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2015年07月21日

大社(たいしゃ)


 大社(たいしゃ) 

 大きな神社といった意味。


 単に大社(おおやしろ)といえば一般的には江戸時代までは杵築大社(現 出雲大社)・熊野大社(いずれも島根県)の二社が名乗った。

 平安時代初期の
   延喜式神名帳
に大社として列格される492の神社、または「〜大社」と名乗る神社があるが明治時代から1945年(昭和20年)までは大社を名乗るものは出雲大社のみであった。
 戦後は旧官幣大社・国幣大社・官幣中社の神社のうち26社が大社を名乗っている。



 戦後、旧官幣大社や旧国幣大社など大社格の神社で大社を名乗ったところが多く、現在、大社を名乗っている神社は出雲大社・熊野大社の二社のほか、気多大社(石川県)、諏訪大社(長野県)、南宮大社(岐阜県)、三嶋大社・富士山本宮浅間大社(静岡県)、多度大社(三重県)、日吉大社・多賀大社・建部大社(滋賀県)、松尾大社・伏見稲荷大社(京都府)、住吉大社(大阪府)、春日大社・龍田大社・広瀬大社(奈良県)、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社(和歌山県)、宗像大社・高良大社(福岡県)などがある。
 

また、梅宮大社(京都府)や大鳥大社(大阪府)のように表記が定まらないものもある。

 また平野神社(京都府)もかつては扁額に「平野大社」と書かれていた。



  

     
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2015年07月17日

神社


 神社は日本の宗教の神道の祭祀施設である神社は現在およそ85000あるという。

 創建されたのが4世紀5世紀という神社も数多く見られる。

 古くは神聖な山、滝、岩、森、巨木などに「カミ様」が宿るとして敬い、社殿がなくとも「神社」としている自然崇拝としてのご神体も多い。

 現在の社殿を伴う「神社」では、これらの神々が祀られた祭殿が常設化したものとされ、神は目に見えないものであり、神の形は作られなかった。


 神社の社殿の内部のご神体の多くは、神が仮宿する足場とされた御幣や鏡であったり、あるいはまったくの空間であることもある。 

 参拝者が、それを敬い、畏怖し、そして感謝するという行為は、太古の時代に自然発生的に各地で生まれたものといわれ、未知なるものに囲まれていた昔の人々は、それらを全て解明しようとせずに、一部を神聖化、神格化して、奉ったともされる。


 生命や日々の生活に対する不安や喜びや感謝や願いや望みなどが、謙虚さを伴った結果であり個人が信仰していたものが、徐々に地域の人々、集合体として奉るようになり、それが次第に形を持って、「神社」になっていったものとも推測されている。


 また、霊力や権力を持ったものを中心に成立していったものもあり、神社の中には、故人(特に皇室や武人)を神格化して奉った神社や古墳などの上に設置されたものも数多くある。

 

 仏教とは異なり、神道はもともとが自然崇拝、自然信仰で、生活であり、感謝、記念、尊敬だったといわれている。


 そのため、人知力では適わない自然の影響を受けやすい五穀豊穣、無病息災を祈り、子孫繁栄を願い、日々の生活の向上を望むものとなった。

 作物を献上し、感謝の意を示すことが多い。


 多くの神社は今も地域の人々に守られ共同体の中にある。



  

     
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2015年07月09日

羽束師神社(はつかしじんじゃ)


羽束師神社(はつかしじんじゃ)

 京都府運転免許試験場から直線で約六百メートル北、西羽束師川に沿った所にある神社で遠くからでも鎮守の森が望まれる京都市内でも最古の神社の一つとされる。

 正式には
   「羽束師坐高産日神社(はづかしにますたかみむすひじんじゃ)」
と呼ばれ、主祭神として
   高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
相殿に
   神皇産霊神(かみむすびのかみ)
をお祀りしている。


 この両神は、天地開闢の際、高天原に現れて万物を造化したという三神の内の二神(他は天御中主神)で神名の「産霊(むすひ)」とは、万物の生産、生成を意味する言葉で、その成長する力を霊力とすることから、生産向上や諸縁むすび、安産の御利益があるとされている。
 
 
 また、高皇産霊神は、別に高木神(たかぎのかみ)とも呼ばれ、御神木や神籬(ひもろぎ)との関係が深い神様。

 古代からの神社の多くが社殿が建立される以前、神道では、祭事の際には、巨木(御神木)の周囲に注連縄や玉垣で囲った聖地となる場所(神籬)を造り、そこに神の降臨を招いて祭祀を行っていた。
 
 
 農耕が生活の中心になるに従い、農耕神(田の神)として信仰され、その降臨を仰ぐ様々な祭礼行事に関わりのある天神とされるようになった。

 そして、五穀豊穣を祈願する人々の間に稲霊(いなだま)を崇める「産霊(むすひ)」信仰が育まれた。
 収穫時期に新穀を神と共に新嘗(しんじょう)する農耕行事は、その最も重要な祭儀となりました。

 
 高皇産霊神は、皇室や朝廷にとって最も重要な神の一つとして宮中の神祇官西院に設けられた八神殿に祀られました。

 天照大神(あまてらすおおみかみ)が皇祖神とされる以前は、この高皇産霊神が天皇家の祖神だったという説もある。

 この祭神を祀る神社は「延喜式神名帳」記載の古社中で数社、京都では宮中を除いて羽束師神社のみとのこと。



 桂川や旧小畑川等の諸河川が合流する羽束師周辺地域は、乙訓郡羽束郷と称され、長岡京の都の東端に位置した地域で水上交通の要衝の地でもあり、農耕地として古くから栄えたところであったといいます。

 
 良質の泥土も採取されることから、土器や瓦の製作、石灰の加熱精製等も行われていた。

 そのためか、羽束師(はつかし)」とは、土や泥を意味した言葉で「泊橿部」「泥部」「埿部」等と称した瓦や土器等の製作に携わった職業集団と関係が深い地名と考えられている。
 

 平成の発掘調査によって、神社の西方の長岡京の左京・四条四坊に当る旧址から、祈願の際に献上される土馬が発掘されており、この地域の陶工集団が作ったものと考えられている。

 羽束師神社は、この地の羽束氏がその祖神を祀った神社とも見られている。


 

 文政年間に著された「羽束師社舊記」によると、羽束師神社は、古代の雄略天皇二十一年丁己(477)の創建と伝えられ、その後、天智天皇四年(665)に勅命によって中臣鎌足が再建、延暦三年(784)長岡京遷都の際にも再建されたという。
 
 「大乗院寺社雑事記」の文明十四年(1482)九月一日条には、「八月二十七日二十八日、西岡羽束石祭、守菊大夫楽頭、随分得分神事也、百貫計得云々、当座ニ六十貫計懸物在之云々、盛物等大儀講也云々」とあの記録があり、祭礼には宇治猿楽守菊大夫が、楽頭職として盛大な神事能を演じたとの記録がある。

 
 羽束師神社の年中行事としては、五月中旬の羽束師祭(羽束師の舞・こども神輿)、十月中旬の例祭(舞楽奉納)等が知られている。




  

     
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2015年07月07日

神宮(じんぐう)


神 宮

 奈良時代に成立した日本の歴史書である
   日本書紀
では、伊勢神宮と石上神宮のみが「神宮」と記載されていた。

 日本書紀は日本に伝存する最古の正史で、神代から持統天皇の時代までを扱った六国史の第一にあたり、舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。
 漢文・編年体をとり全30巻と系図1巻が付属した。

 
 平安時代に成立した
   延喜式神名帳
では、石上神宮に代わり鹿島神宮と香取神宮が「神宮」と記載された。

 なお、江戸時代まで「神宮」を社号とする神社は、この3社のみであった。


 明治以降、天皇、皇室の祖先神や大和平定に功績のある特定の神を祭神とする神社の一部が、社号を「神社」から「神宮」に改めた。
 第二次世界大戦終戦までは、「神宮」の社号を名乗るためには勅許が必要とされた。
 

 戦後は神社の国家管理は廃止され、「神宮」号を名乗る際に勅許は不要となった。

 なお、現在でもなお神社本庁傘下において、「神宮」を公式な社号として名乗る神社は特別の由緒を持つものに限られている。


 神社本庁に属する神社で「神宮」号を公式に称したのは、神社本庁の特別な承認を受けて改称した北海道神宮(旧札幌神社・北海道)、伊弉諾神宮(旧伊弉諾神社・兵庫県)、英彦山神宮(旧英彦山神社・福岡県)の3社のみ。


 神社本庁に属さないところは神社本庁からは独立しており「神宮」号を称した新日吉神宮や山辺神宮の例もある。


 神社本庁に属していても、通称として「神宮」号を冠する神社(河尻神宮・西岡神宮など)もある。



 伊勢神宮(皇大神宮)の祭神天照大神を分霊し「大神宮」「皇大神宮」と名乗る神社は全国各地にある。
 これらは「神宮」の社号とは異なるものとされる。



  

     
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2015年07月06日

菱妻神社(ひしづまじんじゃ)


菱妻神社(ひしづまじんじゃ)

 京都市伏見区久我石原町
 桂川に架かる桂川橋(名神高速道路橋梁)西詰に位置する。
 
 
 一の鳥居と境内の間(境内から数十メートル南)には、名神高速道路が東西に横切っている。

 なお、同名の神社が、直線で約八百メートル北の南区久世築山町にあり、久我(こが)と久世(くぜ)と読みは違いますが、漢字が似ていて、神社名が同じということで、訪問の際は要注意)


 祭神 天兒屋根命(あめのこやねのみこと)

 創建は、平安時代後期の第七十四代鳥羽天皇の永久元年(1113)二月、現在の久我地域を代々領有した久我家の祖になる右大臣源雅実(みなもとのまさざね 1058〜1127)が、奈良の春日大明神から藤原氏の祖神・天児屋根命を勧請した。

 村上源氏の守護神として火止津目大明神(鎮火の神)として崇め祀ったことに始まるとの伝伝承がある。
 
 鎮座当時は政権の実力者が勧進したものであったことから広大な社領地があったものの、桂川の大洪水に犯され縮小したと伝えられている。
 また、久寿元年(1154)には菱妻大明神に改め、以来、藤原氏や源氏の氏神であると共に、火止津目の名のごとく火災等災いを鎮め平和をもたらす神として崇敬されている。

 また、学問文筆上達の御神徳の高い神としても有名だった。

 創建当時においては華やかな御遷宮が行われたことは、「千種の花を手につみいれて 御所へまいらせ 御所へまいらせ」と囃された当時の古歌からも偲ばれる。


 神社の祭事の中で、特に五月に行われる神社の氏子祭の起源は古く、室町時代の十五世紀には、ほぼ現在の形で行われていたと考えられる。

 神幸祭は「御出(おいで)」といい、かつては夜に行われ、久我村中の者が、鉢巻きにたすき掛けで、「せじゃろや(先女郎)、せじゃろや」と囃し、また、先女郎という女の子が供したという。

 中世には競馬、猿楽、田楽等も行われていたという。


 
 還幸祭は「千種祭(ちくさまつり)」といい、かつては牛車の供もあり、牛車は青・黄・赤・白・紫の五色の紙で作った造花で飾られ、男の子が乗って囃し言葉を歌ったという。

 現在も、千種祭には牛車が飾られ、神輿渡御も行われる。


 本殿周辺には、村上源氏の祖・具平親王(ともひらしんのう たいのしんのう)を祀る具平宮をはじめ、八幡宮、住吉神社、粟島神社、虫八幡宮、稲荷神社といった多くの末社が点在している。



  

     
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posted by まねきねこ at 20:43| 愛知 ☀| Comment(0) | 社寺仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 

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