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2019年05月19日

事実をつぎはぎすれば事実が事実では無くなる。


 1937年に中国国民革命軍を率いる蒋介石と日本軍との間で勃発した日中戦争について、中国メディアの捜狐は13日、当時の日本と中国の国力の差を比較する記事を掲載した。

 記事では、中国人の多くは
   歴史問題
に非常に敏感だが、1937年はすべての中国人にとって
   非常に特殊な年
であり、同時に忘れられない年であると共産党の独裁政権下で言論統制を受けるなか強調して見せた。

 なぜならこの年に日本が中国に
   全面的に侵攻したから
とであるとの主張だが、満州族の王朝である清朝が崩壊し、大混乱が起こり各地で軍閥や馬賊、匪賊や義和団の残党などが跋扈する混沌としたなか互いに戦闘行為が繰り返されていたのも事実で離合集散して勢力拡大を目論む流れが根底にあった。
  

 7月7日の盧溝橋事件も日本軍の戦闘訓練中に突然砲撃を加えたことが始まりで、その後、国民党の第29軍代表張自忠らが盧溝橋事件の停戦協定の細目実施を申し出、共産党の策動を徹底的に弾圧すること、排日職員を取り締ること、排日団体は撤去すること、排日運動、排日教育を取り締ることを日本に誓約し謝罪している。

 中国軍第37師部隊は7月20日に再び盧溝橋付近で日本軍に攻撃した。
 蒋介石は7月21日、南京戦争会議で大日本帝国に対して
   武力行使を行うという方針
を採択し戦闘をエスカレートさせていった。

 記事では、詳細には触れず、単に日中戦争の引き金となり、その後の日本と中国は全面的な戦争へと突き進んでいったと論じた。

 さらに、中国にとっては1937年が抗日戦争の幕が開けた年であると指摘した。

 一方、当時の日本と中国の総合的な国力はどちらが優っていたのかと問いかけ
   「真実は中国人の想像を超えていた」
と主張した。

 当時の中国は中国国民党による中華民国であった。
 それ以前に中国を支配していた遊牧民である満州族の王朝である清朝は鎖国政策を行っていたため、経済が立ち遅れていたと指摘した。

 37年に日本が中国に侵攻した当時の経済規模は日本の3割ほどしかなく、一人あたりGDPでは日本の20分の1以下だったと続けた。


 しかも、当時の日本はすでに列強の1つとして軍事強国の仲間入りをしており、工業化も中国より進んでいたと指摘した。
 一方で、当時の中国側はまだ農業国であり、戦闘機や戦車はもちろん、兵士に銃を支給することすら満足にできなかったと主張した。

 ただ、実際にはドイツ軍事顧問団(ファルケンハウゼンら)を雇い、最新の武器と戦術・訓練などが教育されていた。
  
 1937年の上海事変では外国人居留地への無さ別爆撃や砲撃等が行われ多くの犠牲が出ており、在留邦人の保護を目的としたものである。
 上海周辺の中国人にも容赦ない徴兵や財貨の供出、住居の破壊などを蒋介石軍が強行しており、中国住民も当然抵抗したが、「漢奸」と見なされ処刑が繰り返される状況であったという。

 記事では中国側が軍事面で日本に優っていたのは「兵士の数」だけであり、兵器の質や軍隊としての質では日本が圧倒的に優位にあったと強調した。
 さらに記事は、中国共産党軍であった八路軍は十分な食事すら供給できず、日本軍から奪った銃で応戦したのが現実であったと指摘するが、陸軍の装備で見れば逆に中国の装備が最新鋭であり、旧式の武器しか日本軍にはなかったのが現実であった。

 また、最終的に中国側は日本を追い出すことに成功したとしながらも、当時の実力差はこれほどまでに大きかったのだと伝えている。
  
 中国国民党軍の戦述は焦土化作戦で、住民を巻き込んだものが多く、国民革命軍の拠点であった南京攻略でも、督戦隊との同士討ちで多くの将兵が戦死している。


 中国の歴史認識も事実の一部をつぎはぎで伝えており、事実が偏向され作り出されたものでしかない。
  
 
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posted by まねきねこ at 03:00| 愛知 ☁| Comment(0) | イベント 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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