ジョージ・ピーボディ(George Peabody)
1795年2月18日 - 1869年11月4日
米国の企業家、慈善家で、アメリカで最も古い音楽学校
ピーボディ音楽院
などの教育施設・図書館等の開設者でもある。
米国マサチューセッツ州サウス・デンバー(現ピーボディ)のピューリタンを先祖に持つ極度に貧しい家で、七人兄弟の一人として生まれた。
極貧で苦労し、学校にも数年しか通っていない。
ピーボディは後に「若いころの途轍もない苦労を片時も忘れられない、忘れる事ができないんだ。」と述べている。
繊維製品製造から始まり、いろいろ苦難を積んだものの、最終的に銀行家として大成した。
ピーボディの生涯にわたるビジネスのパートナーにして友人の一人が、著名な銀行家で芸術のパトロンでもあった
ウィリアム・ウィルソン・コーコラン
である。
ピーポディは1812年の米英戦争に志願兵として参加し
エリシャ・リッグス
と知古を得て、リッグスの支援により1814年、生活衣料雑貨の大規模な卸売り事業
ピーポディ・リッグス商会
を設立した。
1816年ピーボディは、メリーランド州ボルチモアに移り20年間住んだ。
その後、ピーボディの友人コーコランとエリシャの息子ジョージ・ワシントン・リッグスは1836年に
リッグス銀行
を創設した。
1837年にはイギリスのロンドンに移り、その後の人生はそこで過ごした。
1851年、ピーボディはジョージ・ピーボディ商会を設立、アメリカの鉄道輸送での増大する
積み荷の安全保障
の要望に対応しようと奮闘した。
3年後、彼はジューニアス・スペンサー・モルガンと提携し、ピーポディ・モルガン商会を設立した。
これにより両実業家は、1864年のピーボディの引退まで協力して運営に当たった。
ピーポディの引退後、この会社はJ・S・モルガン商会と改名した。
また、イギリスの商業銀行
モルガン・グレンフェル銀行(Morgan, Grenfell & Co.)(現:ドイツ銀行)
や国際的なユニバーサル銀行
JPモルガン・チェース
モルガン・スタンレー
は、すべてピーボディ銀行にそのルーツを持っている。
ピーポディは、近代の慈善事業の祖として知られ、その後、ジョンズ・ホプキンズ、アンドリュー・カーネギー、ジョン・D・ロックフェラー、ビル・ゲイツ、その他の人々によって受け継がれていくような事業の先鞭をつけた。
なお、ピーボディは、生涯一度も結婚しておらず、ロンドンで74歳で亡くなった。
ウェストミンスター大聖堂の大司教の希望とヴィクトリア女王の承認によりウェストミンスター大聖堂に仮埋葬された。
しかし、本人の遺志は、故郷マサチューセッツ州サウス・デンバーに埋葬されることであった。
ウィリアム・グラッドストン首相は、ピーボディの遺志を尊重し、イギリス海軍の最新鋭艦で最大の艦艇モナーク(HMS Monarch (1868))で、遺体をアメリカ合衆国に帰還させるように手配した。
ピーボディはマサチューセッツ州セイラムに埋葬された。
マサチューセッツ州サウス・デンバーでは、その名誉ある出身者の名前をたたえて、ピーボディと改名した。
ピーポディには偉大な米国人の殿堂のひとつで、ブロンクス・コミュニティカレッジがあり、以前はニューヨーク大学(NYU)もここにあった。
ピーボディの銅像は、彼の死去から間もなく1869年にロンドンの旧:王立証券取引所の隣に立てられ「フリーマン(ロンドン市名誉市民)」と呼ばれている。