の資産運用会社
 債券運用残高では世界最大級のアクティブ運用会社

 1971年に設立され、略称はピムコ(PIMCO)。
 現在は、ドイツの大手保険会社
   アリアンツ
の傘下企業のひとつ。

 最高経営責任者(CEO)はダグラス・M・ホッジ、社長はジェイ・ジェイコブズという陣容。
 グループ最高投資責任者(グループCIO)の
   ダニエル・アイバシン
が、ポートフォリオ・マネジメントおよび投資戦略を総合的に統括し、さらに、アンドリュー・ボールズ(グローバル債券担当)、マーク・キーセル(クレジット担当)、スコット・マザー(米国コア戦略担当)、マーク・サイドナー(非伝統的戦略担当)、ミヒル・ウォラー(リアル・リターンおよびアセットアロケーション担当)の5名の最高投資責任者(CIO)がいる。

 運用資産総額は、2015年6月末現在、約1.52兆ドル(約186兆円)。

 ニューポートビーチ、ニューヨーク、トロント、ロンドン、ミュンヘン、アムステルダム、チューリッヒ、ミラノ、リオデジャネイロ、東京、香港、シンガポールおよびシドニーに拠点を置く。

 2009年、PIMCOは金融危機後の世界経済について、成長率の長期的な低下を予測する
   「ニュー・ノーマル(新たな標準)」
という概念を提唱しており、最近では、長期的に政策金利は低水準で推移し、世界的な低成長が続く状態を
   「ニュー・ニュートラル(新たな中立)」
と称している。

 2015年12月、グローバル・アドバイザリー・ボードを設立した。
 このメンバーは、米連邦準備制度理事会(FRB)前議長の
   ベン・バーナンキ氏(アドバイザリー・ボード議長)
や英国元首相の
   ゴードン・ブラウン氏
欧州中央銀行元総裁の
   ジャンクロード・トリシェ氏
シンガポール政府投資公社(GIC)元グループ最高投資責任者
   ウン・コクソン氏
米国務省元政策企画局長の
   アンマリー・スローター博士
の5名で構成されている。

    
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2024年01月10日

レミーコアントロー(Rémy Cointreau S.A.) フランスの酒造メーカー

レミーコアントロー(Rémy Cointreau S.A.)

 フランス・パリに本拠を置き、ワイン、スピリッツ、リキュールなどのブランドを保有する酒造メーカーでユーロネクスト・パリ上場企業(Euronext: RCO )。

 1724年に設立された
   レミーマルタン コニャック
のメゾンにルーツを持つ
   レミーマルタン(Rémy Martin & Cie S.A.)
と、1849年にコアントロー兄弟により設立された
   コアントロー(Cointreau & Cie S.A.)
の2社が、シーグラム(現ペルノ・リカール)やモエ・ヘネシーなどとの競争に対応する必要から、1990年に合併して設立された。

 売上では南北アメリカが過半数を占め、アジア太平洋が3割前後、ヨーロッパでの売上は2割未満となっている。

 保有ブランド
  ・レミーマルタン - Rémy Martin
  ・ルイ13世 - LOUIS XIII
  ・コアントロー - Cointreau
  ・メタクサ - METAXA
  ・マウントゲイ - Mount Gay
  ・ブルックラディ - Bruichladdich
  ・ザ・ボタニスト - The Botanist
  ・パッソア - PASSOÃ
  ・ドメーヌ・デ・オート・グラッセ - Domaine des Hautes Glaces
  ・ウエストランド - Westland Distillery
  ・テルモン - Telmont
  ・ベルドゥブリレ - Belle de Brillet

    
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2024年01月02日

北朝鮮の金総書記、米韓と軍事対決なら徹底対応 軍指揮官に表明


 北朝鮮国営朝鮮中央通信(KCNA)が1日、金正恩朝鮮労働党総書記が31日、米国と韓国が
   軍事対決
を選択した場合、それを破壊するために
   最も強力な手段を動員する必要
があると述べたと報じた。
 金総書記は、党本部に
   朝鮮人民軍の主要指揮官
を招集し、2023年の成果を称賛したうえで、米国を含む
   敵対勢力の工作
により、朝鮮半島で武力衝突の危険性が急速に現実味を帯びており、自衛のため
   「宝刀を研ぐ」
必要があると指摘し、「敵が軍事対決を選択すれば、わが軍は一瞬のためらいもなく、最も強靭な手段と潜在能力を総動員して、敵を徹底的に全滅させる致命的な打撃を与えるべきだ」と続けた。

 また、金総書記は、党中央委員会拡大総会最終日の30日、2024年に偵察衛星を新たに3基打ち上げるほか、軍事用ドローン製造、核・ミサイル戦力の強化、潜水艦や電子戦能力増強などの方針を示していた。

 北朝鮮の報道のなか、韓国の尹錫悦大統領は1日、ミサイル防衛システムと米国の拡大抑止システムを完成させる作業を加速して「北朝鮮の核・ミサイルの脅威を根本的に抑止」すると表明した。

  
ひとこと

 軍の経験もない金正恩朝鮮労働党総書記が北朝鮮軍内部での力学を働かせ、求心力を高めようとしているのだろう。
 ただ、核兵器を開発しても使えない現実がある。
 もし使えば、初期段階の被害は発生するが、米韓の反撃が徹底されれば北朝鮮軍は24時間で基軸となる攻撃力は殲滅し、残るは韓国や日本に潜入している工作員や特殊部隊によるテロ攻撃のみだ。



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2023年12月11日

ロシアの道路に巨大な波「3階に届く高さ」 とは...

  
 地中海から東に移動後、黒海付近で猛烈な勢いとなった「169年ぶり」の規模となった
   冬の嵐「ベッティーナ」
が来襲したロシアの黒海沿岸では防波堤に荒波が当たり、打ち上げられた波の高さが3階にまで迫る強さで、黒海周辺では、竜巻も発生する可能性があるとして警戒が呼び掛けられている。

 ロシアが一方的に併合したクリミア半島でも荒波が次々と押し寄せて洪水も町のあちこちで発生した。
 プーチンが率いるロシアでは戦闘継続の平坦セスライジできず、物資不足は深刻な状況のため、こうした被災地域への支援が遅れていると見られる。

 ロシアメディアは気象当局の話として「今回の嵐は1854年、クリミア戦争の時に起きた巨大な嵐に匹敵する」と紹介した。

 なお、クリミア戦争では
   ナイチンゲール
が従軍し、消耗戦として投入された
   兵士の看護
をしたことで知られ、当時、発生した嵐で数多くの戦艦等の船等が沈没し補給ラインが維持できず
   兵站線
が影響を受けた。
 また、天気図の作成など、現在の天気予報が広まるきっかけになった。

 クリミア戦争は1853年から1856年の間、クリミア半島などを舞台として行われ
   フランス・オスマン帝国・イギリス
を中心とした同盟軍61.2万人およびサルデーニャ王国と
   ロシア帝国、イタリア王国
(89.4万)とが戦い、その戦闘地域はドナウ川周辺、クリミア半島、さらにはカムチャツカ半島にまでおよぶ大規模な戦争であった。

 21.7万の死傷率35.5%この戦争により敗北したロシアでは89万の将兵の被害が死傷者55万(損害率61.8%)という致命的な敗北となり、抜本的な内政改革を余儀なくされた。
 また、外交で手腕を発揮できなかったオーストリアも急速に国際的地位を失った。

 国を挙げてイタリア統一戦争への下地を整えたサルデーニャや、戦中に工業化を推進させたプロイセンがヨーロッパ社会に影響力を持つようになった。
 北欧では、英仏艦隊によるバルト海侵攻が行われた。

 この戦争によって、ナショナリズムが台頭しナポレオン戦争後に作られた
   ウィーン体制
が各国の利害関係を複雑化し揺らいでいる。
  
   
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2023年10月30日

汚職等で政治危機が迫ったままのネタニヤフ氏がハマスとの戦闘が「第2段階」と戦闘の拡大を主張したうえ、ガザへの無差別空爆を継続し時間稼ぎ


 イスラエルのネタニヤフ首相は28日夜、パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスとの戦闘が「第2段階」に入ったと表明したうえ、決着までに時間を要する地上侵攻については「長く難しい」ものになると警告した。

 イスラエル軍は29日、過去1日にガザでハマスに属する450を超える軍事目標を空爆したと発表した。これには作戦指揮所や監視ポストなどが含まれると、ソーシャルメディアのX(旧ツイッター)に投稿した。

 ガザでは29日にインターネットや電話の通信サービスが限定的に復旧した。
 地元の通信当局は関連インフラの約3分の1がイスラエルによって破壊されたと説明した。
 
 サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)などは事態のエスカレートを非難し続けているが、政治的な危機回避を目的にしたイスラエルのネタニア不正券の司法改革がはマスからの急襲で政治問題化する自体が停止し、権力を維持しイスラエル国民からの非難が戦闘終結までお預け状態になった。
 
 政治問題化の回避のため、大きな戦果が必要となっているネタニアフらにとっては、戦闘の拡大と終結までの時間の確保が必要であり、リスクを飲み込んだまま突き進んでおり、傲慢で強気な姿勢は崩せないため、双方の被害拡大など気にする思考はもともとないのだろう。

 ハマスなどを支援しているイランでは、イスラエルによる最近の動きで「皆が行動を起こさざるを得ないかもしれない」と詳細には踏み込まずに主張した。

 
   

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2023年10月26日

イスラエル軍によるガザ地区への民族浄化作戦ともいうべき無差別空爆を激化させていることに対する怒りが強まり大きくイスラエル支持の機運が後退


 ヨルダンのラニア王妃は、CNNのインタビューで「アラブ人として、パレスチナ人として、1人の人間、1人の母親として」どう感じたかと質問され、10月7日に起きたイスラム組織ハマスによるイスラエルへのハマスの奇襲攻撃に対する恐怖を表明しうえ、イスラエルによるガザ空爆と西側の「ダブルスタンダード」を痛烈に非難した。

 イスラエル南部で起きたこととガザで起きていることを重ね合わせ、「銃を突きつけて家族全員を殺すのはいけないことだが、砲撃して殺すのは構わないというのだろうか」と疑問をていした。

 強行右翼の支持を得たいネタニアフタの戦術を支援するイスラエル国内で大きな反発を招いたこのインタビューでは、イスラエルと他の中東諸国などがこの紛争をどうとらえているかで分断が深まっていることを浮き彫りにするものだ。

 イスラエルでは国民の64%が身の危険を感じているとの世論調査結果が新たに明らかになった。ハマスは連日イスラエルにロケットとミサイルを撃ち込んでおり、陸路や海路での侵入も試みている。
 治安当局者らは、10月7日に侵入した武装勢力の一部は、2度目の攻撃に備えて潜伏している恐れがあるとみてガザへ地区への無差別攻撃を称賛する状況だ。

 一方、イスラエル国外では、多くの人が異なる見方をしている。国連のグテレス事務総長は24日、「ハマスによる攻撃が理由もなく起きたわけではないことを認識することも重要だ」とし、パレスチナ人は「56年間にわたり息が詰まるような占領下に置かれてきた」と養護した。

 イスラエルのエルダン国連大使はその発言に激怒し、グテレス氏の辞任を要求した。
 こうした感情は何も同国政界の右派に限ったことではない。野党指導者ベニー・ガンツ氏はX(旧ツイッター)に「国連事務総長がテロを容認するとは暗黒の時代だ」と投稿した。

 ドイツは10月7日以来、イスラエル支持を早くから打ち出していた国の1つだが、国連事務総長の辞任を求める声は否定している。
 「国連事務総長はもちろんドイツ政府の信頼を得ている」と政府報道官がベルリンで語った。

 イスラエルは、甚大な被害を受けた10月7日の攻撃には背景があることを認めている。
 しかし、イスラエルにとって、その背景とはパレスチナ人に対する不当な扱いではないと議論のすり替えを工作し、ハマスによる攻撃は何世紀にもわたる反ユダヤ主義的な攻撃の延長線上にあるとイスラエルは考えていると主張している。

 エルサレムのホロコースト記念館ではグテレス氏の発言を受けて声明を発表した。
 10月7日の攻撃とホロコーストが違うのは「ユダヤ人が今は国家と軍隊を持っており、無防備で他人のなすがままになっている訳ではない」ことだと反撃を正当化したした上で、ここを訪れて「二度と繰り返さない」と誓う世界の指導者らの誠意が試されていると民族浄化を自らが行っている現状を摩り替えたうえ、傲慢な姿勢を示した。

 ユダヤ系国債資本の言うがまま資金をねだる姿勢が強いバイデン大統領ら西側指導者たちは媚びへつらう姿勢を隠し、相次いでテルアビブを訪れたうえ、イスラエルへの連帯と支持を表明した。

 各国指導者のテルアビブ参りを受け、イスラエル人は自分たちが理解されていると誤った感情をもったうえ、ネット上にはハマス自身が撮影した虐殺の動画を繰り返し出回っており、イスラエルは自分たちの
   ハマス壊滅計画
を使ったパレスチナ人に対する民族浄化が世界の共感を得られると信じてしまっているようだ。

 ただ、イスラエル軍のガザ空爆で数千人が死亡し、イスラエルが期待した世界の共感は反感に変わってきており、予期せぬ方向に向かっている。

 トルコのエルドアン大統領は25日、「ハマスはテロ組織ではなく、領土と市民を守るために戦う聖戦士の集団だ。子どもたちを殺すことは決して許されない」とアンカラでイスラエル軍の戦略を批判したうえ、年内に予定していたイスラエル訪問もキャンセルした。

 また、イスラム教を国教とするマレーシアのアンワル・イブラヒム首相は、ガザでの出来事が簡単に解決すると思っているイスラム指導者はいないと発言したうえ、「イスラエルは米国と欧州の支援を受けて、あまりにも傲慢になっている」とし、「人々が虐殺され、赤ん坊が殺され、病院が爆撃され、学校が破壊されるのを許すのは狂気の沙汰だ。この世界における野蛮の極みだ」と続けた。

 イスラエルではハマスを新たなイスラム国(ISIS)と呼び、米国と欧州連合(EU)がテロ組織に指定しているハマスを壊滅させると宣言し、虐殺行為を正当化させる目論見があるようだ。

 ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)のリナ・カティブ氏は「ハマスを新たなISISと呼ぶのは分析的に不正確であるだけでなく、ガザの全住民を無防備な標的にしてしまうリスクがある」と批判したうえ「アラブ人とイスラム教徒は、この単純で危険な描写を広く拒絶している」と述べた。

 イスラエルでは、レバノンの親イラン民兵組織ヒズボラが参戦してくることへの懸念が高まる中、米国や欧州に一時的に出ることを考える人もいる状況だ。
 
 欧米の各都市で傲慢安姿勢を貫くイスラエルの民族浄化の如き攻撃に対し、反イスラエルのデモが行われている状況を踏まえると、国内の方が安全だと考える人もいる。

 多くのイスラエル人は、これはユダヤ人の祖国のための戦いであり、第二の独立戦争だと主張しているが、最終的に国内で何を生み出すかは定かではない。
 当局者によれば、銃所持許可申請は3倍に増加する勢いとなっており、イスラエル自体の内部対立の激化で治安が悪化し、左右両勢力の戦闘も起きかねない環境を作り出し、ユダヤ王国の歴史でも見られた内部対立による崩壊により自滅する選択をしそうだ。


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2023年04月11日

クリーブランド地区連銀総裁はインフレ率を目標に戻すには、金利を「もう少し引き上げる必要がある」と?


 クリーブランド地区連銀の
   メスタ−総裁
は5日、ブルームバーグテレビジョンとのインタビューでインフレ率を目標に戻すには、政策金利は「もう少し」引き上げられ、その後しばらくその水準で維持されなくてはならないと述べた。

 また、 「われわれはもちろんインフレに重点を置き、いずれは確実に2%に落ち着かせたいと考えている」と話した。
 
 なお、5月2−3日に開かれる米連邦公開市場委員会(FOMC)について現時点で話すのは時期尚早だとも述べた。

 策金利は「今の水準からもう少し高いところへ引き上げる必要があるだろう」と指摘した。
 「そしてしばらくはその水準で維持し、インフレが2%に向かって持続的な低下軌道に乗るのを確認したい」と続けた。


 とはいえ、インフレ目標を達成するまで利上げを継続するということではないとも述べた。
 
 今年は物価圧力の抑制で「ある程度目に見える進展」を予想しており、年末までに重要物価指数が3.75%に下がるとみていると述べた。しかし目標水準に低下するのは2025年以降になるだろうと指摘した。

 メスタ−総裁は今年のFOMCで議決権を有していない。インフレの長期化を予想しているため、自身の金利見通しは予想中央値をわずかに上回るという。
 


  
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2023年01月23日

チャンスを活かしきれない日銀の無能さは末期的

 
 ニューエッジ・ウェルスのシニアポートフォリオマネジャー
   ベン・エモンズ氏
は「ここ数カ月において投資家の間ではインフレの問題は過去のものになったとの確信が広がっており、債券を買う動きが急激に強まっている」と指摘した。
 
 中国の経済活動再開がインフレをあおる場合、あるいはリセッションが現実化しない場合は問題となる可能性があると続けた。

 
ひとこと
 
 日銀や政府などが為替市場に介入し、保有している外貨や米国債券を市場で売り抜ける決断をすれば莫大な利益を確保できるとともに、介入する原資として発行した国債も精算できる。
 消費税引き上げの根拠でもある国債残高は半減できるものであり、円安や低金利を誘導したアベノミクスの成果の仕上げにもなる。
 
 しかし、黒田日銀総裁が固執する金融政策もインフレが加速し、国民生活への物価高の圧力や預貯金の目減りなどの害悪となっており、国債残高を場合によっては消し去るチャンスをみすみす逃しかねない状況だ。


 
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2023年01月21日

対中半導体輸出規制について「責任を持って取り扱い考えたい」と岸田首相?


 訪米中の岸田文雄首相は14日(日本時間15日)の記者会見で、半導体の対中輸出規制について問われ、「日本として責任を持って取り扱いを考えていきたい」と答えた。
 
 ただ、具体的な対応に関しては「今、確定的に言うことは控える」と述べ、対応できるかどうかは未知数だ。

 岸田首相は昨年12月に改定した
   国家安全保障戦略
で経済安全保障を明記し、重視することを明らかにしているとことばによる防衛論に終始してオリ具体性はないまま説明しただけだ。
 
 また、半導体は安全保障にも関わる重要物資だとしたものの、「同盟国、同志国と緊密に意思疎通を図りながら取り扱いを考えていかなければならない」と話したが、主導する能力は不明だ。
 
 政治家の質の低下はバブル以降の無能な政治家が増えたことで日本経済には致命傷で改善の動きは見られない。
 
 エネルギー安保から見れば3.5世代の原子炉にすべて入れ替えて、稼働費用の大幅低下を模索すべきであり、日本企業が保有する技術を与野党政治家やマスコミが殺してきた世論誘導がまかり通っている。


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2023年01月08日

米国分産複合体制への資金を流す仕組みでしかない防衛費増額や増税は腐った政治家の地位を保身させ懐を増やすだけだ


 国民のみならず、自民党内からも「バカヤロー」の声が噴出した
   防衛費増額
に伴う節操のない増税騒動は政権虹を目論む首相の浅い考えでしかない。


 国会の閉会後、政府が復興税の流用などの案を出した直後、高市早苗経済安保大臣が、“罷免を覚悟”で岸田文雄総理に食ってかかるなど(後に撤回)、自民党内でも蜂の巣をつついたような大騒ぎだが、水溜りに投げた小石でしかない。

 岸田政権は、2027年度までの防衛費を、これまでの27兆円から43兆円に大幅増額するよう指示したが、安倍政権による機体の耐久性に問題のあるF35を価値を無視して馬鹿高く購入するなど政権維持を目論む動きでしかない。

 また、増額のうち1兆円の財源を増税で賄う方針と主張し、法人税、所得税、たばこ税を増税する案が、昨年12月15日の自民党税制調査会で了承されているが、米軍に対して支払っている思いやり予算や基地使用料などを支払ってもらえれば増税など必要もない。

 円安誘導や低金利による商品相場への資金流入で商品相場が高騰し、輸入物価も影響し穀物から燃料まで
物価が高騰し国民の懐金を掴み出し続ける欧米国際資本の意のままに動き安倍政権依頼のゴロツキ政治家が跋扈し続けている。
  
 無能な政治家の代議士の半減をすることもなく、自己保身したままで増税するなどもってのほかだ。
  

「そもそも、今回の防衛費増額の目的は増税にあり、むしろ防衛費は後づけ講釈だろう。
 防衛力を増強するのであればF35ではなくユーロファイターの購入や退役している米軍の大型空母の無償提供、F14も1000機をおまけにつけての話だろう。
  
 そもそも、どう補強すべきかを議論し、政治家の利権を排除すべきだ。
 それを飛ばして増税論議が先行しており、1000兆円の国債発行残高も、保有する外貨や外国債券を精算すれば意識する必要もない水準まで国債発行残高を下げれるし、消費税すら不要になる。

 国際資本の懐を増やすことにばかり意識して、長期政権を目論む政治家は害があり、防衛費を増税のために利用しているといた視点よりも政治家の保身が一番の問題だ。 


    
posted by まねきねこ at 07:30| 愛知 | Comment(0) | よもやまばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする