パトリック・ウィリアム・ドナー卿(Sir Patrick William Donner)
1904年12月4日 - 1988年8月19日
イギリスの下院議員
欧州経済に影響力のあるフィンランド・スウェーデン系ドナー家の一員でした。
彼の家族は1919年にフィンランドのヘルシンキからロンドンに移住した。
母はスコットランド出身のバイオレット・マクハッチェン、父は1919年から1925年までフィンランド初のロンドン外交使節団を率いた
オシアン・ドナー
である。
後に一家はイギリスに永住し、父はイギリス市民権を取得した。
ドナーはオックスフォード大学エクセター・カレッジで英文学を学び、後に実業界に入りした。
1931年の選挙でイズリントン西選挙区の保守党議員に当選した。
この選挙区は接戦であったため、ドナーは保守党中央本部の意向に反して、1935年の選挙で保守党の有力な議席である
ベイジングストーク
に選出された。
保守党中央本部は
サー・フランシス・オズワルド・リンドリー
を擁立していた。
ヘンリー・マクセンス・キャヴェンディッシュ・ドラモンド・ウルフ卿の文書によると、
オズワルド・モズレー卿
がドナー氏を面接し、ベイジングストーク選挙区の国会議員として適任かどうかを判断した模様である。
この選挙区は、以前は右派保守党のドラモンド・ウルフ氏とリミントン子爵という2人が議席を占めていた。
ドナー氏はまた、リミントン氏が資金提供し、英国人民党と密接な関係にあった
反ユダヤ主義・親ドイツ主義の雑誌「ニュー・パイオニア」
の記者でもあった。
国会において、ドナー氏は大英帝国とインド政策に積極的に関わり、
インド防衛同盟
で重要な役割を果たした。
第二次世界大戦中は英国空軍に従軍し、1953年の戴冠式でナイトの称号を授与された。
ベイジングストーク選挙区の国会議員を20年間務め、1955年の選挙で退任した。
1967年にはハンプシャー州の高等保安官を務めた。
ドナーの回想録『十字軍:悲惨な20世紀に抗う人生』は1984年に出版された。

