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2024年05月21日

青木 久矩(あおき ひさのり) 関ヶ原の戦いで西軍側で参戦し、大坂の陣で豊臣方として大坂城に入城、大坂夏の陣で戦死  

青木 久矩(あおき ひさのり)
 江戸時代初期の武将
 豊臣秀吉の甥で越前金剛院城主であった「青木俊矩」の長男として生まれた。
  
 慶長5年(1600年)に起きた関ヶ原の戦いで西軍側で参戦し北国口を担当した。
 戦うこともなかったが改易処分され父が失領した。
 そのため、父と共に旧知の前田利長に預けられ、食客となった。
  
 慶長19年(1614年)、大坂の陣では豊臣方として大坂城に入城した。


 豊臣秀次に仕えていた木村重茲の子で甥にあたる
   木村重成
の下で戦い感状を受ける武功を立てた。
 翌年の大坂夏の陣で戦死した。

 木村重成の父と兄の高成は「秀次事件」に連座し自害させられたが、重成と母の宮内卿局は助命され、重成は幼少から秀頼の小姓として仕え、宮内卿局は豊臣秀頼の乳母となった。
 久矩の弟泰矩は加賀藩に仕えた。
 また、末弟の昌矩が嫡男として青木家を継いだが、病弱のため隠棲した。

 その後、結城秀康に召されて屋敷を与えられたことで
   「平吹屋」
という屋号で酒の醸造業に転じ、以後、子孫は大正年間中頃までこれを家業として続けたという。
             
      
   
posted by まねきねこ at 00:00| 愛知 ☀| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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