ファーマーズ・アンド・マーチャンツ銀行(Farmers and Merchants Bank F&M)
カリフォルニア州ロサンゼルスのダウンタウンに拠点を置く貸付機関(1871年〜1952年)であった。
その建築様式と、初期のロサンゼルスの経済発展における中心的な役割で知られている。
アメリカ全土の様々な都市や町には、F&Mとは無関係の「F&M銀行」が存在た。
ファーマーズ・アンド・マーチャンツ銀行は、1871年にロサンゼルスの著名な実業家23人によって設立された。
当初の資本金は50万ドルであった。
出資額の上位3人は、投資家の
イサイアス・W・ヘルマン(10万ドル)
元カリフォルニア州知事
ジョン・G・ダウニー(10万ドル
そして後に南カリフォルニア大学の創設者となる
オズロ・W・チャイルズ(5万ドル)
である。
その他の投資家には、
チャールズ・デュコマン(2万5000ドル)
I.M.ヘルマン(2万ドル)
ホセ・マスカレル(1万ドル)
などがいた。
当初の所在地は、メインストリート沿いのピコビル(現在の国道101号線とテンプル大学の間、トリフォリウムの跡地とほぼ同じ)であった。
ファーマーズ・アンド・マーチャンツ銀行は、ロサンゼルスで最初の法人化された銀行であった。
ファーマーズ・アンド・マーチャンツ銀行は、ロサンゼルスで最初の法人化された銀行であった。
1871年に
イサイアス・W・ヘルマン
によって設立された。
ヘルマンは、1859年にロサンゼルスに移住した、成功した商人、不動産投資家、銀行家であった。
彼は、カリフォルニア州第7代知事ジョン・G・ダウニー、そしてイサイアスの弟ハーマン・W・ヘルマンと共に設立された。
ダウニーが初代頭取に任命され、イサイアスが実際に銀行を経営した。
イサイアスは1890年から1920年に亡くなるまで頭取を務めた。
銀行は1874年、ピコ・ビルの向かいに建築家
エズラ・F・カイザー
の設計による新しい事務所を建設し、移転した。
ロサンゼルス国立銀行もピコ・ビルに移転した。
1883年、F&M銀行はメインストリートとコマーシャルストリートに再び移転した。
I.W. ヘルマンは慎重な貸し手であり、大口の借り手は信用力が高く、十分な担保を提供することを重視する姿勢を貫いた。
その後の頭取、J.A. グレイブス(ヘルマンの弁護士だった)とビクター・H・ロゼッティはヘルマンの保守的な慣行を継承した。
銀行の資本の大部分を常に財務省証券で保有した。
その結果、銀行は1873年恐慌、1893年恐慌、1896年恐慌から世界恐慌に至るまで、あらゆる経済恐慌期を乗り越えることができた。
ただ、ダウンタウンに支店が1つしかない銀行は、最終的には成長を続ける見込みがないと判断された。
ただ、ダウンタウンに支店が1つしかない銀行は、最終的には成長を続ける見込みがないと判断された。
1956年、セキュリティ・ファースト・ナショナル・バンク(後にセキュリティ・パシフィック・ナショナル・バンクとなり、最終的にバンク・オブ・アメリカに買収されました)と合併した。
1905年以前の銀行の所在地は、メインストリートとコマーシャルストリートの南東角であった。
クラシカル・リバイバル様式で設計された1905年建造の
ファーマーズ・アンド・マーチャンツ・バンク
は、世紀の変わり目に流行した初期の「金融の殿堂」の南カリフォルニアにおける最も優れた例の一つでもある。
ローマ神殿を思わせる2階建てのファサードは、コリント式の柱で囲まれた入り口と、その上に大きな三角形のペディメントが飾られていた。
1905年に建設されたこの銀行は、モーガン・アンド・ウォールズ社によって設計された。
現在の、ファーマーズ・アンド・マーチャンツ・バンクの建物は、ロサンゼルス歴史文化記念物第271号に指定されている。
照明器具、中央の天窓、ビクトリア朝様式の手すりを備えたロッジアなど、元の銀行室の大部分がそのまま残っている。
1980年代後半に閉鎖されるまで銀行として営業していたこの建物は、現在では主に特別イベントや宴会の会場、そして映画のロケ地として利用されている。
この建物は、開発業者の
トム・ギルモア・アンド・アソシエイツ
によって改修される予定である。