ジークムント・マーシャル・ケンプナー(Sigmund Marshall Kempner)
1898年12月30日 - 1987年8月1日
米国の投資銀行家であり、後に
バンク・オブ・ザ・ウエスト(Bank of the West)
として知られるフレンチ・バンク・オブ・カリフォルニアの創設者である。
ケンプナーはニューヨーク市出身で、1919年にコロンビア大学ファイ・ベータ・カッパを卒業した。
銀行業界に入る前にはハーバード・ビジネス・スクールにも通っている。
1920年から1927年まで
ハイデルバッハ・イッケルハイマー商会(Heidelbach, Ickelheimer & Co.)
の常務取締役を務めた。
1942年まで
スターン・ケンプナー商会(Stern, Kempner & Company)
スペンサー・B・ロック商会(Spencer B. Rock & Company)
と共に同社のパートナーを務めた。
第二次世界大戦中はアメリカ陸軍財務部で中佐を務め、サンフランシスコ地区連邦準備銀行の
ビクトリーローン・プログラム
を率い、終身在職した。
ユダヤ人支援活動にも関わり、
全米難民救済サービス
の会計係を務め、サンフランシスコの
アメリカ・ユダヤ人委員会
の幹部も務めた。
ケンプナーはその後、1965年まで、西海岸ベンチャーキャピタルの先駆けと目されていた初期のベンチャーキャピタル会社
インダストリアル・キャピタル・コーポレーション
(ndustrial Capital Corporation)
の社長兼取締役を務めた。
彼はフレンチ・バンク・オブ・カリフォルニアの創設者兼会長で、同行は1980年代にバンク・オブ・ザ・ウエストに吸収合併された。
市民リーダーでもあった彼は、サンフランシスコの
フレンチ・アメリカン・インターナショナル・スクール
の創設者でもある。
また、パット・ブラウン知事の
ビジネス諮問委員会
の財務委員長も務めている。
彼は1981年、コロンビア大学から、同窓生の
ジョージ・シーガル
と共に、その卓越した職業功績により
ジョン・ジェイ賞
を受賞した。
また、レジオンドヌール勲章シュヴァリエとベルギーのレオポルド2世勲章も受章している。
ケンプナーは1921年、ペギー・グッゲンハイムの妹で
のベンジャミン・グッゲンハイム(Benjamin Guggenheim)の娘である
バーバラ・ヘイゼル・グッゲンハイム
と結婚した。
1987年8月1日、サンフランシスコで88歳で亡くなった。
遺族には2番目の妻
シャーロット・ケンプナー(Charlotte Kempner)
と2人の娘、4人の孫がいた。
義理の兄弟であるアラン・H・ケンプナー(Alan H. Kempner)は、
ローブ・ローデス商会(Loeb, Rhoades & Co.)
を設立した著名な銀行家
カール・M・ローブ(Carl M. Loeb)
の義理の息子である。
娘のシャーロット・ケンプナー・ビーズは、HIV/AIDSへの意識を高めるためのドキュメンタリーを制作した映画製作者として知られる。

