デュンダル・クルチ(Dündar Kılıç)
1935年 - 1999年8月10日
トルコの裏社会で悪名高きボスで「ゴッドファーザーの中のゴッドファーザー」という異名あった。
本名デュンダル・アリクルチ(Dündar Alikılıç)、
デュンダル・クルチは1935年、トルコ東部黒海地方トラブゾンのスルメネ地区の村で生まれた。
9歳の時に家族と共にアンカラに移住し、1年後に初めて銃を手に入れた。
14歳の時に初めて逮捕されたが、1960年代には既にアンカラの有力な犯罪者の一人として知られるようになっていた。
彼の主な収入源は
恐喝と違法賭博
で、彼は部下に、違法取引に関与した者からのみ金を回収させていたため
「善良なゴッドファーザー」
として知られるようになった。
トルコ捜査当局は彼に追いつき、彼は1960年に犯した殺人の罪で逮捕され、投獄された。
クルチは1965年に釈放された後すぐに
クルトグル家
から資金援助を受け、イスタンブール各地に「事務所」を設立し、違法な小切手・債券取引に利用した。
その後、クルチの法に触れる出来事は増えるばかりだった。
少なくとも3件の殺人、麻薬・武器の密輸に関与したとされ、数百回に及ぶ警察の尋問を受けた。
なお、長期間服役していたにもかかわらず、彼は獄中で容易に事業を掌握しており、不在は裏社会ではほとんど感じられなかったという。
クルチのために働くことは、裏社会における
威信の象徴
となった。
彼は「デリン」デヴレット( "Derin" Devlet ディープステート、闇の政府)の協力を得ていたとされている。
デヴレットとは、トルコ国内で秘密作戦を展開する正体不明の部隊を指すトルコ語の名称である。
クルチは1984年、
トルコ国家情報機構(MIT)
と地元警察による組織犯罪撲滅のための大規模合同作戦の一環として逮捕された。
当初11件の容疑で逮捕され、アンカラのママック刑務所に収監された。
クルチの娘、ヌリイェ・ウグル・クルチは、1995年1月20日、元夫で同じくマフィアのボス
アラティン・チャクチ
が送り込んだ銃撃犯によって射殺された。
クルチは夏の別荘に引きこもり、深い悲しみに暮れた。
ただ、報復としてはなぜこれがクルチとチャクチの間で本格的なギャング抗争に発展しなかったが、これは未だに不明である。
噂によると、実際にはクルチとチャクチが共同で命じた
名誉殺人
であり、それが彼が娘の復讐を果たさなかった理由であったというものだ。
ウグルはチャクチとまだ結婚していた時に彼を裏切ったとされており、クルチはこれを容認しなかった。
クルチは1999年8月10日、イスタンブールのアメリカン病院で64歳で亡くなった。
死去以前から、彼は眼癌、心臓、肺の疾患と闘病していました。
ドゥンダル・クルチはイスタンブールのジンジルリクユ墓地に埋葬されている。

