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2024年10月07日

パーズ銀行(Parr's Bank Limited ) 1782年から1918年まで存在したイギリスの銀行 ナットウェスト・グループの前身の一つ

パーズ銀行(Parr's Bank Limited )
 1782年から1918年まで存在したイギリスの銀行
 イギリスのランカシャー州ウォリントンに
   パー&カンパニー(Parr & Co.)
として設立された。
 1918年にロンドン・カウンティ・アンド・ウェストミンスター銀行に買収され、銀行・保険持株会社
の前身の一つとなりました。

 1905年の著作で、ウィリアム・ハワースはパーズを「国内最大の合併銀行の一つ」であり「金融界の勢力」と評した。
 銀行の歴史は18世紀後半に遡り、おそらく1782年に始まった。
 最初の共同経営者は、砂糖工場の
   ジョセフ・パー
と義理の兄弟
   マシュー・リヨン
弁護士の
   ウォルター・カーフット
であった。
 その後、共同経営者の名前は変わり、会社はパー&カンパニー、パー・リヨンなど様々な名前で知られたのち、ウォリントン銀行として知られるようになった。

 パーズは1865年までウォリントン、ランコーン、セントヘレンズに支店を持つ地方銀行であった。
 その後パーズ銀行という名称で株式会社となった。
 リバプール国立銀行を含む一連の買収により、パーズはチェシャー、ランカシャー、スタッフォードシャーに拠点を築入れ勢力を広げた。
 1890年までに22の支店と21の支社を持つようになった。

 パーズ銀行の最も重要な戦略的動きは、1891年にロンドンの小さな銀行
   フラー・バンバリー・ニックス・アンド・カンパニー(Fuller, Banbury, Nix & Co)
を買収したときで、この買収によりパーズは
   ロンドン銀行手形交換所
に席を置くことが出来た。
 近くで本社をおいたままで活動していたリバプール銀行とは対照的に、買収直後に本社をロンドンに移転させた。
 ロンドンに最初の拠点を置いたことで、 1892年の
   アライアンス銀行
の買収によって実質的な基盤が築いた。
 アライアンス銀行は
   金融再建
によりリバプールとマンチェスターの支店を売却し、ロンドンに12の支店を持っていた。
 アライアンス銀行の知名度からの信用の重要性を認識し、銀行名は「Parr's Banking Company and the Alliance Bank」に変更した。
 他のロンドンの小規模銀行も買収され、1896年にはアライアンス銀行よりわずかに規模が小さい
   コンソリデーテッド銀行
を買収した。
 コンソリデーテッド銀行はマンチェスターに支店を持つロンドンの銀行であった。
 この時点で、名前をパーズ銀行に戻した。

 1890年代には、パーズがミッドランドと南西部で買収に乗り出した時期で、重要なものとしては、1902年の
   パーズ・レスターシャー銀行
1914年のクロンプトン・アンド・エバンスの
   ダービー・ユニオン銀行
が挙げられる。
 しかし、最も大きな買収は
   スタッキーズ銀行(1909年)
であり、「イングランド西部で大きな力を持ち、イングランド銀行以外のイングランドのどの銀行よりも紙幣の流通量が多かった」。
 
 スタッキーズ銀行を創業した
   サミュエル・スタッキー
はサマセット州ラングポートを拠点とする雑貨商人で1770年代までには、スタッキーに資金を預ける顧客によって銀行業の萌芽が生まれた。
 1782年までにスタッキーはロンドンに代理店を持ち、1806年までには銀行業として成長したため、スタッキーは
   ラングポート銀行
として別個に設立した。
 支店は直ちにブリッジウォーターとブリストルに開設され、銀行のパートナーが6人までという制限を回避するために別個に設立された。
 1826年の法律に従って、この銀行は合資銀行となった最初の銀行の1つとなった。
 支店は正式にスタッキー銀行会社に編入された。
 その後10年間で、スタッキーは7つの地元銀行を買収し、ロンドンに事務所を開設した。
 スタッキー銀行の著名なメンバーの1人は、後にエコノミストの編集者となり、1855年に経営委員会の書記に任命された
   ウォルター・バジョット
であった。
 スタッキー銀行は新しい支店を開設するだけでなく、買収を続け、最後の買収は1883年のティバートンの
   ダンズフォード
であった。
 1909年の買収時までにスタッキー銀行の預金残高は700万ポンドであった。
 これに対し、パー銀行は3100万ポンドであり、タッキー銀行の買収によりこの銀行はイングランドで6番目に大きな株式会社銀行となった。
 
 1914年に第一次世界大戦が勃発するまでに、パーズは400近くの支店と支社を抱えていた。
 1918年にパーズはロンドン・カウンティ・アンド・ウェストミンスター銀行との合併に同意した。
 パーズの会長は「我々はホーム・カウンティの非常に広い地域へのアクセスを得る。彼らはランカシャーやレスター、ダービーといったミッドランド地方の主要都市への第一級の案内を得るとともに、イングランド西部との非常に貴重なつながりを得る」と主張した。

 拡大した銀行はロンドン・カウンティ・ウェストミンスター・アンド・パーズ銀行と改名され、1923年に
   ウェストミンスター銀行
に短縮された。

 ウォリントンの元のパーズバンクの建物は2020年にイギリスの建設会社
   YPグループ
が買収し、高級ブティックホテル、コーヒーショップ、イベントスペースに改装した。
  
   
posted by まねきねこ at 06:17| 愛知 ☀| Comment(0) | よもやまばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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