ソロモン・ブラザーズ(Salomon Brothers)
1910年にアメリカで設立された名門投資銀行のこと。
創立者のアーサー・ソロモンはジョン・モルガンとアポなしで会える一握りの人物であった。
ソロモン・ブラザーズは1915年、アルゼンチンの短期国債1500万ドルの引受に参加した。
第一次世界大戦のとき
戦時国債(3rd Liberty Loan Act)
が連邦債を氾濫させたので、消化してくれる顧客をソロモン・ブラザーズが探して利益をあげた。
1930年までにボストン、シカゴ、フィラデルフィア、ミネアポリス、そしてクリーブランドへ支店を設けた。
ソロモン・ブラザーズは証券取引委員会創立後で初めての社債を発行した(Swift & Company)。
第二次世界大戦の戦時国債は生保・年金が引受けたので証券会社の出番は少なかった。
1977年にルイス・ラニエリ(Lewis Ranieri)がバンカメのモーゲージを証券化して民間MBSの発行を始め、最大手のプライマリ・ディーラーとして発行国債の独占的獲得を謀ってきた。
1991年に元トレーダーの
ポール・モーザー(Paul Mozer)
が米国債の不正入札に手を染めたことが発覚、ソロモン・ブラザーズは信用を失って、レポ市場の独占が阻止され一般機関投資家に明け渡した。
その際、ウォーレン・バフェットCEOに経営再建をゆだねることになった。
ジャンク王も呼ばれ一世を風靡した
のドレクセル・バーナム・ランバートが内部者取引を摘発されて穴をあけたジャンク債市場で、ソロモンは10億ドルのポジションを占めた。
1997年にトラベラーズグループにより買収され、トラベラーズとシティコープの合併に伴い1998年にスミス・バーニーと統合されシティグループの投資銀行部門であるソロモン・スミス・バーニー (Salomon Smith Barney) となった。
ソロモン家は1907年恐慌以前から証券会社向けの金融仲介業を行っていた。
ただ、営業日をめぐる親子の対立から息子たちが5000ドルの資本金を用意して独立し1910年に
ソロモンブラザーズ
(Salomon Brothers & Hutzler)
を設立した。
設立当初のソロモンブラザーズも金融仲介を専業としたが、証券発行と公債・社債取引を営むウォール街スペシャリストの場末的存在であった。
1951年、創業者次男のハーバートが死亡した。私募債専門家
ルドルフ(Rudolf Smutny, 1897-1974)
がソロモン・ブラザーズの新たな指導者となり、1957-66年に10億ドル以上の私募債発行を手がけた。
1969年にはデュポン・グロア・フォーガン(DuPont, Glore Forgan & Co.)に参加した。
1962年キューバ危機で市場が麻痺していたとき、ソロモン・ブラザーズは
AT&T社債2.18億ドルの発行
を引受けた。
1960年代、ニューヨーク証券取引所がオートメーション化してゆくとき、ボストン取引所などの会員権を得て、1969年の株価下落では(店頭ブロック取引によって)M&Aブームをもたらした。
1980年代には、著名なトレーダー
ら率いる債券アービトラージ部門が莫大な利益をあげるなど右肩上がりの成長をつづけた。
1981年フィブロ(Phibro Corporation)というエネルギーコンツェルンの傘下に入り
フィブロ・ソロモン
に改称するとともにパートナーシップから株式会社に組織変更した。
1986年には経営陣が実権を握りソロモン・インクに改称した。
1987年9月末、マクアンドリューズ&フォーブスの
ロナルド・パールマン(Ronald Owen Perelman)
がソロモン・ブラザーズを買収しようとしたが、ソロモン・ブラザーズは拒否した。
ウォーレン・バフェットがソロモンの優先株7億ドルを購入した。
これは資本金の12%に相当し、発行の3年後から普通株に転換可能となるものであった。
1991年に元トレーダーの
ポール・モーザー(Paul Mozer)
が米国債の不正入札に手を染めたことが発覚、ソロモン・ブラザーズは信用を失って、市場を一般機関投資家に明け渡した。
1997年11月、バフェットの仲介でアメリカのトラベラーズ・グループ(Travelers Group)に買収された。
トラベラーズ傘下の投資銀行であるスミス・バーニー(Smith Barney)と合併し
ソロモン・スミス・バーニー(Salomon Smith Barney)
となった。
その翌年トラベラーズ・グループがシティコープと合併してシティグループとなり、ソロモンもシティの傘下となった。
最終的に2012年にスミス・バーニー
モルガン・スタンレー
に売却し、「ソロモン・ブラザーズ」のブランドは事実上休止状態にある。