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2018年08月23日

郭 威(かく い) 五代後周の初代皇帝


郭 威(かく い)

 五代後周の初代皇帝
 廟号 太祖
  
 邢州堯山(河北省隆堯県)の出身で郭簡と王氏の間の子として生まれた。


 中国の唐末期の軍閥指導者として
   鴉軍
と呼ばれる精鋭兵を率いて黄巣の乱鎮定に功績を挙げた独眼龍の異名を持つ猛将
   李克用(856年 - 908年)
が朱全忠と激しい権力争いを繰り広げるなか、郭威が3歳の頃に、刺史に任じられていた父親が戦乱に巻き込まれて戦死した。

 そのために家門は没落し、養母の韓氏に養育された。
 成長した郭威は、一兵卒から立身して、後漢の初代皇帝となる
   劉知遠
にその才能を見出され重臣となった。

 劉知遠が後漢を建国するに際し大功を挙げ、枢密副使にまで昇進した。

 なお、異民族とされる後唐朝は隆堯県が出身であり、唐朝の先祖の李煕・李天錫の2代の墓があるのも隆堯県。
 李天錫の息子が李虎であるように隆堯県は異民族の住地とされている。
 同じ異民族の安禄山も邢州出身だったことから郭威・柴栄はもともとは突厥沙陀部の血筋を引いていたようだ。
  
 948年、劉知遠が没して
   劉承祐(隠帝)
が即位すると枢密使に昇進した。

 さらに、契丹を撃退するなど多大な軍功があり、人望を集めたため、その実力を劉承祐が恐れ、一族が皆殺しにされた。
 その上、自身も命を狙われるようになったため、軍と共に逆に反乱を起こして劉承祐を殺害した。

 劉知遠の甥(劉崇の子)の
   劉贇(順帝湘陰公)
を名目のうえで皇帝に立てたものの、不要となりまもなく殺害して自ら皇帝として即位して
   後周
を建国した。


 即位してからの郭威は、農村復興や節度使の統制、軍事力の強化など、内治に力を注いだ。
 ただ、家族が皆殺しにされており帝国を支える親族が少なくなってしまったために、郭威とともに行動していて難を逃れた甥の柴栄(妻柴氏の兄の柴守礼の子)が後継者(世宗)となった。
          
   
  
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posted by まねきねこ at 06:13| 愛知 ☁| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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