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2018年08月03日

蘇逢吉(?〜950) 「静獄」と称さる後漢の政治家


  
蘇逢吉(?〜950)
 
 京兆長安(三国時代から唐代にかけて存在した郡 現在の陝西省西安市一帯)の出身
 蘇悦の子。

 唐が滅亡して五代十国時代になると、後晋を建国した石敬瑭の重臣で陀突厥の出身の
   劉知遠
が北京留守河東節度使となり着任すると、節度判官となった。

 刑獄裁判を担当して、罪の軽重や理非曲直にかかわらず、囚人をことごとく殺した。
 その行為の凄まじさもあり「静獄」と称されていた。

 劉知遠が契丹と同盟を結び、契丹軍を利用して後晋を亡ぼして、後漢が建国されると、中書侍郎・同平章事・集賢殿大学士に任ぜられ、朝廷の大事について全てを取り計らうようになった。

 権力を奪うため、宰相李ッを謀略により陥れたうえ、その一族を滅ぼした。
 また、衛州刺史葉仁魯の不法をかばうなど、非行も多かった。

 後漢末期、河中の李守貞・長安の趙思綰・鳳翔の王景崇が相次いで叛乱を起こした。
 蝗害・水害の被害が深刻となり、各地では飢饉に伴う暴動が広がり、後漢朝は混乱に陥った。

 乾祐三年(950)、郭威が兵変を起こして南下し、二代目隠帝は乱兵の中で殺され、後漢が滅亡すると、自殺した。               
   
  
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posted by まねきねこ at 05:38| 愛知 ☀| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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