(American Express Company)
トラベラーズチェックとクレジットカードの発行元である米国の企業
国際ブランドとしてはチャージカードに位置付けられているが、一部の発行国では分割払いが可能なクレジットカードとしても機能している。
略称は「アメックス(AMEX)」 。
本拠地の米国を中心に、トラベラーズチェックや旅行代理業を始めとする旅行事業のほか、クレジットカード事業、法人向け銀行事業、プライベートバンク、投資信託、保険業等様々な事業を手がける。
アメリカの他、日本やイタリア、イギリス、メキシコ、カナダ、オーストラリアなどを主な市場としており、世界各国でクレジットカードの発行を行っている。
この他、現在世界140カ国に、2,200のトラベル・サービスオフィスを展開している。
また、全世界のカード会員数は7800万人に達している。
1850年に、ウェルズ・ファーゴの創設者
ヘンリー・ウェルズ
の3人によって、荷馬車により貨物を運ぶ
宅配便業者(Cargo Express)
として、ニューヨーク州バッファローを本社に運輸業を開始した。
この事業は好調に推移し、輸送網を全米、および隣国のカナダやメキシコにも広げた。
1882年に、世界で初めて郵便為替業務を開始したことから、同社の主事業となる金融業に参入した。
1891年には、ウィリアム・ファーゴの発案により、世界で2番目(世界初は、1841年のトーマスクック・トラベラーズチェック)のトラベラーズチェックを発行し、アメリカ国内のみならず事業展開していた各国に導入を行った。
その後は、海外旅行に行く米国人旅行者のサポートのために、1895年にフランスに、1896年にイギリスに事務所を開設したのを皮切りに海外に事業網を展開した。
1917年には日本事務所を横浜港に開設するなど、その事業基盤を世界中に広げた。
第一次世界大戦中には、他の金融機関が為替業務を閉鎖する中、イギリスに取り残された米国人旅行者のトラベラーズ・チェックの交換を行うなど、戦時下においても安定した業務遂行を行い高い評価を受けた。
世界展開は、1939年9月の第二次世界大戦の勃発と、1941年12月に米国の宣戦布告によって一時的に停滞するが、ヨーロッパ戦線に展開する米軍兵士が現地で飼っていたものの、米軍による移送を拒否された犬のアメリカへの移送業務を委託するなど、第二次世界大戦中を通じて、その世界的なネットワークを生かし様々なサービスを提供した。
1945年9月2日の第二次世界大戦の終戦後は、ダグラス DC-6やロッキード コンステレーションなどの大型旅客機の就航による米国の海外旅行の大衆化による海外旅行ブームを受けて、1954年には、連合国の占領下から脱して間もない日本で支店を再開するなど再び海外展開を活発化させた。
1958年には、アメリカ国内のホテル組合が設立し、既に営業兼運営を行っていたアメリカホテル組合のクレジットカード会社を買収した。
1959年には、ISO/IEC 7810に準拠した磁気ストライプカードを利用した方式が導入された。
1966年にゴールドカードを導入した他、1984年にプラチナカードを導入した。
また、1970年代から1980年代にかけて世界各国でクレジットカードの発行を開始した。
1984年4月には投資銀行
とその傘下のクーン・ローブを買収し、「リーマン・ブラザーズ・クーンローブ」とした。
さらに同社を傘下の証券会社
シェアソン
へ吸収合併させ、「シェアソン・リーマン・アメリカン・エキスプレス」としたうえ、さらにその後
E・F・ハットン&カンパニー
を買収し、「シェアソン・リーマン・ハットン」とするなど、当時の経営陣の方針により事業の多角化を推進した。
当時のCEOジェームズ・ロビンソンの妻リンダ・ゴスデン・ロビンソンは、
ロナルド・レーガン政権
の樹立をバックアップして政財界との関係を深めた。
さらに1988年からは
を擁護する広報戦略を展開した。
1993年に新CEOの
ハーベイ・ゴルブ
が就任して、彼が中核事業であるクレジットカード事業と旅行事業への集中と選択を進めた。
このため、同年に同社はそのリテール分野と資産管理業務を
プライメリカ
に売却した。
1989年(平成元年)6月4日に発生した
六四天安門事件
では、戒厳令下の北京市に取り残された米国人旅行者やビジネスマンの脱出を手助けした。
2001年(平成13年)9月11日に発生した米国同時多発テロ事件において、ニューヨーク市の本社周辺・ワールドトレードセンターが倒壊する大きな被害を受け社員が死亡したが、ほぼ通常と変わらない体制でサービスを提供し続けた。
2011年(平成23年)3月11日の
東日本大震災
直後から、被災地域周辺に居住しているプロパーカード会員全員に、コールセンターの社員から会員に向けて電話を掛け、安否確認を実施した。
また、要望を聞き取ってトイレットペーパー・ガソリン携行缶・ランドセル・ぬいぐるみ等を、無償で提供した。
2007年9月には、銀行部門の子会社である
2007年9月には、銀行部門の子会社である
アメリカン・エキスプレス・バンク
を、イギリスの大手商業銀行の
に8億6000万米ドルで売却した。
サブプライムローンで、多くの個人顧客にクレジットカードサービスを提供した結果、2007年末以降に起きた
世界的な金融危機
を受けた不況により、貸し倒れが増加し、経営状況が悪化した。
これを受けて2008年12月には、米国財務省から33億9千万ドルの公的資金注入を受けるための承認を受けたと発表した。
公的資金注入を受けたことで事実上の政府管理下に入った。
2009年6月には公的資金を返済することを表明したが、米国内におけるクレジットカードの貸し倒れが史上最高レベルに達したことなどから、世界各国において事業縮小と人員削減、サービスの廃止縮小を進めた。