マルト・アノー(Marthe Hanau)
1886年1月1日−
1935年7月14日
1920年代は第一次世界大戦の惨禍を越え、新しい自由な価. 値観が力強く模索された時代で
狂乱の時代
とも呼ばれた。
フランスの金融界を揺るがせた女性銀行家
両親はアルザス出身のユダヤ人で商店主だった。
両親はアルザス出身のユダヤ人で商店主だった。
パリで生まれ、ビジネスマンと結婚し、離婚した。
その元夫とともに、1925年に投資情報誌
La Gazette du Franc et des Nations
を創刊した。
景気低迷で低金利だった当時にあって、8%という高金利を謳って顧客を集めた。
それを元に株式運用しいたが、競合相手の銀行の調査から、アノーが扱った株が仲間内の取引で実態のない
ペーパーカンパニー
のもので、詐欺行為であると非難された。
政治家に賄賂をおくって噂の火消しを図ったものの1928年の暮れに逮捕された。
マルトはすべての顧客へ返金を約束して保釈を求めたものの裁判所は認めず
サンラザール刑務所
に収監された。
刑務所でハンガー・ストライキを始めて無実と保釈を主張し、病院送りとなった。
下着のままセーブルのコートをまとって病院から逃げ出し、タクシーで刑務所に戻った。
1932年2月の裁判開始で賄賂を渡した政治家たちの名前を明らかにした。
このため、一大スキャンダルに発展した。
判決で懲役2年の判決が下されたが、すでに収監期間が長かったため釈放された。
自由の身となり「Forces」という週刊の金融専門誌を買い取った。
1932年4月の記事で金融市場のいかがわしさについての暴露情報を掲載し政界・金融界を激震させた。
ただ、この記事の一部が不当な情報漏洩に当たるとして再び1934年に逮捕され、懲役3年の刑を言い渡された。
1935年7月にフレンヌ刑務所内で睡眠薬自殺した。