経営は「私」のものではない。
私企業であるけれども、その本質は「公」である。
単に会社あるいは個人の名において運営しているにすぎない。→ ranking
by松下幸之助
法的に人として登記した法人は意思がない。その法人を動かす
経営者は単に代理人として経営しているのにほかならない。→ ranking
当ブログ内の情報はあくまでも参考情報です。投資にあたっての判断は投資する人の自己責任でお願いします。
当ブログでは、一切の責任を負いませんでご了承下さい。
マーケット |出来事 |貴金属とレアメタル |宝石と宝飾品 |貴金属の取引方法 |貴金属取扱会社
2010年12月16日
経営者には勇気が必要だが、無謀な行為とは紙一重
2010年12月14日
経営者は鷹揚な態度と細心の注意を兼ね備えていること
2010年12月13日
経営学は自得すべきものであり、教えられるものではない。
経営学は知ることができる。しかし、生きた経営というものは、教えるに教えられない、習うに習えない、自得するしかないものだ。→ ranking
by松下幸之助
経営は生き物であり、誰からも教えを請うものではない。自ら掴むものであり、どれを掴んで自分のものにするかが最も重要である。ただ、選択自体が難しい、誤れば...
by松下幸之助
経営は生き物であり、誰からも教えを請うものではない。自ら掴むものであり、どれを掴んで自分のものにするかが最も重要である。ただ、選択自体が難しい、誤れば...
2010年12月12日
自分の力の範囲で仕事をすることが重要
大黒常是(だいこくじょうぜ) 常是役所の長としての代々世襲の家職に与えられた名称
大黒常是(だいこくじょうぜ)
近世日本の銀座の吹所(ふきしょ)で極印(ごくいん)打ちを担当していた
常是役所
の長としての代々世襲の家職に与えられた名称。
慶長6年(1601年)、徳川家康が和泉堺の銀吹き職人である南鐐座の
湯浅作兵衛
に大黒常是を名乗らせたのが始まり。
もともと、常是という名称は豊臣秀吉により堺の南鐐座の銀細工師に与えられていた。
泉州堺の銀吹屋湯浅作兵衛は慶長3年(1598年)、家康に召出された。
家康より御銀吹役・御銀改役を命ぜられ大黒の姓を拝領した。
このとき作兵衛は宗近の刀と大黒座の黒印を頂戴している。
この銀座取立てにあたって、慶長丁銀の手本銀として
菊一文字丁銀
夷一文字丁銀
大黒極印銀
が選ばれて家康の上覧に供されたとこおr,銀質優良な大黒極印銀に決まり、大黒常是が銀座の銀吹役になったとされている。
また、このときの大黒極印銀は慶長丁銀より品位の高い括り袴丁銀がそれであるとされる。
家康の命により摂津の豪商
末吉勘兵衛
後藤庄右衛門
は、慶長6年5月(1601年)の大黒作兵衛常是の伏見銀座取立てを建議した。
なお、この後藤庄右衛門は後藤庄三郎光次の隠居後の名称であるとする説と別人とする説がある。
銀座の公儀御用所を銀座役所と呼び、銀座人が会同し銀地金の調達あるいは銀貨の幕府への上納など公儀御用を担当したのに対し、常是役所は丁銀および小玉銀への極印打ちおよび包封を担当した。
この包銀を常是包と呼び、両替屋による包と区別した。常是は銀座人とは一線を画し自ら銀座惣中と称していた。
銀貨の製造過程は
銀座釻場(ませば)
において灰吹銀と差銅の規定品位に基づく取組みが行われ、鋳造は常是吹所において行われた。
鋳造された銀塊は検査を受けた上で常是極印役により「大黒」、「常是」あるいは「寳」といった極印が打たれた。
さらに、銀座で品位が正しく取り組まれていることを確認する目的で、仕上がった丁銀は抜取検査として
糺吹(ただしふき)
が行われた。
糺吹は常是手代立会いの下、灰吹法により300目の丁銀から得られる上銀の量を確認した。
銀座は公儀灰吹銀から丁銀を鋳造する場合、入用として慶長銀および正徳銀では吹高の3%を分一銀として幕府より受取った。
しかし、このうち吹高百貫目のうち五百目すなわち0.5%を常是が吹賃として受取った。
分一銀は元禄銀は4%、宝永銀は7%、永字銀および三ツ宝銀は10%、さらに四ツ宝銀は13%と引上げられた。
文字銀でも7%であったが、常是の受けとる吹賃は常に0.5%であった。
明和9年(1772年)の南鐐二朱銀以降の定位銀貨の鋳造に際し常是は銀品位改めは無用として辞退した。
仕上がった銀貨の目方改めのみを担当することとなった。
そこで常是は目方を改めた定位銀貨に「定」の極印を打つこととなった。
また、丁銀の包封は常是の重要な役割の一つであった。
なお、二朱銀からは銀座が担当する銀座包となり200枚毎の二十五両包となった。
都銀座は湯浅作兵衛の長男である大黒作右衛門、江戸京橋銀座は次男である大黒長左衛門が銀改役となり以後世襲制とされた。
寛政12年には江戸の
八代目長左衛門常房
が家職放免となった。
銀座機能の江戸蛎殻町への集約移転に伴い、京都の十代目作右衛門常明が罷下りを命ぜられ蛎殻町銀座の御用を務めることになった。
分一銀による収入の減少した銀座を世襲した
江戸八代目長左衛門常房
は納滞銀として金に換算して3900両余の不納を咎められ、寛政11年4月(1799年)頃より取調べをうけた。
寛政12年7月2日(1800年)に長左衛門常房と京家十代目作右衛門常明は勘定奉行
柳生主膳正久通宅
へ出頭するよう命じられ、常房の息子常隣を連れて出頭した。
ここで長左衛門常房は家職召放しの上、永蟄居を命ぜられた。
一方で、作右衛門常明はお咎めなしであったが取締り方に付不束であったとして急度御叱を受けた。
この後、京橋銀座にあった長左衛門家の御用道具、家作共に召し上げとなった。
それらは作右衛門常明に与えられ、作右衛門は京都および京橋から機能を集約された蛎殻町の銀座を継ぐこととなった。
2010年12月11日
経営とは世の中のためになる仕事をすること
2010年12月10日
安易な値引きは人の価値を低下させる
2010年12月09日
経営は日々更新が必要だろう
2010年12月08日
人事問題は経営の最重要課題
2010年12月06日
物言わぬ大衆に注意を向けるべきだ
大衆はきわめて賢明であり、きわめて公正である。
われわれはつねにこの賢明にして公正な大衆の期待にいかに応え、いかに奉仕するかという点に、経営の根本をおいて仕事を進めなければならない。→ ranking
by松下幸之助
商売をする場合に問題を発言してくれる者ばかりに目を向けていると罠にはまることがある。
物言わぬ大衆に注目する必要があり、情報を掴むことが必要だろう。
最近の消費トレンドを一部の発言を意識しすぎて罠にはまる傾向が多く見られる。
広告会社が消費者の意見としてマスメディアに流す手法などを見れば、情報の構成組み換えを行うことで一般意見ではなくなっている。
これをまに受けている企業の宣伝部門の存在意義などないに等しい。
広告会社のアプローチを真に受け消費行動をつかみ切れず販売が伸びない元凶だろう。→ ranking
われわれはつねにこの賢明にして公正な大衆の期待にいかに応え、いかに奉仕するかという点に、経営の根本をおいて仕事を進めなければならない。→ ranking
by松下幸之助
商売をする場合に問題を発言してくれる者ばかりに目を向けていると罠にはまることがある。
物言わぬ大衆に注目する必要があり、情報を掴むことが必要だろう。
最近の消費トレンドを一部の発言を意識しすぎて罠にはまる傾向が多く見られる。
広告会社が消費者の意見としてマスメディアに流す手法などを見れば、情報の構成組み換えを行うことで一般意見ではなくなっている。
これをまに受けている企業の宣伝部門の存在意義などないに等しい。
広告会社のアプローチを真に受け消費行動をつかみ切れず販売が伸びない元凶だろう。→ ranking
2010年12月05日
得がたい財貨に価値を与えなければ、民に盗みをさせることもない
不貴難得之貨 使民不爲盜
(得がたい財貨に価値を与えなければ、民に盗みをさせることもない。)→ ranking
by 老子
民が持つことが出来ないものに価値をつけなければ、そのものに価値を見出すことは出来なくなり、欲望が働かず、手に入れようとすることはしなくなる。
欲望を引き起こすようなものでなければ誰も見向きもしないこととなり、価値があるとは言えず、多くの人があえて所持したいとも思わないだろう。→ ranking
ダイヤモンドと石炭は殆ど同じ元素で出来ているが、価値は天と地の差がある。例えば、木星ぐらいの炭素ガスが固まり中心部分にダイヤモンドがあるとすれば、それを大量に手に入れることが出来るようになれば、価値は大きく低下し敢えて欲しいという気にはならないだろう。→ ranking
(得がたい財貨に価値を与えなければ、民に盗みをさせることもない。)→ ranking
by 老子
民が持つことが出来ないものに価値をつけなければ、そのものに価値を見出すことは出来なくなり、欲望が働かず、手に入れようとすることはしなくなる。
欲望を引き起こすようなものでなければ誰も見向きもしないこととなり、価値があるとは言えず、多くの人があえて所持したいとも思わないだろう。→ ranking
ダイヤモンドと石炭は殆ど同じ元素で出来ているが、価値は天と地の差がある。例えば、木星ぐらいの炭素ガスが固まり中心部分にダイヤモンドがあるとすれば、それを大量に手に入れることが出来るようになれば、価値は大きく低下し敢えて欲しいという気にはならないだろう。→ ranking
企業の使命達成に対する報酬が企業利益
2010年10月15日
文殊でも備えのたたぬ商いは、高下の変が出れば破るる。
ここでいう文殊とは、智恵第一の菩薩とされる文殊菩薩のことです。
ことわざにある
三人寄れば文殊の智恵
というのは有名ですね。
一寸先は闇である相場の世界は、常に不測の事態に備え、資金的にも、精神的にも、準備をしておけということです。
文殊様のような智恵のあるお方でも、負けてしまうということであり、私達は文殊ほど智恵がないので結果はそれ以上に悪くなってしまうということです。→ ranking
ことわざにある
三人寄れば文殊の智恵
というのは有名ですね。
一寸先は闇である相場の世界は、常に不測の事態に備え、資金的にも、精神的にも、準備をしておけということです。
文殊様のような智恵のあるお方でも、負けてしまうということであり、私達は文殊ほど智恵がないので結果はそれ以上に悪くなってしまうということです。→ ranking
2010年10月14日
保ち合いのとき、慰みに商い仕掛まじきこと
江戸時代の相場師 本間宗久の相場三昧伝(第八十七章)にある
相場保ち合いの時うっかり慰みに商い仕掛くることあり
はなはだ宜しからず、慎むべきなり
とあります。→ ranking
相場が保合いのとき、暇だからちょっと小銭でも稼いでやろうと、深く考えもせず、買いまたは、空売りを仕掛けてをすることがあります。
そうした相場が急に逆に動いたりすると、最初に仕掛けた玉をなかなか切ることができず、更にナンピンを入れてコスト標準化を図ろうとすると、これが泥沼の長期戦になってしまうことにおちいってしまうことにもなりかねません。
しかも、なんの信念も見通しもなく売買した玉ですから精神的にも最悪で勝てるという信念すらないといっても過言ではありません。
なお、宗久は(第一章)で
商いは踏み出し大切なり
踏み出し悪しき時は決して手違いになるなり
と最初の仕掛けのタイミングを非常に重視しています。
つまり待つときは忍耐強く待ち、チャンスのときは果敢に仕掛けるのがトレードの王道ということです。
ただ、相場の流れを読むということは最も難しいものです。→ ranking
相場保ち合いの時うっかり慰みに商い仕掛くることあり
はなはだ宜しからず、慎むべきなり
とあります。→ ranking
相場が保合いのとき、暇だからちょっと小銭でも稼いでやろうと、深く考えもせず、買いまたは、空売りを仕掛けてをすることがあります。
そうした相場が急に逆に動いたりすると、最初に仕掛けた玉をなかなか切ることができず、更にナンピンを入れてコスト標準化を図ろうとすると、これが泥沼の長期戦になってしまうことにおちいってしまうことにもなりかねません。
しかも、なんの信念も見通しもなく売買した玉ですから精神的にも最悪で勝てるという信念すらないといっても過言ではありません。
なお、宗久は(第一章)で
商いは踏み出し大切なり
踏み出し悪しき時は決して手違いになるなり
と最初の仕掛けのタイミングを非常に重視しています。
つまり待つときは忍耐強く待ち、チャンスのときは果敢に仕掛けるのがトレードの王道ということです。
ただ、相場の流れを読むということは最も難しいものです。→ ranking
2010年10月13日
安くとも高値覚えで買い建てるな、時の事情を深く考えよ
これまでの大相場で大きく上昇した株価は、その後の、暴落で大きな節目を割り込みながら値を崩してしまうことが多いものです。
例えば、2,000円程度の株がおお化けして1万円大台に乗れば、時期が過ぎれば売りが強まって下落し、半値落ちしてくると節目の5,000円割れした頃から上昇時の踊り場と比較して4,000円、3,000円、2,000円、1,000円と株価が下がるたびに、これは安いと値に惚れだして買いを入れることが多いと思います。
安くとも高値覚えで買い建てるな
という事です。
これとは逆に100円だった株が500円に値上がりしたとき、今度は安値覚えで、安易に空売りをして、買いが強まり踏みあがれば大怪我をするなんてこともあります。→ ranking
マーケットの状況が明らかに状況が変わっているのに、過去の株価にとらわれて、安易な値ぼれ買いをしてはいけないと言う格言です。
ただ、相場の中に身をおいていると、言うは易し行うは難しということで人には欲がどうしても出てきてしまい客観的な判断が弱まり主観が強くなることが多くて、なかなか難しいものです。→ ranking
例えば、2,000円程度の株がおお化けして1万円大台に乗れば、時期が過ぎれば売りが強まって下落し、半値落ちしてくると節目の5,000円割れした頃から上昇時の踊り場と比較して4,000円、3,000円、2,000円、1,000円と株価が下がるたびに、これは安いと値に惚れだして買いを入れることが多いと思います。
安くとも高値覚えで買い建てるな
という事です。
これとは逆に100円だった株が500円に値上がりしたとき、今度は安値覚えで、安易に空売りをして、買いが強まり踏みあがれば大怪我をするなんてこともあります。→ ranking
マーケットの状況が明らかに状況が変わっているのに、過去の株価にとらわれて、安易な値ぼれ買いをしてはいけないと言う格言です。
ただ、相場の中に身をおいていると、言うは易し行うは難しということで人には欲がどうしても出てきてしまい客観的な判断が弱まり主観が強くなることが多くて、なかなか難しいものです。→ ranking
2010年10月12日
恐怖が来るのは晴天の霹靂(へきれき)の如し。
数年・数十年ごとに株式市場を揺るがすような暴落がやってきます。
多くの場合、大地震がいつくるか正確に分からないように、誰にも予測することなく突然襲ってきます。
恐怖が来るのは晴天の霹靂の如しということになります。
それ故に、市場に雲ひとつ無く好調な時でも慢心し、全てを投資に回すということは愚か者にもなりかねず。そうした行動を取ってはいけないという意味です。→ ranking
多くの場合、大地震がいつくるか正確に分からないように、誰にも予測することなく突然襲ってきます。
恐怖が来るのは晴天の霹靂の如しということになります。
それ故に、市場に雲ひとつ無く好調な時でも慢心し、全てを投資に回すということは愚か者にもなりかねず。そうした行動を取ってはいけないという意味です。→ ranking
2010年10月05日
記録破りは赤信号
この格言の記録破りとは株価のことではなく、出来高のことです。
一般的に株価が天底をつけに行く時は、チャートは鋭角的になり、出来高は急増することとなります。
従って出来高が過去の水準から著しく増えた場合は、株価が反転するきっかけになることが経験則から言えることになります。
逆に超閑散相場で出来高が最低な時も、底入れのシグナルとなることが言えます。→ ranking
ただ、経済指標などを背景として政策が変更になるなど相場環境が大きく変わった場合や、対象とする個別銘柄に劇的な変化があった場合は、そのまま出来高が定着してしまうこともあるので、断言することもできません。
しかし、通常の場合は、記録破りの出来高は要注意と考えた方が可能性としては高いと思います。
つまり、高値で買った人が利益を上げるためには更に高い値段で買う人が必要となりますが、高値追いで相場が進んだ場合に誰が買いのてを入れるかを考えれば明らかでしょう。→ ranking
一般的に株価が天底をつけに行く時は、チャートは鋭角的になり、出来高は急増することとなります。
従って出来高が過去の水準から著しく増えた場合は、株価が反転するきっかけになることが経験則から言えることになります。
逆に超閑散相場で出来高が最低な時も、底入れのシグナルとなることが言えます。→ ranking
ただ、経済指標などを背景として政策が変更になるなど相場環境が大きく変わった場合や、対象とする個別銘柄に劇的な変化があった場合は、そのまま出来高が定着してしまうこともあるので、断言することもできません。
しかし、通常の場合は、記録破りの出来高は要注意と考えた方が可能性としては高いと思います。
つまり、高値で買った人が利益を上げるためには更に高い値段で買う人が必要となりますが、高値追いで相場が進んだ場合に誰が買いのてを入れるかを考えれば明らかでしょう。→ ranking
2010年10月04日
逆日歩に買いなし
逆日歩とは、信用取引で買いよりも売りが上回り、株不足が生じた場合に、売り方が株を他から借りてくるために払う品貸料のことです。
そもそも逆日歩がつくような銘柄は、実態以上に高く買われ過ぎているか、仕手化した銘柄が多いのが一般的であり経験則から、この格言ができたと考えられます。
ただまともな銘柄でも仕手化した場合には逆日歩が付くことなど別に珍しくなく、なんでも杓子定規に買いなしと判断することもありません。
これとは反対に「逆日歩に売りなし」と云う格言もあります。
これは仕手筋が介入している銘柄などは、彼等は自分達が安く仕込んだ後、突然暴力的に大量の買いを入れ株価を吊り上げてきます。
その過程でカラ売りを誘い込み、資金力のある筋は信用買いを現引きしたりして、意図的に株不足を発生させ、売り方を逆日歩攻めにします。
株の動きだけで株の動きの実態が、事情も知らずに素人が株価が高すぎると云う理由だけで、カラ売りなどすると、とことん踏み上げられることになります。
ですから「逆日歩に売りなし」と云うのも的を射ています。→ ranking
長期的に見れば、仕手株の場合、株価は本来の企業価値に収斂して行き「逆日歩に買いなし」の展開になりますが、売り方がそこまで耐えられるかは資金力の問題もあり別の要素が加わることともなり一概に判断は出来ません。
この2つの格言は、あくまでケースバイケースの対応となり、なんでも杓子定規に買いなし、売りなし、と断言できるものではありません。→ ranking
そもそも逆日歩がつくような銘柄は、実態以上に高く買われ過ぎているか、仕手化した銘柄が多いのが一般的であり経験則から、この格言ができたと考えられます。
ただまともな銘柄でも仕手化した場合には逆日歩が付くことなど別に珍しくなく、なんでも杓子定規に買いなしと判断することもありません。
これとは反対に「逆日歩に売りなし」と云う格言もあります。
これは仕手筋が介入している銘柄などは、彼等は自分達が安く仕込んだ後、突然暴力的に大量の買いを入れ株価を吊り上げてきます。
その過程でカラ売りを誘い込み、資金力のある筋は信用買いを現引きしたりして、意図的に株不足を発生させ、売り方を逆日歩攻めにします。
株の動きだけで株の動きの実態が、事情も知らずに素人が株価が高すぎると云う理由だけで、カラ売りなどすると、とことん踏み上げられることになります。
ですから「逆日歩に売りなし」と云うのも的を射ています。→ ranking
長期的に見れば、仕手株の場合、株価は本来の企業価値に収斂して行き「逆日歩に買いなし」の展開になりますが、売り方がそこまで耐えられるかは資金力の問題もあり別の要素が加わることともなり一概に判断は出来ません。
この2つの格言は、あくまでケースバイケースの対応となり、なんでも杓子定規に買いなし、売りなし、と断言できるものではありません。→ ranking
2010年10月03日
捲土重来
中国の故事に
捲土重来(けんどちょうらい)
という言葉があります。
巻き起こった土煙が再びやって来るという意味で、失敗した者が、再び勢いを盛り返して巻き返すことをいいます。→ ranking
相場などで、勝負事に負けると極端に落ち込む人、冷静さを無くし更に事態を悪くする人がいます。
心理的には誰でも負ければ、落ち込みますし、自棄にもなるものです。
多くの人が参加するマーケットという怪物は、そんな状況の人間に更に追い打ちをかける動きがよく出てきて、経験則的な動きが突発的な事件(イベント)などの影響で相場の流れが寸断され大きく変化し乱れることがよくあります。
マーケットは資本主義が続く限り無くなることはありません。
失敗を冷静に分析できるまで休み、勇気を失わずにいれば、チャンスは再び巡ってきます。
ただ、勇気と無謀とは紙一重で大きく異なったスタンスであり、注意が必要です。→ ranking
捲土重来(けんどちょうらい)
という言葉があります。
巻き起こった土煙が再びやって来るという意味で、失敗した者が、再び勢いを盛り返して巻き返すことをいいます。→ ranking
相場などで、勝負事に負けると極端に落ち込む人、冷静さを無くし更に事態を悪くする人がいます。
心理的には誰でも負ければ、落ち込みますし、自棄にもなるものです。
多くの人が参加するマーケットという怪物は、そんな状況の人間に更に追い打ちをかける動きがよく出てきて、経験則的な動きが突発的な事件(イベント)などの影響で相場の流れが寸断され大きく変化し乱れることがよくあります。
マーケットは資本主義が続く限り無くなることはありません。
失敗を冷静に分析できるまで休み、勇気を失わずにいれば、チャンスは再び巡ってきます。
ただ、勇気と無謀とは紙一重で大きく異なったスタンスであり、注意が必要です。→ ranking