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2024年08月29日

ジミー・ドナル・ウェールズ(Jimmy Donal Wales ) 百科事典プロジェクト「ウィキペディア」の共同創始者

ジミー・ドナル・ウェールズ(Jimmy Donal Wales )
   1966年8月7日生まれ
 ウィキメディア財団の名誉理事長
 同財団が運営する百科事典プロジェクト「ウィキペディア」の共同創始者
 プロジェクトリーダーBomisの筆頭株主
 ウィキウィキサイトのホスティングサービス「Fandom」の共同創設者でもある。
 ジンボ・ウェールズ(Jimbo Wales)の名でも知られる。

 米国のアラバマ州ハンツビルで生まれ、アラバマ州オーバーン大学を卒業後、シカゴにある先物オプション企業にディーラーとして勤務した。
 退職後、ティム・シェルと
   Bomis
を創業した後、インターネットのウェブ上で展開する百科事典プロジェクト「ヌーペディア」を始めた。
 しかし、ヌーペディアが
   厳しい査読制度
をとっていて発展速度が遅かったことから、ヌーペディアの査読者
   ラリー・サンガー
の勧めに従い、ウィキを使って自由な執筆を可能にした新たな百科事典プロジェクト「ウィキペディア」を創設した。
 ウェールズはカリフォルニア州からフロリダ州に転居するとともに、ウィキペディアのサーバーもフロリダ州セントピーターズバーグに移転した。
 ウィキペディアの発展に伴い、2003年に非営利法人「ウィキメディア財団」をフロリダ州タンパに設立した。
 2004年にアンジェラ・ビーズリーとウィキア社を設立、ウィキを使った商用コミュニティサイトの経営に乗り出した。
 同年、ウィキメディア財団の運営により重心を置くことに決め、同年6月、Bomis CEO の座をティム・シェルに譲った。
 財団の理事が定足5名に達すると、理事会議長を兼任した。
 その後、2006年10月に退任し、名誉理事長となった。

 財団は同年12月に定款を改定し、会員制度の廃止とともに、終身会員や終身理事の規定を撤廃した。
 なお、ウェールズも他の理事と同様の任期付きの理事となった(ただし再選についての制限はない)。

 2004年夏に、講演などのため、初めてヨーロッパを訪問した。
 以後、世界各地で講演活動や第三世界での教育に関わるシンポジウム出席などを行っている。
 また、現在はハーバード大学バークマンセンター客員研究員、クリエイティヴ・コモンズ理事など、フリーカルチャーに関係する他の機関にも名を連ねている。

 2007年3月に来日し、公開インタビューや、ウィキアのプロモーションを行った。
 2010年エドゥアルト・ライン財団文化賞を受賞した。
 2015年ダン・デイヴィッド賞受賞した。

 2017年には、フェイクニュースへの対抗として、有償のプロのジャーナリストとボランティアのコミュニティーで作るニュースサイト「ウィキトリビューン」を設立した。

 1997年にフロリダで結婚した。
 カナダのジャーナリスト、レイチェル・マースデン(Rachel Marsden)と短期間の交際が報じられている。
 これは、ウィキペディア上に記載されたマースデンの伝記事項について、マースデン本人がウェールズにコンタクトを取ったことが発端。
 マースデンはそれまでに何度もウィキペディアに対して自身の伝記事項を削除するように求めており、2006年にはウェールズに記載が誤りに基づく中傷であると連絡した。
 ウェールズは彼女の伝記事項の記述を調べ、その記載の水準が十分ではないと見なし、彼女に対してこれを改変する手助けをしたと伝えられている。

 2008年2月29日、ゴシップ・ブログ『Valleywag』は二人が交際中であると報じ、彼らのチャットとされるものを公開した。
 その翌日、ウェールズは自分のウィキペディア・ユーザーページにおいて、もう彼女とは関係がない、との発言をした。
 一方、マースデンの側はウェールズのその記述を読んで関係の終焉を知らされたとして、ウェールズが彼女のアパートに残していったとされるTシャツとセーターをeBay上でオークションに出している。

 ウェールズはラリー・サンガーがウィキペディアの共同設立者であることについて反論を公言した。
 ウェールズただ一人がウィキペディアの設立者であるとの発言をたびたび行っている。
 これはサンガーが雇われた従業員であったということを根拠にしたものである。

 2006年、ウェールズはボストン・グローブに対し、サンガーを共同設立者と呼ぶのは「ばかげている」と語った。
 しかしながら、すでに2001年9月の段階で、ニューヨーク・タイムズはサンガーを共同設立者と認識しているうえ、2002年のウィキペディアの最初のプレス・リリースでも、サンガーはウェールズとともに設立者とされていた。
 また、プロジェクトの初期段階での開発や方針付けに加え、フリーな百科事典を構築するためにWikiシステムを用いるアイデアはサンガーのものであった。

 運営費を賄うためにウィキペディア上部に自身の顔を映して寄付を募るバナーを掲載することがあるが、ジョークの種にもなっている。
 Google Chrome用の全てのページにバナーを映し出すアドオンや、ジミー・ウェールズの画像を猫の画像と入れ替えるアドオンなどが登場している。
 2021年12月、ウィキペディアを初めて編集するために使用されたパソコン端末(iMac)と非代替性トークン(NFT)化された初編集画面がオークションに出品され、合計約100万ドル(約1億1000万円)で落札された。
 オークションにより得られた収益の一部はウェールズが運営しているソーシャルメディアの資金に充当されるとしている。

  
posted by まねきねこ at 05:41| 愛知 ☀| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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