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2024年10月30日

フィリップ・アーノルド(Philip Arnold) 伝説のダイヤモンド詐欺事件の首謀者

フィリップ・アーノルド
    (Philip Arnold)
   1829年頃 - 1878年
 ケンタッキー州エリザベスタウン出身の詐欺師
 1872年に人々を騙して
   偽のダイヤモンド採掘事業
に投資させた伝説のダイヤモンド詐欺事件の首謀者であった。
 彼は詐欺から50万ドル以上を持ち逃げした。
 
 アーノルドは
   米墨戦争
に従軍した当時は、教育を受けていない
   帽子職人の見習い
だったが、その後、1849年のゴールドラッシュでカリフォルニアに渡った。
 そこである程度の成功を収め金を蓄えて、故郷のケンタッキーに戻り、農場を購入し、結婚して家庭を持つことができた。

 1870年までに一攫千金を夢見て彼は西部に戻り、
   鉱山労働者
と探鉱者として働き始めた。
 彼と従兄弟の
   ジョン・スラック
は、当時サンフランシスコの
   ダイヤモンド・ドリル・カンパニー
の会計補佐をしていた友人の
   ジェームズ・B・クーパー
から工業用グレードのダイヤモンドを入手した。
 彼らはそのダイヤモンドを、アーノルドがアリゾナのインディアンから買った
   ガーネット、ルビー、サファイア
と混ぜて入れた宝石箱のは言ったバッグを地元の実業家
   ジョージ・D・ロバーツ
の事務所に持ち込み、これまで発見されていなかった鉱脈から宝石を見つけたと話した。

 彼らはロバーツに秘密を守るよう誓わせ、宝石を事務所に保管するよう頼んだ。
 しかし、ロバーツは欲が膨らみ秘密を守れず、最終的にカリフォルニア銀行の創設者
   ウィリアム・C・ラルストン
やアズベリー・ハーペンディング、ウィリアム・レント、ジョージ・S・ドッジ将軍など、他の数名をアーノルドの罠に引き込んだ。
 彼らは協力して、アーノルドとスラックの買収を提案して5万ドルの頭金を支払った。
 アーノルドとスラックは手にした5万ドルを使ってイギリスに出向いて、さらに約2万ドル相当の未加工の宝石を手に入れた。
 そのうちのいくつかを持ってサンフランシスコに戻り、ロバーツとその投資グループをさらに説得した。
 残りは後で発見されるために隠しておいた。

 その間に、ラルストンらはアーノルドの宝石のサンプルをニューヨーク市に送って
に検査させた。
 ティファニーはマディソン・アベニューにある弁護士
   サミュエル・バーロウ
の自宅で会合を開き、さらなる投資家を募った。
 会合にはティファニーの顧客でもあるジョージ・B・マクレラン、米国下院議員ベンジャミン・フランクリン・バトラー、ホレス・グリーリーといった著名人も含まれていた。

 ティファニーは、宝石の価値をアーノルドがイギリスで宝石を購入するために実際に費やした2万ドルをはるかに上回る15万ドルと
   大幅に過大評価
した。
 これにより、詐欺師は新しい投資家からすぐにさらに10万ドルを手に入れ、それをロンドンに持ち帰った。
 そこで彼は、彼らの関心を引くために、さらに8,000ドル相当の未加工の宝石を購入した。

 結局、投資家たちはその
   宝石の産地
を訪問することを要求し、アーノルドとスラックはコロラド準州北西部の人里離れた場所にダイヤモンド原石を埋めて仕込んだ。
 彼らは1872年6月にセントルイスから投資家たちを案内した。
 ワイオミング準州のローリンズの町に汽車で到着すると、彼らはそこから馬に乗って旅を続けた。 
 しかし、アーノルドとスラックは正確な場所を秘密にするため、田舎を通る4日間の混乱した旅にグループを導いた。

 1872年6月4日、アーノルド、スラック、そして仲間たちは、ついに以前宝石を仕込んだ場所に到着し、投資家たちに採掘を始めるよう勧めた。
 1時間以上採掘したところ、宝石が大量に発見され、すべてが終わる前に、彼らはアーノルドに、その土地に対する将来の請求権の残りとして45万ドルを与えた。

 1872年10月、米国内務省がイェール大学の地質学者
   クラレンス・キング
が率いる調査隊を派遣して現場を視察したときにこの偽装が発覚した。
 キングはすぐに、さまざまな種類の宝石の原石としての鉱物が異なる条件下で形成され
   単一の鉱床
で一緒に見つかることは決してないだろうと推測した。
 そのため、キングはそれが詐欺であると結論づけた。
 すぐにサンフランシスコに赴いて銀行家の
   ラルストン
と他の投資家に知らせ、1872年のダイヤモンド偽装を暴露した。

 詐欺が発覚するまでの間に、アーノルドは計画から得た収益で、故郷のエリザベスタウンに2階建てのレンガ造りの家と、近くの農地約500エーカーを購入していた。
 その土地はすべて妻メアリーの名義であった。
 1873年、アーノルドは自ら銀行業に参入することを決意し、廃業したエリザベスタウンの金融機関を買収した。
 しかし、1878年に町の別の銀行家との確執に巻き込まれ、肩にショットガンで重傷を負った。
 銃撃事件の6か月後、肺炎で49歳で亡くなった。
 国外逃亡したジョン・スラックは1896年にニューメキシコで亡くなった。
 
 1968 年のテレビシリーズ「デスバレー・デイズ」には、この詐欺事件に基づいた
   「グレート・ダイヤモンド鉱山」
というエピソードが制作され、アーノルド役は俳優ギャビン・マクロードが演じた。

   
posted by まねきねこ at 20:00| 愛知 ☁| Comment(0) | イベント 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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