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2019年03月24日

ベンジャミン・ファイン (Benjamin Fein) 禁酒法以前のニューヨークで最も悪名高かいユダヤ系ギャングスター


ベンジャミン・ファイン (Benjamin Fein)

 1887年頃 - 1962年/1977年?

 米国のユダヤ系ギャングスターで禁酒法以前のニューヨークで最も悪名高かった。
 目の病気の影響から目が半分閉じたようになっていたため
   「ドーピー・ベニー("Dopey Benny"、眠そうなベニー)」
と呼ばれ、体は大きく、性格は凶暴、何事にも無神経といった典型的なギャングスター。


 犯罪歴はスリから始まっており、スリ志願者には金を取って手口を教えることを生業として金を稼いだ。
 その後は、殺し屋となり10代の頃に逮捕されニューヨーク北部にあるエルマイラ少年院に入れられた
 少年院からの出所後は、経済不況にあえぎ労使対立が激化していた労働界に目をつけた。

 1900年代から10年代にかけてニューヨークの
   ローワー・イースト・サイド
で労働運動に介入して足場を築いた。

 労働問題を種にして、労働組合から金をもらって会社側が雇ったギャングを躊躇もなく始末したり、労働運動の邪魔になる者を暴力的に排除していくのが主な仕事となった。

 単純に暴力を働いたのではなくそれをビジネスとして、組合にも自分にも利益をもたらした。
 ローワー・イースト・サイドで起こっていた労働紛争の中心人物に成長していった。

 この頃、暴力ビジネスの単価表を作成し「相手の腕を折る=200ドル」など仕事の料金表があったという。

 1912年のベニーの年収は1万5千ドル - 2千ドルの間になっていたという。

 不況下でもあり仕事をもらいにニューヨーク中の凶暴なギャングが集まっていた。
 元ファイブ・ポインツ・ギャングの
とは組合利権を争奪で銃撃戦が起きている。


 1914年1月10日にはイースト・ヴィレッジのアーリントン・ホールでシロッコ率のギャング組織に奇襲をかけ銃撃戦を展開した。敵味方とも死者はいなかった。
 ただ、流れ弾にあたった通行人が死亡した。

 フェインはワキシー・ゴードンら仲間3人と共に殺人容疑で逮捕された。
 取り調べでは警察の捜査に協力することで5年刑を宣告されたものの、司法取引で投獄を免れている。

 仲間を売ったことが影響し、犯罪組織としての人望は無くなり勢いを失った。
 当然、戦闘員も少なくなり組合の支配力も目に見えて落ちていったという。


 その後は、たびたび傷害事件で逮捕され、1941年には検察官
   トマス・E・デューイ
の意向により盗品の衣服の売買のかどで逮捕され、終身刑の判決を受けている。
 その後に10年~20年に減刑されたが、ニューヨークの刑務所The Tombsに収監後は消息不明となった。

 ベニーのギャング団の中にはユダヤ系のワキシー・ゴードン、ルイス・バカルター、ジェイコブ・"グラ"・シャピロやジェイコブ・"リトル・オーギー"・オーゲンが所属していた。 
      
   
   
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posted by まねきねこ at 00:00| 愛知 ☁| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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