石重貴( Shi Chonggui)
914〜964
後晋の二代出帝(Chudi)で少帝(在位942〜946)として統治した。
高祖(石敬瑭)の甥で太原に生まれた。
天福元年(936)、石敬瑭に従って洛陽に入り、北都留守となり、のちに斉王に封ぜられた。
七年(942)、高祖が崩ずると、帝位についた。
九年(944)、開運と改元した。
ただ、在位中、蝗害が各地で発生し、逃戸飢民が地にあふれた。
景延広の謀に従って、契丹の臣と称するのをやめ、契丹の二度の侵攻をしりぞけた。
開運三年(946)、契丹の三度目の侵攻を防げず、契丹兵が開封に入ると、虜囚として連れ去られ、後晋は滅んだ。
のちに建州で死んだ。