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2015年07月01日

三官五銖


三官五銖

  元鼎四年(前113年)に赤側銭を廃すると共に、郡国での鋳銭も禁じた。

 これ以後、専ら
   上林三官(均輸・鍾官・弁銅)
で鋳造された銭貨。


 初期に鋳られた五銖を特に「三官五銖」と言い、宣帝期以後の五銖と区別している。

 特徴は周郭が均一で背がやや浅く清楚であるということ。




    
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        前漢・五銖           鉄五銖 五中二星           北斉・常平五銖
      




    
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2015年06月29日

赤側五銖


赤側五銖 

 
 赤側銭は元鼎元年(前116年)頃から鋳造を開始した。

 郡国の俗吏が私利を得ようとして銅質を悪くしたため、インフレが起こり銭の価値が下がった。


 このため漢朝は京師の鍾官にて、銭の周囲をやや厚くしてこれを磨くと共に銅質の良い銭を鋳させるように改めた。

 そして租税には専らこれを用いることを命令し、赤側銭一枚を以って郡国五銖五枚の値とする貨幣改革を行った。


 
 当時は匈奴征伐に多大な戦費を要したことから、逼迫した財政を救済する一手段として赤側銭を鋳造したとも言われている。


 その目的を概ね達したため」元鼎四年にこれを廃し、同時に郡国の鋳銭も禁じた。




    
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        前漢・五銖           鉄五銖 五中二星           北斉・常平五銖
      




    
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2015年06月22日

刀幣 尖首刀(せんしゅとう)


尖首刀(せんしゅとう)

  春秋中晩期に、「燕」、「中山」等で鋳造され流通した刀幣のひとつで、首先端部が斜めになって先端が尖がっている形状から尖首刀と呼ばれている。


   
       尖首刀 -1
  
  
 
 「燕」と「中山」の尖首刀は背面、柄の直紋の本数で区別され、「燕」尖首刀は2本、「中山」尖首刀は1本もしくは無紋となっています。

 面、背共に位置不定で紀文や干文等の単字が鋳出されており、数多くの種類がある。

 刀幣全長により大型(16.3〜17.3cm)、中型(15.6〜16.1cm)、小型  (14〜15.5cm)の三種類に大別される。




    
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2015年06月17日

刀幣 方首刀(ほうしゅとう)、明刀(みんとう)


方首刀(ほうしゅとう)、明刀(みんとう)


 春秋晩期から戦国末期に「燕」で作られ、「燕」「斉」「中山」等華北・ 東北地方で広く流通した刀銭。

 小型尖首刀より形状が変化した物で、「明」を鋳出した刀幣となっており、幕(背)には様々な文字(数字、単字、符号、地名等)が鋳出されている。

 そのため、種類は数百種類もある。



    
        明刀 極美

 

 春秋後期に「燕」は中原において強大な国となり、周辺の国、地域に多大なる影響を与えた。

 隣接する「斉」「趙」「中山」等では、「燕」の明刀を彷鋳した。

 

 明刀は、形状により「弧背明刀」と「折背明刀」の大別できる。

 弧背明刀は小型尖首刀より変化したもので刀幣の背が弧を描いているのが特徴となっている。
 面文字については諸説があり、現在呼び方は確定していない。
 

 折背明刀は弧背明刀より変化したもので刀幣の背が方折状になっているのが特徴となっている。
 面文字については「明」字と確定しており、存在量は多く存在する。

 ただし、銅質が悪く文字がはっきりとしない物が多い。

 

 「燕」で鋳行された弧背明刀については、「明」字により製作の時期、流通地域が分類できるが、過渡的な物も多く、明確に区別できない物も見られる。




    
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2015年06月07日

古寛永の分類

 長門銭
     異永 奇永 麗書 裕字 勁文 星文様 正字様 俯永様 太細様 広永様
 水戸銭
     長永 長永手 仰永 背星文 昂通背星 星文手 無星文 正字 湾柱永 浮永 流永 狭足寛 宏足寛 大目寛 力永 勁永 短足宝 放永 放永手 勇文 広永
 御蔵銭
     正字 大字 跳永 大永 大寛 長尾寛 縮寛 小永 小字 長永
 芝銭
     二草点 二草点手 四草点 不草点 細字 接郭
 坂本銭
     跳永 不跳永 正永 高頭通
 仙台銭
     大永 跛宝ミ通 跛宝降通 濶字高頭通 濶字低頭通 濶字手類 正字手 正永 寛字 五大点
 吉田銭
     狭永 狭永小字 広永
 松本銭
     太細@本体・長尾永・平永 太細A短尾寛 太細B斜通・大宝・俯頭チャク・仰柱永・仰頭永 太細C中字・小字類 太細D幺永・長宝
 高田銭 …NEW
     肥永 肥永降宝 笹手永 笹手永手 笹手永仰頭通 縮通
 岡山銭
     長嘯子 良恕 良恕手 婉文 俯頭永 俯永中字@本体・中字俯頭チャク・平永・退足寛 俯永中字A折足寛・縮寛・狭目寛・抬頭永・伸寛 俯永中字B俯永手類 進永 短尾寛 小字 縮字
   
 竹田銭(松本銭)
     斜宝 斜宝高寛
 井之宮銭
     縮寛 長通 長永
 建仁寺銭
     大字狭寛 小字広寛
 沓谷銭
     明暦大字 明暦小字 正足宝 萎足宝
 鳥越銭
     明暦高寛 明暦低寛
 不知銭
     不知降宝 不知長尾永


   
     
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2015年04月27日

三国時代の魏でも五銖銭を正式の通貨


 三国時代の魏では曹操が後漢の丞相であった208年に董卓以前の五銖銭に戻す政策を行った。

 その後を継いだ曹丕も魏王朝成立後に221年に引き続き五銖銭を正式の通貨としていた、

 しかし、経済的な疲弊からこれを維持することが出来ず、その年のうちに
   穀帛の実物
による代用貨幣を行った。 

 質の悪い穀帛が貨幣として用いられる事が増えたために227年に五銖銭を実施した。


 三国時代の墓地の発掘で漢のものより小型で粗雑な「曹魏五銖」と呼ぶべき貨幣が見つかり、新たな五銖銭を鋳造したことが判明した。

  
  
   
     
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2015年04月26日

三官五銖銭


 三官五銖銭は、前113年(元鼎四年)から後5年(元始五年)に鋳工された貨幣。
 郡国五銖 銭及び赤側五銖銭とは異なり、朝廷以外の鋳工を禁じた。  


 朝廷は、御苑であった
   上林苑
に大規模な鋳銭所を設置し、水衡都尉(漢代の官職名)に所属する 三官(鍾官、技巧、弁銅)に鋳銭を行なわせた。

 三官にて鋳工された五銖銭以外の五銖銭(郡国五銖 銭、赤側五銖銭)の流通を禁止した。

 諸郡国の鋳銭所を廃止させると同時に、銅原料(旧銭も含む) を三官に集めさた。


 この政策により郡国、民間での盗鋳、私鋳が激減した。  


 三官五銖銭は上林苑の三官によって銭の大小、軽重、厚薄に厳格な規定を設けて鋳工された。


 基本銭は、銭径:2.5cm、外郭の厚さ:0.1cm、外郭の幅:0.1cm、重さ:3.5g であった。


 三官五銖銭はその鋳工時期により
   三官一型(武帝三官五銖、昭帝三官五銖)
   三官二型(宣帝 三官五銖(前期、後期有り))
   三官三型(元帝三官五銖、晩期三官五銖)
に分類される。


 各種三官五銖銭には、郡国五銖銭、赤側五銖銭と同様に各種符号(穿上一横、四角決文等)を鋳出した。

 発掘等により確認された鋳範より、各種符号は鋳銭所を示す記号とみられる。

  
  
   
     
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2015年04月25日

秦 半両銭



 秦半両銭には、戦国時代に作られた半両銭
   戦国半両銭(鋳行期間約115年間)
と中国統一後に作られた
   秦朝半両銭(鋳行期間約15年)
に分けることが出来る。

  

   
             秦半両


 周代から春秋時代、戦国時代にわたって存在した秦の始皇帝は群雄割拠していた中国中原において紀元前221年に斉国を滅ぼして初の中国の統一に成功した。

 秦(紀元前778年 - 紀元前206年)は万里の長城や阿房宮の建設には主に農民を使役させた。また、焚書坑儒などの思想政策も断行したため、不満が充満して紀元前206年に滅亡した。


 同一面文名の「半両」を踏襲した事、秦朝成立後も戦国半両と同様に大小様々な半両銭を鋳工した事などで、判別が出来ないものが存在している。


 従来秦朝半両銭と分類していた「大半両銭」の中には、戦国期より鋳工されている事が判明したものが含まれ混乱が見られる。

 戦国半両銭は、戦乱の時代の秦支配地域で鋳工されましたものの自国の根拠地や占領した地域で鋳工され、銭型、文字共に様々な大きさ、重さで作られている。


 戦国時代における半両銭は、一枚単位で流通させるのではなく、ある基準枚数で一定の重さになる様に作られていた。

 その為、統一された製作ではなく、大小様々な大きさ(重量)で製作されました。


 戦国時代に鋳行された半両銭は、自国の根拠地や征服した地域のみしか発掘されていない


 戦国期の秦国においては、半両銭以外の貨幣流通や所持を禁止し、市場経済における秦国の力を高める活動を促していた。


 他国の貨幣の使用を禁止し市場経済における取引での使用から一掃させるべく、密告制度や、違反者に対する重い刑罰等を課して他国の貨幣の流通を阻害した。

 そのため、徐々に支配地域を拡大していくと、占領し滅ぼして手に入れた敵国の地域では旧来の貨幣を原料として鋳つぶし半両銭を鋳工した。



 半両銭に関する全般的な特徴としては、文字が丸みがある書体の円折で整わず、厚手で面の凹凸が大きい特徴があった。

 また、鋳口や鋳バリ等が残ったままの物が多く存在している。


 「秦」は紀元前221年に始皇帝により中国を統一した後、半両銭を中国全土の通貨として定めた。

 それまで各国で鋳行されていた貨幣(布幣、刀幣等)を全て廃止する旨の命令を出した。

 他国との戦闘に明け暮れて勝利をおさめ、領土の拡大で銭貨の需要が膨らむなか貨幣を鋳造しても量が間に合わず、現実には廃止された貨幣の代替となる分の半両銭総量は不足しており、すぐには完全に切り替わらなかったと見られている。


 当時半両銭を鋳工する為の原料となる青銅は、戦国期に各国で鋳工、流通していた布幣、刀幣等の貨幣を廃止したことで、武器が青銅から鉄に置き換わって廃棄されたものが潤沢にあり、大規模に鋳工できる環境にあった。


 中国国内の制度作り等に追われ、大規模に鋳工しよう整備を整える中で滅んでおり、完全な貨幣統一は果たせなかった。

  
  
   
     
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一円銀貨(いちえんぎんか)


 1871年(明治4年)の新貨条例により日本の貨幣単位として「圓(円)」を正式採用した。

 一円銀貨はその前年(明治3年)に 
   対外貿易専用銀貨
として旧1円銀貨が発行されている。 





  
 これより1914年(大正3年)まで製造され、主要な貿易取引相手である台湾や中国で貿易決済としておもに流通した。

 品位としては銀.900、銅.100、量目は26.96グラム(416グレイン)で大型と小型に大別された。

 量目は同じだが直径が異なり、大型は直径38.6mm小型は38.1mmである。


 大型は1887年(明治20年)まで製造され、小型は大型にかわり1888年(明治21年)から1914年(大正3年)まで製造された。




  
 明治維新後まもなく製造された当時は、貨幣の造幣技術が確立されていなかったため明治政府は英国に範を求めた。


 貨幣の発行に明治の新貨幣の原画制作を担当した明治金工界の巨匠として知られる
   加納夏雄
の原図の竜図が絶賛され、日本で製造されることになった。


 また1875年より1878年まで、メキシコ銀貨などと量目をあわせた「貿易銀」(量目420グレイン)も鋳造された。



  
 その後、1878年(明治11年)からは日本国内でも一円銀貨の流通が認められた。

 金準備が不足し名目と化した金本位制下における事実上の本位貨幣となった。


 1885年には一円銀貨との兌換を明記した紙幣が発行され、1897年の貨幣法施行による
   金兌換再開
にともない、一円銀貨の金貨との引換が行われた。


 翌1898年には再び一円銀貨の日本国内での流通は禁止された。


 日清戦争の結果1897年より日本領となった台湾では一円銀貨の流通が続いた。
 そのため、外地および海外向けの一円銀貨の製造は1914年まで行われた。

  
  
   
     
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2015年04月18日

至和元宝(真書 北宋銭・渡来銭 1054年)


 至和元宝

 宋朝四代仁宗(在位 1022年3月23日 - 1063年4月30日)は、皇祐六年四月に至和と改元した。


    


   
 至和元年(1054年)に改鋳を行い
   至和元寶
   至和通寶
の2種真・篆2書体を鋳造したといわれる。

 ただ、通寶は一種しかないので元寶のみで、種類も少ないとされる。


 他に至和重宝銭があるが、1個が1文(または1銭)の等価価値を持った通貨(小平銭 小銭)ではない。

 


 <分類 古銭用語>

 


      

   ・渡来銭    ・宋銭   ・中国古代銭


    


    
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2015年04月14日

戦国半両銭


 春秋時代(紀元前770年−紀元前403年)初期、晋(紀元前11世紀 - 紀元前376年))において
   円形円孔の銅銭
の使用が開始されている。


 この銅銭の形状が鋳造作業に簡便であったため、その後鋳造工程の最終段階の研磨作業を考慮した円形方孔と形状を変化させながら、斉・燕・越などで用いられた
   刀銭(刀の形状を模した青銅の貨幣)
や趙・魏・韓などでは布銭、楚では蟻鼻銭、秦では円銭(環銭)が用いられていたものの、同時に周や燕、斉、秦などの他国でも鋳造され使用されるようになっていった。

 紀元前336年になると秦は銅銭の鋳造を国家で行うことを定めた。

 円形方孔の半両銭を正式な貨幣と定め、これが半両銭の起源となる。

 初期の半両銭を一般に戦国半分銭と称し、重量は8g程度であった。

 ただし、鋳造技術が未熟であったためその大きさがまちまちなものとなり、中には円孔のものも発掘されている。

 当時の半両銭には大篆で「半兩」と記されているが、「兩」の中の「人」が長い字体より長人両とも称されている。

  
  
   
     
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2015年04月12日

五銖銭(ごしゅせん) 


 五銖銭(ごしゅせん) 

 前漢の武帝(前141年3月9日 - 前87年3月29日)により前118年(元狩5年)に初鋳された貨幣。


 量目(質量)が当時の度量衡で5銖であり、また表面に「五銖」の文字が刻印されていることより五銖銭と称される。
 
 
 前漢以外にも後漢、蜀、魏、西晋、東晋、斉、梁、陳、北魏、北斉、隋でも鋳造されていた。

 唐代の621年(武徳4年)に廃止されるまで流通しており、中国史上最も長期にわたり流通した貨幣である。

  
  
   
     
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       隋・白銭五銖          北魏・太和五銖




      
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2015年04月09日

五銖銭の基準明らかにして地方での鋳造を認める。


 漢朝は五銖銭の寸法と重量、金属配合を策定しそれを基準として地方での鋳造を認めた。
  

 当時は郡国に対し中央へ納付する租税を
   五銖銭に
よるものと定めたことにより、地方での大規模な鋳工につながった。


 五銖銭の原料となる銅は既存の半両銭であったため、改鋳すると4/5の目減りになった。

 改鋳させた五銖銭を納入させることで郡国の経済力削減を目的にした。

 五銖銭の鋳造仕様違反で廃立された諸侯も史書にみられた。
 

 当初、地方の郡国で鋳造されたものは郡国五銖銭と称された。


 しかし短期間の歳入増加を目標とした漢朝は前114年(元鼎3年)に
   赤側五銖銭
を発行した。

 これは1枚が郡国銭5 枚に相当する価値をもたせたものであり、租税の徴収や国家歳出には赤側銭の使用を義務付けた。

 発行当初は一時的な国家歳入の増加が見られた。


 これが広く流通すると実質的な減少となり、また私鋳銭が行われるようになったことで信頼性が下がり翌年に廃止されている。

  
  
   
     
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2015年04月08日

郡国五銖銭


 郡国五銖銭

 前漢の武帝時代にあたる前118年〜前113年(元狩5年〜元鼎4年)に鋳工された貨幣のこと。

 半両銭の鋳工をやめた後の最初の貨幣となっている。

 朝廷で基準となる形(大きさ、重さ等)を決めたものの、統一した規範の鋳型がなかった為、民間での私鋳が横行していたと伝えられて
いる。

 また、郡国でも五銖銭を鋳工する為の銅原料不足により、他金属を混ぜる様になったりした。

 半両銭よりは均一であったものの、個々の銭径、重量の差は後に鋳工される五銖銭に比べ大きい傾向にある。


 前113年(元鼎4年)赤側五銖銭と共に廃止されている。
 

 郡国五銖銭は、五字により基本型(下記T型〜V型の三種類)、発展型(下記W型)、特殊銭(下記X型、六型)の六種類に分類される。

 なお、穿上下に各種符号を鋳出されたものが多く存在している。

  
  
   
     
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至道元宝 (真書)選別品 中国古銭 【北宋銭23】


 至道元宝

 宋朝二代太宗は、淳化六年に至道と改元した。


    


   
 至道元年(995年)に至道元宝銭を改鋳した。
 淳化銭と同じく真書、行書、草書の三書体となっている。

 


 <分類 古銭用語>

 


      

   ・渡来銭    ・宋銭   ・中国古代銭


    


    
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宋銭(そうせん)


宋銭(そうせん

 中国の北宋(960年 - 1127年)と呼ばれる王朝の時代に鋳造された貨幣である銅銭のこと。
 北宋は趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建てたとされている。
 (北宋は南宋に対する呼び名で国名としては宋という。)


 また、宋代には辺境部である四川・陝西から遼・西夏への銅の流出を防止するために、銅銭の所有・使用一切を禁じており、その代わりに鉄銭が強制的に流通させられたため、銅銭のほかに鉄銭も鋳造されていた。

 一般的には、圧倒的に多い銅銭のことを指して宋銭と呼んでいる。

 
   
  
 建国当初の宋通元宝にはじまり、歴代の改元のたびに、その年号をつけた新銭を鋳造した。


 太平通宝・淳化元宝・至道元宝咸平元宝景徳元宝祥符元宝といった銅銭が鋳造されている。

       
   ・ 宋銭いろいろ
 

 銅山の採掘と銅銭の鋳造は国家の経営により、鋳銭監・鋳銭院という役所で行われた。

 当初は、1個が1文(または1銭)の等価価値を持った通貨であり、これを小平銭(小銭)と称した。


 経済活動が活発化して宋朝の財政がインフレ状態に陥り財政が逼迫してくると、当5銭(5文銭)や当10銭(10文銭)という貨幣も鋳造されるようになった。


 主に流通したのは、小平銭と当2銭(または折2銭)であった。


 銭の単位は、1,000個で貫・緡または千と呼んだ。


 また96個の1文銭を銭通しに通してまとめても100文として通用させていた。
 これを「通し100文(短陌)」と呼んだ。

 さらに通し100文を10個、つまり960文を銭通しに通してまとめても1貫(通し一貫)として通用していた。

 建国当初の鋳造高は、年間70,000貫ほどであった。


 その後、製造設備を整えていったことで増鋳されて行き、神宗の治世時(1067年 - 1085年)には、6,000,000貫に達したという記録がある。


   
     
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2015年04月07日

五銖銭鋳造を駆逐する私鋳銭


 前漢の元帝の皇后・王政君(孝元皇后)の甥で、成帝の母方の従弟に当たる
   王莽
が新朝を建てると名目的な価値の貨幣が数多く鋳造された。

 新朝の国内経済は大きく混乱した。


 25年に後漢が成立したが建国の混乱のため当初は貨幣鋳造を行う余裕がなかった。

 40年になりようやく
   五銖銭鋳造
が決定し、翌年より鋳造が開始された。


 なお、後漢ではその王朝を通して改鋳を行うことはなかった。

 ただ、時期による精粗があり、特に後漢末の
   董卓の乱
では董卓五銖銭と称される粗悪銅銭が発行された。



 各種銅銭を打ち抜いて使用し、磨辺銭、剪輪銭として外側は削り小型化させたもの。

 これにより私鋳銭が広く流通し五銖銭は貨幣としての価値を失った。

 それ以降は100枚や1000枚を紐で束ねたものが流通するようになった。

  
  
   
     
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2015年04月06日

天保通宝(てんぽつうほう)


 天保通宝(てんぽつうほう) 

 江戸時代末期から明治にかけての日本で流通した銭貨のこと。
 別称 天保銭(てんぽうせん)と


 銅製で、重量は5.5匁(約20.6グラム) 形状は、小判を意識した楕円形で鋳造された。

 中心部に正方形の穴が開けられている。

 表面には「天保通寳」、裏面には「當百」と表記され、金座後藤家の花押が鋳込まれた。
 
 
 天保6年(1835年)に創鋳された。貨幣価値は100文とされたが質量的に対応した額面(寛永通宝100枚分)の価値は全くない貨幣であり実際には80文で通用していた。


 幕末の混乱期であったため偽造も相次いだ。


 明治維新後も流通したが、明治24年(1891年)12月31日を最後に正式に通用停止となった。

 
 明和5年(1768年)に銀座が真鍮四文銭の成功により潤ったことに対抗し、金座御金改約の
   後藤三右衛門光亨
の発案により金座主導で高額の銭貨の発行となった。
 天保通寳は鋳造が行われることとなった。

 
 天保6年6月15日(1835年)に鋳造が始まり同年9月2日より発行され、鋳造は翌7年12月(1836年)に中断された。
 このときまでの鋳造高は29,710,700枚であった。

 その後、8年8月(1837年)に再開され天保年間の合計は39,735,200枚とされる。
 なお、天保年間の鋳造により幕府が得た利益は180,800両という。

 弘化4年10月18日(1847年)に鋳造が再開され、天保6年からの総鋳造高は484,804,054枚とされる。

 
 寛永通寳鉄銭および真鍮四文銭の大量発行により明和年間以降、銭相場は下落しており、天保通寳の発行によりさらに拍車をかけた。

 貨幣収集界には天保6年から翌年鋳造分を「長郭」あるいは「中郭」、8年から13年までのものを「細郭」、弘化4年以降のものを「広郭」としている。

   

  
 天保通寳は幕末期に偽装工作としての地方貨幣発行の陰で各藩による密鋳が横行した。

 なお、明治時代に引換回収された天保通寳は5億8674万枚にも上ており、江戸幕府の金座および貨幣司が鋳造したものを1億枚以上も上回る数であった。

 ただ、流通高のすべてが回収されたものではないため、密鋳は2億枚程度に達したと推定されている。
 

 密鋳に関わった藩としては水戸藩、久留米藩、薩摩藩、福岡藩、岡藩、土佐藩、長州藩、会津藩、仙台藩、久保田藩、盛岡藩など10を超えるという。

 また、素性の不明ないわゆる「不知銭(ふちせん)」とされる天保通寳も多種存在している。



   





 <分類 古銭用語>

 


     



    


  
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2015年04月05日

穴銭とは


 穴銭とは円形方孔のある銭貨のこと。

   


 日本で鋳造された穴銭で大量にあるのは江戸時代の銭貨で「寛永通宝」で、種類も1000以上もあると言われており、希少価値の高いものから安価なものまで見ることが出来ます。


 日本で作られた最初の貨幣は和同開珎といわれていましたが、それ以前にも富本銭という日本最初のお金が作られていたことが分かり、最初の貨幣という座譲ってしまいました。


    


 ただ、和同開珎は大量生産され広く流通した日本最初のお金です。



   





 <分類 古銭用語>

 


     



    


  
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永楽通宝(えいらくつうほう) 明朝第3代永楽帝の時代に作られた銭貨


 永楽通宝えいらくつうほう

 中国の明朝第3代皇帝
   永楽帝
の時代に作られた銭貨のこと。

 
 勘合貿易が拡大した室町時代に貿易清算の対価として日本へ大量に輸入され、江戸時代初頭まで流通した。

 一般的には永楽銭とよばれていた。


      


 形状は、円形で中心部に正方形の穴が開けられている。

 表面には「永樂通寳」の文字が上下右左の順に刻印されている。
 材質は銅製で貨幣価値は1文として通用した。


 日本では天正年間以降永楽通宝1枚が鐚銭4文分と等価とされた。

 

 徳川家康が、江戸幕府を開いていた慶長13年(1608年)には通用禁止令がだされ、やがて大量生産が軌道に乗った寛永通宝等の国産の銭に取って代わられている。


    ・ 寛永通宝いろいろ


 明では初代洪武帝のときに銭貨使用が禁じられ、すべて紙幣に切り替えられていた。


 当時の日本では貨幣経済が急速に発展しており、中国銭貨への需要が非常に高まっていた。
 そのため、日本との
   貿易決済用銭貨
として永楽通宝が鋳造されたため、永楽通宝は明では流通しておらず、もっぱら日本を中心とした国外で流通していたと考えられてきた。


 洪武帝は中国統一前には支配地域の一部で
   大中通宝
という銅銭を発行しており、統一後も洪武通宝を発行していた。


     ・ 洪武通宝いろいろ


 その後も宣徳通宝弘治通宝嘉靖通宝が発行されている。


        

   


 近年になって日本の永楽通宝の中には日本で鋳造されたものが相当数含まれていることが分かった。


 また永楽9年(1411年)に浙江・江西・広東・福建の各布政司で永楽通宝の鋳造が命じられていることが分かり、近年では少なくても15世紀後半の段階では永楽通宝は明国内でも流通されていたと考えられている。


 織田信長は、永楽通宝の旗印を用いている。理由は明らかでないが、貨幣流通に早くから注目していたためであるとも言われる。

 
 明の永楽帝の時代に永楽9年(1411年)から作られた
   永楽通宝(永楽銭)
は当初は明の国内でも流通していた。

 しかし、中国では新銭よりも、流通の実績のある宋銭や開元通宝などが好まれていたことから15世紀後半には明では次第に使用が忌避されるようになり、行き先を失ったため室町時代後期に勘合貿易や倭寇を通じて大量に日本に輸入された。

    ・ 開元通宝いろいろ


 日本国内では皇朝十二銭の鋳造が停止されたため、代替として輸入されていた宋銭が数百年の流通により磨耗、破損したものが多くなっていた。

 新たに輸入された永楽銭は良質の銅銭であったため、東日本を中心に江戸初期まで基本貨幣として使われている。


 一方で西日本では従来通り宋銭、鐚銭の流通が中心であった。


 明朝時代には宋銭を私鋳していたという記録も発見されている。



   
     
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