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2024年06月29日

マサチューセッツ工科大学( Massachusetts Institute of Technology、MIT)

    (Massachusetts Institute of Technology、MIT)
 米国マサチューセッツ州ケンブリッジに本部を置く私立工科大学。
 1865年に設置された米国を代表する名門校のひとつで、コンピューターサイエンスや半導体開発、IT技術、電子工学など先端技術分野で画期的な研究が数多く行われた。
 歴代のノーベル賞受賞者は101人と、工科大学としては世界最多であり、MITメディアラボなど51の研究機関がある。
 最も古く権威ある世界大学評価機関の英国
   Quacquarelli Symonds (QS)
による世界大学ランキングでは、2013年版以来2025年版まで、ハーバード大学やケンブリッジ大学等を抑えて13年連続で世界第一位という記録的な偉業を達成している。
 その他の各種ランキングでも長年にわたって最上位グループに位置し、学部の合格率 4.8% は全米最難関に属する]。

 米国の大学の財政規模を示す大学基金(endowment)の額は、2024年時点で
   235億ドル(約3兆6000億円)
と全米トップレベルにある。
 保有資産が3000万ドル(約46億円)を超す超富裕層となった卒業生の数は、2022年時点で4000人超と国内の大学で第7位となっている。
 同じケンブリッジ市内で隣接する
   ハーバード大学
とは単位互換制度を設けるなど提携関係にあり、共同研究や共同コース開設なども盛んに行われている。

 MITはウィリアム・アンド・メアリー大学を卒業した自然哲学者
   ウィリアム・バートン・ロジャース
によってボストンの地に
   ボストン技術学校
の名で設立され、1865年にマサチューセッツ工科大学に改称し開学した。
 創立当初は一部の学生を除き、多くのMITの学生は社会人で、建設業者や熟練工、工事監督、熟練機械工、見習い工、熟練エンジニアなど既に一定の技能を身につけた人々だった。
 このため、明確な目的意識があり、必要と思われる講座のみを選択し受講しに来る者が多く、キャンパス・ライフは存在しなかった。
 MITには学生寮もなく、礼拝堂もなく、1867年まで食堂すら存在せず、学生はただ講義を聞くためだけに学校に来ていた。
 最初のうちは学生は男子のみだったが、1870年代になって初めて女子の入学を受け入れはじめた。
 MITは農学、軍事学及び工学を教える高等教育機関を設置するために、連邦政府所有の土地を州政府に供与された
   ランドグラント大学
でもある。
 他の科学的および古典的研究を排除し、軍事戦術を含むことなく、農業および機械工芸に関連する学問の分野を、州の立法府がそれぞれ規定するような方法で教え、生活におけるいくつかの追求と職業における産業階級の自由で実践的な教育を促進することを目的として設立された。
 1865年から1900年の間に約19万4千ドル(これは2008年時点の生活水準でいうところの380万ドルに相当)のグラントを得、また同時期にマサチューセッツ州から更なる約36万ドル(2008年時点の生活水準で換算して700万ドルに相当)の資金を獲得している。
 ヨーロッパでは歴史的に技術系の職業が低く見られ、近代半ばまで大学での「工学系学部」の位置づけも明確でなく、工学部設置も日本に先を越されている。
 この状況はアメリカでも強く、理工系専門の教育機関として創設されたMITも人々から偏見の目で見られていた。
 20世紀初頭にボストンでは開発ブームが起こり、不動産の高騰などによってMITは、これまでいたコプリー・スクェアの地を立ち退かなければならない事態となった。
 この開発ブームに拍車をかけたのは1865年以来、MITが送り出してきた数千人に及ぶ卒業生たちであった。
 MITは研究室ごとに高騰したボストン各地の不動産市場に散りぢりとなり、大学移転のために次の候補地を探した。
 しかし、この取り組みは調達資金などの面から難航した。

 1909年、資金調達能力を有するリチャード・マクローリンがMITの新学長に就任したことによって事態は収拾に向かい、MITの新キャンパスの候補地としてケンブリッジとボストンの境界を流れるチャールズ川の埋立地(ケンブリッジ側)が検討された。
 ただ、移転に際していくつか問題があった。
 第一に土壌が埋め立てたばかりで軟弱であったこと、第二にケンブリッジを縄張りとしていたハーバードとの政治的・歴史的問題がある。
 特にハーバードとの問題は深刻で、MITのほとんどの卒業生が、このとき文科系人種をはじめとするボストンの人々からいわれのない偏見を受け、罵声を絶え間なく浴びせられたと伝わっている。
 この状況について関係者は「肘で誰かを押しのけて食事をするようなものだ」と述べている。

 MITがケンブリッジにキャンパスを移転してからは、ハーバードとの対抗は激しくなり、人々の中にはMITを「職業訓練学校」と侮辱する者もいた。 
 1940年、MITは軍事技術の研究開発にかかわるようになった。
 当時、アメリカ軍はイギリス海軍が開発したレーダーに関心を持っており、研究プロジェクトを行う上で、設備やその運営実績があったMITに注目した。
 その一年後、太平洋戦争がはじまるとMITのキャンパス北端に「放射線研究所」(Radiation Lab・ラドラブ)と称する軍事研究所が設置され、MITはカリフォルニア工科大学などとともに戦争の一翼を担った。
 さらに、MITは新兵器開発のために必要な資金や物資をアメリカ政府から得ることに成功したうえ、MITの学生の徴兵猶予の権利を勝ちとった。
 この経験はマサチューセッツ工科大学の名を世界で高めるきっかけとなった。
 「彼らは2万5800もの会社を設立し、300万人の雇用を生み出していた」ことが分かったという。
 これには、シリコンバレーの雇用の約4分の1を含む。「もしMITが国家だとすると、世界で11番目のGDPを有することになる」

 2014年までの間、MITが公式発表したノーベル賞受賞者は81名であり、この数はハーバード大学の公式発表受賞者48名を上回っている。
 ハーバード大学は、英国のオックスフォードやケンブリッジをモデルに上流階級用の古典教育にこだわり、ラテン語やギリシャ語に力を入れていた。
 これに対してMITは、研究と実践的な実験による学習という
   ドイツ的なシステム
を採用した。
 また、「知識は重要だが、有用でなければならない」という考え方がMITの伝統で、米国の主要大学としては非常に規模が小さく学生数は約1万人、教員数は約1000人に過ぎない。
 スタッフの約40%が米国以外の生まれで、すぐに役には立ちそうにないことでも取り組むことが許される、財政的・精神的余裕を持っている。

 MITは教育・研究機関として潤沢な資金を保有し、それを積極的に資産運用している。
 2017年現在のMITの運用資産額は148億ドル(約1兆6000億円)に達している。
 また、MITの投資運用会社は寄付金と退職金、運転資金(合計233億ドル)を管理・運用し、2016年7月から2017年6月末までの1年間でMITの基金の運用資産額は12.1%増加した。
 ブルームバーグの集計データによると、MITの寄付基金(Endowment Funds)の規模はアメリカの高等教育機関の中で6位となっている。
 MITコンピュータ科学・人工知能研究所(CSAIL: Computer Science and Artificial Intelligence Laboratory)
MITには、5つのスクール (School) と1つのカレッジ (College)がある。
 スクールとカレッジには、34の学部 (Department)、学科 (Division)、大学院・研究科・専攻 (Degree-granting program) などがおかれている。
 さらには、教育研究プログラムとしてWHOIとのジョイントプログラムも実施している。

    
posted by まねきねこ at 22:25| 愛知 ☁| Comment(0) | よもやまばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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