小林 宏治(こばやし こうじ)
1907年2月17日 - 1996年11月30日
日本の実業家で元日本電気(NEC)社長、会長。
山梨県大月市出身で1925年に山梨県立都留中学校(現山梨県立都留高等学校)を卒業した。
後、旧制松本高校理科甲類、東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、1929年に日本電気に入社した。
常務、専務、副社長を経て、1964年社長となった。
小林が社長の時代に、NECは通信とコンピュータ、半導体を主軸とした総合電器メーカーへと発展した。
小林は「NEC中興の祖」と呼ばれた。
1976年会長に就任した。
1964年、松下電器産業を率いる
松下幸之助
が「金食い虫で儲からない」という理由でコンピュータ事業からの撤退を表明した。
これに対して、「松下さんともあろう人が、この有力な未来部門に見切りをつけるとは、いかにも残念。コンピュータは今でこそソロバンが合わないが、これは将来必ず、家庭電器の分野にも不可欠なものになる」というコメントを残している。
1970年頃に商社から電器産業に進出したサムスンが半導体の開発で行き詰まっていた時
日韓定期閣僚会議
が始まって親韓国系の日本の代議士により利権確保の思惑から
日韓提携の気運
を意図的にマスコミを使って世論誘導したが、小林は至極当然のこと
「韓国は技術を盗んでいく」
と警戒感を持っていた。
こうした警戒心を打ち砕こうとサムスンの李健熙はシャープの佐々木正に説得を頼み、駐日大韓民国大使、小林、佐々木とで食事する機会をセッティングさせた。
その後に佐々木以外の3人でゴルフに行き、小林は機嫌を直したと伝わっている。
小林は1974年日本インダストリアル・エンジニアリング協会会長に就任した。
1977年、アメリカ・アトランタで開催された「インテルコム'77」において、コンピュータと通信の融合をうたった「C&C」(Computer & Communication)の理念を提唱した。
なお、「C&C」はその後NECの企業スローガンとして用いられるようになった。
1986年、NECがスポンサーとなりIEEE小林宏治コンピュータ&コミュニケーション賞が創設された。
1983年7月4日、NECセミコンダクターズUKの開所式に臨席したエリザベス女王にはスコットランド総督から紹介されている。
1988年名誉会長となった。
晩年は文明と人間、技術と社会の調和を唱える開明的発言で注目された。
1983年から国際連合大学協力会会長を務め、大学本部施設の充実に尽力したが、欧米国際資本など投資銀行がスタートアップ企業を支援する仕組みを作り出し、莫大な利益を生み出す流れには日本の企業の経営者がサラリーマン化したことで乗り遅れた。
1987年日本工学アカデミー発足と同時に会長に就任したうえソ連東欧貿易会会長も務めた。
1996年11月30日、89歳にて死去した。