秦半両銭には、戦国時代に作られた半両銭
戦国半両銭(鋳行期間約115年間)
と中国統一後に作られた
秦朝半両銭(鋳行期間約15年)
に分けることが出来る。
周代から春秋時代、戦国時代にわたって存在した秦の始皇帝は群雄割拠していた中国中原において紀元前221年に斉国を滅ぼして初の中国の統一に成功した。
秦(紀元前778年 - 紀元前206年)は万里の長城や阿房宮の建設には主に農民を使役させた。また、焚書坑儒などの思想政策も断行したため、不満が充満して紀元前206年に滅亡した。
同一面文名の「半両」を踏襲した事、秦朝成立後も戦国半両と同様に大小様々な半両銭を鋳工した事などで、判別が出来ないものが存在している。
従来秦朝半両銭と分類していた「大半両銭」の中には、戦国期より鋳工されている事が判明したものが含まれ混乱が見られる。
戦国半両銭は、戦乱の時代の秦支配地域で鋳工されましたものの自国の根拠地や占領した地域で鋳工され、銭型、文字共に様々な大きさ、重さで作られている。
戦国時代における半両銭は、一枚単位で流通させるのではなく、ある基準枚数で一定の重さになる様に作られていた。
その為、統一された製作ではなく、大小様々な大きさ(重量)で製作されました。
戦国時代に鋳行された半両銭は、自国の根拠地や征服した地域のみしか発掘されていない
戦国期の秦国においては、半両銭以外の貨幣流通や所持を禁止し、市場経済における秦国の力を高める活動を促していた。
他国の貨幣の使用を禁止し市場経済における取引での使用から一掃させるべく、密告制度や、違反者に対する重い刑罰等を課して他国の貨幣の流通を阻害した。
そのため、徐々に支配地域を拡大していくと、占領し滅ぼして手に入れた敵国の地域では旧来の貨幣を原料として鋳つぶし半両銭を鋳工した。
半両銭に関する全般的な特徴としては、文字が丸みがある書体の円折で整わず、厚手で面の凹凸が大きい特徴があった。
また、鋳口や鋳バリ等が残ったままの物が多く存在している。
「秦」は紀元前221年に始皇帝により中国を統一した後、半両銭を中国全土の通貨として定めた。
それまで各国で鋳行されていた貨幣(布幣、刀幣等)を全て廃止する旨の命令を出した。
他国との戦闘に明け暮れて勝利をおさめ、領土の拡大で銭貨の需要が膨らむなか貨幣を鋳造しても量が間に合わず、現実には廃止された貨幣の代替となる分の半両銭総量は不足しており、すぐには完全に切り替わらなかったと見られている。
当時半両銭を鋳工する為の原料となる青銅は、戦国期に各国で鋳工、流通していた布幣、刀幣等の貨幣を廃止したことで、武器が青銅から鉄に置き換わって廃棄されたものが潤沢にあり、大規模に鋳工できる環境にあった。
中国国内の制度作り等に追われ、大規模に鋳工しよう整備を整える中で滅んでおり、完全な貨幣統一は果たせなかった。
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posted by まねきねこ at 22:09| 愛知 |
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