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2024年02月04日

シリコンバレー銀行(Silicon Valley Bank SVB) 米国で2008年に発生したワシントン・ミューチュアルの破綻に次ぐ規模の倒産となった商業銀行

シリコンバレーバンク(Silicon Valley Bank SVB)
 2023年3月10日、まで存在した地方銀行
 米国カリフォルニア州サンタクララに本社を置いた。
 州法による商業銀行である。

 2016年6月30日時点ではシリコンバレーにおける預金量の25.9%のシェアを保持し、シリコンバレー最大の銀行であった。
 2023年3月10日に破綻し
   米連邦預金保険公社(FDIC)
の管理下に置かれた。

 シリコンバレー銀行とも表記され、イギリスやデンマーク、ドイツ、イスラエル、スウェーデン、インド、中国などでも展開していた。

 顧客は主にテクノロジー、ライフサイエンス、ヘルスケア、非公開会社、ベンチャーキャピタル、プレミアムワイン業界の企業や個人であった。
 また、ベイエリアの地方銀行として、テクノロジー業界のニーズに特化した金融サービスを提供した。
 この特徴から、主にIT系スタートアップ企業のほぼ半数が優先して利用していた。

 インドの新興企業の間でも影響力を持ち、創業者が社会保障番号を持っていない株式会社にサービスを提供もしていた[。
 なお、一方で、ハイテク企業にサービスを提供していたにもかかわらず、銀行は古い技術を使用しており、生体認証技術を活用していない点が批判されていた。
 2022年12月31日の時点におけるポートフォリオの56%はベンチャーキャピタルと非公開会社への融資であった。
 リミテッドパートナーのコミットメントによって保証され、非公開会社への投資に活用された。

 価値のある個人、およびその融資の24%はテクノロジーおよびヘルスケア企業に対する融資、全融資の9%は設立初期および成長途上のベンチャー企業に対する融資であった。
 
 破綻前の2023年2月には、フォーブスが「アメリカのベストバンク」の20位に挙げていた。
 当時の自己資本利益率は13.8%だった。
 また、翌3月の経営不安の発覚前には、ムーディーズがローンポートフォリオを保守的でパフォーマンスが高いと評価していた。
 
 本行の海外子会社は139億ドルの預金を保有していた。
 
 主にカリフォルニア州サンタクララの本社と、アリゾナ州テンペのオフィスで運営されていた。
 銀行の親会社
   SVBフィナンシャルグループ
は、カナダ・トロント、ケイマン諸島・グランドケイマン、中国の北京、上海、深圳、香港、インド・バンガロール、アイルランド、イスラエル・テルアビブ、スウェーデン・ストックホルム、デンマーク・コペンハーゲン、ドイツ・フランクフルト、およびその他のEU加盟諸国にあるオフィスから、投資銀行業務とプライベートバンキング業務を運営する姉妹子会社を設立していた。

 また、ロンドンのオフィスから、商業銀行としての事業を行う姉妹子会社を設立していた。

 サンタクララにある銀行の本社は、持ち株会社の本社としても機能していた。
 タスマンのザ クワッドと呼ばれ7つのビルからなるオフィス コンプレックスの長年のアンカー テナントであり、2024年9月30日にまでの契約期限を残していた。
 また、カリフォルニア州とマサチューセッツ州で17の支店を運営し、持ち株会社は全米で合計55の事務所を運営していた。
 
 シリコンバレー銀行は連邦準備制度(FRB)のメンバーであり、銀行のCEOはサンフランシスコ地区連邦準備銀行の取締役会のクラスAメンバーを務めていた。
 また、TechNet、シリコンバレーリーダーシップグループ、ベイエリアカウンシル、Tech:NYC、Mid-Size Bank Coalition of America、American Bankers Associationなどの多くの業界団体に加盟していた。
 また、インドへの進出の一環として、1990年代後半から非営利の指導組織TiEとも連携していた。

 社会貢献事業としては、CSRプログラムの運営を目的に、1995年に非営利の「シリコンバレーバンク財団」を設立していた。
 完全に銀行本体から資金提供を受けて、1998年に合計10万ドルの寄付を得た。

 2007年から女性のプロサイクリングチームである
   EF Education–Tibco–SVB
を後援したうえ、2015年には共同タイトルスポンサーになった。

 その他にも2002年以降は、20億ドル以上の融資と投資をデベロッパーに行った。
 シリコンバレーとサンフランシスコ、およびマサチューセッツ州で手頃な価格の住宅を建設した。

 2014年以降には16億ドルを追加で融資した。
 また、カリフォルニア州サンマテオ郡の多くの非営利団体に無料の銀行サービスを提供している。

 もともと、シリコンバレーバンクは、米国の大手金融機関
   Wells Fargo
の幹部であるビル・ビガースタッフと、スタンフォード大学の
   ロバート・メデアリス教授
によって、ベンチャー企業のニーズに焦点を当てて設立された。

 銀行設立にあたってのアイデアは、2人の元バンク・オブ・アメリカのマネージャーとテニス仲間が、カリフォルニア州パジャロデューンズでポーカーで遊んでいる最中に浮かんだという。
 彼らは、Wells Fargoのハイテク融資部門を率いていた
   ロジャー・V・スミス
を銀行の社長・初代CEOに招聘した。

 こうして、1983年10月17日に、シリコンバレー・バンクシェアーズ(現在のSVBフィナンシャルグループ)の完全子会社として始動した。
 NFLクォーターバックのジム・プランケットなど100人の初期投資家を揃え、ベンチャーキャピタルコミュニティからの信頼を得るために、十分なコネを持っていた元下院議員のピート・マクロスキーを取締役として招いた。

 オフィスは当初、サンノゼのノースファーストストリートにおかれた。
 設立当時の銀行業界は、新興企業、特に収益が不足している企業について十分な理解がなかった。
 一方、シリコンバレーバンクは、新興企業がすぐに収益を上げないことを理解した上で、ビジネスモデルに基づいてリスクを管理しながら融資を構成し、顧客をベンチャーキャピタル、法律事務所、会計事務所と結びつけて広範なネットワークを構築していった。

 その主な戦略は、ベンチャーキャピタルを通じて資金提供された事業から預金を集めることにあった。
 その後、銀行業務やベンチャーキャピタルへの融資業務へと事業が拡大し、設立当初のフェーズからより成長した顧客を繋ぎ止められるよう、新しいサービスを提供していった。

 当初は、融資を求める新興企業の創業者は、担保として
   株式の約半分
を差し出す必要があったが、失敗率が低く、創業者が融資を完済して経営を維持する傾向があることを反映し、金利は約7%にまで低下した。
 その後、銀行は、関心のある投資家に株式を売却することで損失をカバーするようになった。

 最終的には、ベンチャーキャピタル側が、シリコンバレーバンクに特別に銀行口座を開設するよう、スタートアップに要求することが一般的になっていった。
 シリコンバレーバンクも融資希望者が増える中で、リスクを軽減する手法として
の一流のベンチャーキャピタル企業から資金提供を受けた新興企業を優先して融資するようになった。

 1980年代は地元のハイテク経済の発展とともに成長を続け、21四半期連続で黒字を達成した。
 1985年には39,000 ドルの損失を計上していた。
 しかし、1991年には1,230 万ドルの利益を獲得するようになるなど大きなフレが起きていた 。

 1990年にはさらに、マサチューセッツ州道ルート128沿いに集積したIT企業を狙い、東海岸のボストン近くに最初のオフィスを開設した。
 CEOのスミスのリーダーシップの下
   多角化を目指してリスクの高い不動産ローン事業に参入
し、1990年代初頭までにポートフォリオの50%に達するまでに至った。

 1994年にはワイナリー貸出事業に参入したが、カリフォルニアの不動産市場の低迷により、1992年に銀行は 220 万ドルの損失を被った。
 また、1995年までにポートフォリオに占める割合は10%にまで低下した。

 1993年、ジョン・C・ディーンが後継CEOに任命され、スミスは副会長に就任した。

 ドットコム・バブルによって巻き起こったコンピューター技術の新興企業の波が銀行にビジネスの拡大をもたらした。
 シリコンバレーバンクの特徴は、まだ利益を上げていないベンチャーステージの企業に積極的に融資した。
 1995年の約2,000のクライアントの中には、ネットワーキングのイノベーターとなる
   Bay Networks など
があった。

 シリコンバレーバンクは1995年に本社をサンノゼからサンタクララに移転した。
 持株会社の株価はバブルを通じて急騰し、バブルがはじけると50%下落した。
 その後も、全国のIT企業の要衝に支店を追加し続けている。

 ケン・ウィルコックスが2000年に新CEOに就任した。
 CEO交代後も、より広範な商業銀行の業態に多角化することはなく、これまでと同様にテクノロジー企業に焦点を絞った
   ニッチな戦略
を継続した。
 2002年に、経験と裕福なベンチャーキャピタリストや起業家との関係を活かして、プライベートバンキングビジネスに参入した。

 2003年、、バンガロールとムンバイ、テルアビブ、上海、北京への3つの注目を集める国際貿易ミッションを後援した。
 翌2004年にはバンガロール、ロンドン、北京、イスラエルに進出し、新規の国際事業に取り組んだ。

 2007年から2008年に起きたサブプライムローン問題・リーマン・ショックといった
   金融危機
の間、SVBファイナンシャルグループは、不良資産救済プログラム(TARP)に基づく優先株とワラントと引き換えに、連邦政府から2億3,500万ドルの投資を受けている。
 この2年間で、米国財務省に 1000 万ドルの配当金を支払い、3億ドルの株式売却の収益を使って政府の利子を買い戻している。
 金融危機対応が終了した後の2011年4月、ウィルコックスはCEOを退任し、グレッグ・ベッカーに交代した。

 2012年、上海浦東発展銀行(SPDB)と提携し、上海を拠点とした
   SPDシリコンバレーバンク
を共同で設立した。
 地元のテクノロジースタートアップへの融資を開始している。

 中国政府の方針で双方が半分づつ出資する合弁の新銀行は、中国の銀行規制当局から人民元で営業する承認を受け許可された数少ないアメリカ系資本の銀行となった。
 また、SVBは、上海の楊浦区政府のために2つの地方人民元建てファンドを管理し、杭州に本拠を置く融資保証会社に投資した。

 2015年には、米国内の新興企業の65%にサービスを提供していると発表した。
 新しく始めたサービスには、シンジケートローンと外貨管理が含まれ
   仮想通貨のスタートアップ
と協力している唯一の米国の金融機関として注目された。

 2016年2月にStripeの
   Atlasプラットフォーム
が登場し、ベンチャー企業が米国企業として登録できるよう、支援する金融パートナーとなった。

 2021年6月、元上級副社長兼取締役
   ムニール・ガド
が、2015年と 2016 年の3件のスタートアップ買収について、SVBがスタートアップ企業の
   買収資金調達
に関与したことで、買収に関するインサイダー情報を得たたとされ
   インサイダー取引法に違反
した罪で有罪を認めた。 ている[53]。
 
 2023年3月9日、シリコンバレーバンクは米国債の金利上昇に伴って発生した
   18億ドルの損失
が発生しており、バランスシートを補強するために株式売却を行うことを提案した。
 これによって株価が62パーセント下がった。

 このニュースを受けてFounders FundCoatue ManagementUnion Square Venturesといったベンチャーキャピタルは、その顧客に対して預金を引き出すように提案した。
 この情報が広がり取り付け騒ぎの発生がより資金の減少が早まった。
 この取り付け騒ぎによって24時間で420億米ドル(当時の為替レートで約5.5兆円)が流出[した。
 シリコンバレーバンクの株価は、3月10日の取引開始までの市場内時間外取引でさらに66パーセント下がり、取引が停止された。

 カリフォルニア州金融保護改革局によって3月10日には
   流動性が不十分
であり債務超過状態であるとして、シリコンバレーバンクは閉鎖された。

 カリフォルニア州は管財人として
   連邦預金保険公社(FDIC)
を指定し、FDICはシリコンバレーバンクの預金を新しく設立した払い戻し専門の預金保険国法銀行(DINB)
   「Deposit Insurance National Bank of Santa Clara」
へ移管した。

 米国で発生した銀行の破綻としては、2008年に発生したワシントン・ミューチュアルの破綻に次ぐ規模となった。

 シリコンバレーバンクの破綻は、満期保有証券への依存が最大の要因の1つと言われている。
 また、シリコンバレーバンクのようなネット経由での取引を主力とする銀行は
   顧客の資金移動
が激しく、そのため預金の流出する速度が早かった事も破綻の原因の一つとされている。
(なお、日本の大手金融機関が同じリスクを飲み込み始めていることに注目する必要があるだろう。)
    
posted by まねきねこ at 07:26| 愛知 ☁| Comment(0) | イベント 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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