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2025年09月04日

デッド・ラビッツ(Dead Rabbits)

デッド・ラビッツ(Dead Rabbits)
 1830年代から1850年代にかけてニューヨーク市のロウアー・マンハッタンで活動していた
   アイルランド系アメリカ人のストリートギャング
の組織である。
 デッドラビッツの名は、ギャングの会合中に死んだウサギが部屋の中央に投げ込まれたことに由来している。
 一部のメンバーがこれを前兆と捉えて脱退して独立したギャングを結成した。
 彼らの戦闘シンボルは、槍に刺さった死んだウサギであった。
 彼らは、アイルランド系カトリック教徒を
   「脅威的で、犯罪的なサブカルチャー」
と見なす排外主義的な政治団体としばしば暴力的に衝突した。
 デッドラビッツは、ファイブ・ポインツのマルベリー・ストリート沿いで活動していたことが知られていた。
 このため、ニューヨーク市警察からは
   マルベリー・ボーイズ
   マルベリー・ストリート・ボーイズ
といったニックネームで呼ばれていた。
 ただ、アメリカの歴史家
   タイラー・アンビンダー
は、そもそもデッドラビッツはギャングとして存在せず、実際には自警団組織
   ローチ・ガード
のメンバーと誤認されたものだと主張している。

 創設地:ニューヨーク州マンハッタン、ファイブ・ポインツ(現在のワース・ストリート、バクスター・ストリート、コロンバス・パーク)、ニューヨーク市マンハッタン
 活動期間:1830年代〜1860年代
 活動地域:マンハッタン、ファイブ・ポインツ
 民族:アイルランド系およびアイルランド系アメリカ人
 犯罪活動:ストリートファイティング、ナイフファイティング、暴行、殺人、強盗、放火、暴動
 
◯同盟
 ・チチェスターズ
 ・プラグ・アグリーズ
 ・ローチ・ガード
 ・マルベリー・ストリート・ボーイズ
 ・フォーティ・シーブス
 ・ケリオニアン
◯敵対勢力
 ・オコンネル・ガード
 ・アメリカン・ガード
 ・トゥルー・ブルー・アメリカンズ
 ・エンパイア・ガード

 デッドラビッツは、19世紀初頭の
   マンハッタンで最大のアイルランド系犯罪組織
に成長し、召集時には100名を優に超える構成員を擁していたローチ・ガードへの不満を抱えたギャング団員によって結成された。
 彼らの最大のライバル・ギャング団は、ニューヨーク生まれで反移民政党
   ノウ・ナッシング
を支持する
であり、彼らはマイケル・ウォルシュを通じて、アイルランドで支配的なプロテスタント少数派やその背景を持つ移民と繋がりを持っていた。
 ハーバート・アズベリーは1927年の著書『ニューヨークのギャング:裏社会の非公式史』の中で、バワリー・ボーイズは反カトリックではあったもののアイルランド系ギャング団だったと述べている。
 これは一見矛盾しているように考えられるが、アイルランド島における両グループ間の宗教、文化、経済状況における根深い対立が新世界にまで持ち越されたものとも言える。
 1834年から10年間にわたり、この二つの敵対するギャングは200回以上のギャング抗争を繰り広げた。
 また、しばしば警察や州民兵を圧倒した。
 ストリートファイトに加え、デッドラビッツはフェルナンド・ウッドや
といった、移民や少数民族の福祉と利益を政策に掲げる政治家を支援した。
 また、アイザイア・リンダースの指揮の下、選挙時には
   有権者を暴力的に説得
したうえ、自らの候補者に投票させる執行者として活動した。
 都市伝説によると、デッドラビッツの中で最も恐れられたのは「ヘルキャット・マギー」という女性であった。
 彼女は歯を尖らせ、真鍮の爪をつけて戦場に赴いたと伝えられている。
 1857年7月4日、デッド・ラビッツとロンドン警視庁、そしてバワリー・ギャング団がベヤード・ストリートで市警、マルベリー・ストリート・ボーイズ、ローチ・ガード、そしてデッド・ラビッツを相手に長期にわたる暴動を起こした。
 こうした背景もあり、デッド・ラビッツのメンバーは、南北戦争中の1863年の
   ニューヨーク徴兵暴動
や1870年と1871年の
   オレンジ暴動
にも参加していた可能性がある。
 これらの暴動はいずれも、アイルランド・プロテスタントの主要な年次記念日で1690年の
   ボイン川の戦い
の勝利を記念して
   オレンジメンズ・デー(Orangemen's Day)
と呼ばれる勝利日が7月12日に行われることから同時期頃に発生し、アメリカ合衆国における2つのアイルランド人コミュニティ間の緊張を高めた。
 そして今日でも、同時期に近づくと、北アイルランドでは緊張が続いている。
 1866年までに、デッド・ラビッツが現在も存在する組織としてニューヨーク市の新聞に掲載されることはなくなり、過去形で言及されることもあった。
 なお、「デッドラビット」という用語は、1870年代には暴動を起こす人々やグループの総称として使われていた。
 ただ、アメリカの歴史家
   タイラー・アンビンダー
は、デッド・ラビッツ・ギャングが存在したという証拠はなく、この組織名はローチ・ガーズを誤って名乗ったものだと主張している。
 また、アンビンダーの記述によると、バワリー・ボーイズとローチ・ガーズ間のギャング抗争の後、記者たちは
の取材で手に入れた情報に大きく依存していた。
 バワリー・ボーイズは、ローチ・ガーズを泥棒を意味する俗語「デッド・ラビット・パーティー」で汚名をきせたとみられる。
 ただ、ファイブ・ポイントの住民がその馴染みのない名称に驚きを隠さなかったにもかかわらず、報道機関はこの名称を使い続けた。
 アンビンダーは、「バワリー・ボーイズの敵対勢力を
   デッド・ラビッツ
と呼ぶことには正当性がないようだ」と述べている。

   
posted by まねきねこ at 06:29| 愛知 | Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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