12月1日夜、北海道東部の陸別町や北部の名寄市の天文台でもは夜空赤く染めるオーロラが観測されており、1日午後10時45分現在も北海道各地で空が赤く染まる「低緯度オーロラ」が肉眼で確認された。
陸別町の銀河の森天文台の話では、同町で肉眼で確認されたのは20年ぶりという。
11月29日午前に太陽の表面で発生した太陽の爆発現象「太陽フレア」によって太陽風が放出され、地球にプラズマが到達したことが原因とみられている。
「太陽フレア」の爆発の規模は、5段階の上から2番目で中規模クラスというもので一般的な規模であったが、太陽表面の場所と放出され地球にプラズマが到達しやすい方向となったことから、このプラズマが約2日半かけて地球に到達し、地磁気と衝突。磁気嵐を発生させると共に、大気とぶつかって上空で発光現象を起こしてオーロラが観測されたという。
もともと、オーロラは緑色のイメージがあるが、国立極地研究所および総合研究大学院大学の片岡龍峰准教授(宇宙空間物理学)によると、オーロラの高い部分に当たる高度約250〜400キロは赤くなるため、北海道のような低緯度の地域からは、水平線上にその高い部分だけが見え、赤いオーロラが見えるという。
これまでに片岡龍峰准教授は平安・鎌倉時代に赤いオーロラが連続で発生した仕組みを解明した研究成果を米科学誌スペース・ウェザー電子版に発表している。
同時代の文献と、樹木の年輪に含まれる炭素の同位体から得た太陽活動の痕跡を比較したもので、赤いオーロラの記述は
太陽活動が活発な時期
に多く発生しており、太陽活動が弱くなった時期には記述がないことを突き止めた。
この「太陽フレア」の爆発により地球に及ぼす磁気嵐は地上での停電や人工衛星の故障などを引き起こすことになる。
また、片岡龍峰准教授をはじめとする日本の研究チームが、2020年3月31日に1400年以上前にさかのぼる
「赤色のオーロラ」
にまつわる科学的な謎を、学術誌「総研大 文化科学研究」の中で発表した。
1400年以上前、日本の歴史家が「赤い印」あるいは「扇形の真っ赤な光」が上空に現れたことを記述している。
当時の目撃者は、この明るい赤色の光が「キジの尾羽に似ていた」という表現で表している。
片岡氏によれば、この「赤い印」は日本最古の天文記録だと説明している。
片岡氏はこの記述について「磁気嵐の間に出現した、『赤いオーロラ』であった可能性があります。ですが、この現象に関する記述は日本の人々の間では長い間とても有名であった現象にも関わらず、これまでに説得力のある根拠は示されていませんでした」と述べている。
また、「巨大で明るい扇形オーロラは、真夜中前に現れることが多い。驚いた人々が、天の使いともされるキジの美しい尾羽に例えたのだろう」と続けた。
オーロラの色は励起された原子の組成に基づいており、酸素との衝突では緑に、窒素との衝突では青(時に赤や紫)に発光してオーロラが生まれる。
なお、現在の日本は磁気緯度が25度で、オーロラは通常これほど北極圏から遠い場所には発生しない。
しかし、地球の北磁極は時とともに移動しきており、この現象が起こった当時の日本の磁場緯度は33度だったため、磁気嵐時にオーロラが発生する可能性が、十分にある磁場緯度と見られるという。
赤いオーロラの出現に関しては科学が未発達な時代の極北の先住民や北欧、日本での伝説や伝承、口承の類にも見られる。
(エスキモー)『精霊のボール遊び。口笛を吹くな!見付れば首を切られるぞ』
(インディアン)『大空に繰広げられる巨人達の流血戦』
(ノルゥエー人)『老婆のダンス』
(アリストテレス:古代ギリシャの哲学者)『暗闇の穴から光の火が吹く』
(セネカ:古代ローマの詩人)『天の裂け目を見た』
日本でも最古のものは「日本書紀」の時代までその記録を遡ることが可能だ。
(藤原定家)『北の空に赤気あり』
異常な世情を感じさせる赤いオーロラの出現は日本でも10年に一度程度は北海道でオーロラが観察されている。
本州でも1958年に長野で観察されている。
赤いオーロラは、 中世ヨーロッパでは、不吉の前兆とされ
神の怒り
と受け止められ、巡礼や祈りが 盛んに行われた。
また、古代中国でも災いを呼ぶものと信じられ、真っ赤なオーロラが出現した数年後に 、実際王朝が滅亡してしまい迷信に拍車が掛かった。
太陽の活発化で地球が影響を受けるという構図であり、地球温暖化ももともとはCO2の増加が太陽活動の活発化と関連しているといた説もある。
天候の変化で気温が上昇したり、逆に低下し、干ばつや大洪水、冷夏などの影響で穀物生産が激減すれば飢饉等が起こり世情が大混乱することになり、中国の王朝が倒れた事例は中国史を見れば多い。また、日本でも繰り返し飢饉が置きており、江戸時代の人口が増えていないのもこうした背景があるのだろう。