ジャック・コレーズ(Jacques Corrèze)
1912年2月11日 - 1991年6月28日
フランスの実業家、政治家。化粧品・美容製品の世界大手企業
ロレアル・アメリカズ(コスメア)
の米国拠点の最高経営責任者。
フランスのファシスト指導者でファシスト寄りの暴力的な反共産主義団体
「革命行動秘密委員会」(CSAR)(通称ラ・カグール)
の設立者でもある
ウジェーヌ・ドロンクル(Eugène Deloncle)
の秘書を務めた。
コレーズは、ラ・カグールの一員だった。
初期の頃、ロレアルの創設者
ウジェーヌ・シュレール
はラ・カグールに資金援助し、ロレアル本社で会合を開催していた。
第二次世界大戦中、コレーズとウジェーヌ・シューレール、そして他の多くのロレアル幹部は、
ヴィシー政権
の非常に積極的な支持者だった。
ゲシュタポがデロンクル(Eugène Deloncle 1890年6月20日ー1944年1月17日)の家を襲撃し、彼を殺害し、息子のルイ・デロンクルに重傷を負わせた。
このとき、コレーズはそこにいたが逃げ出した。
彼は後にデロンクルの未亡人メルセデス・デロンクルと結婚した。
戦後、コレーズは数々の罪で有罪判決を受けた。
フランスで懲役10年の刑を宣告され、5年の刑期を終えて釈放された。
その後まもなくロレアルの上級役員となり、米国民間企業でロレアルの米国における唯一のライセンス保有者である
コスメア(Cosmair, Inc.)
の会長に就任した。
ロレアルがイスラエルに製造工場を持つ
ヘレナ ルビンスタイン社(Helena Rubinstein Incorporated)
を買収したことが明らかになり、アラブ連盟がロレアルに対するボイコットを開始した。
その後、コレーズ氏はアラブ連盟経済ボイコット局の要請に応じるためアラブ諸国政府との交渉を担当していた。
コレーズは1991年に反ユダヤ主義行為への積極的な参加と反共産主義の
フランス義勇軍団
の所属を理由に特別捜査局(米国司法省)の捜査も受けた。
コレーズは1991年にロレアルを辞職したが、健康上の理由ではないと主張した。
しかし、彼は米国を離れることを余儀なくされ、 1週間後に膵臓癌でパリで79歳で亡くなった。
彼の妻はその3年前に亡くなった。