中国戦国時代の秦王(在位紀元前246年 - 紀元前221年)は紀元前221年に史上初の中国統一を成し遂げ最初の皇帝
始皇帝
として君臨した。
始皇帝は始皇帝27年(前220)に、全国に馳道を作った。
この馳道とは、一般人は立ち入ることはできない皇帝専用の道路といわれるが、この道は戦車も走れる軍用道路であった。
領置内で反乱など一旦事あればすぐさま軍隊をおくれるよう、道路の表層は金属製の鎚でたたいて固めてあったという。
道幅は五十歩(69・3メートル)であった。
また、三丈つまり6.93メートルごとに青松を植えた。
始皇帝35年(前212年)には
蒙恬(もうてん)
に雲陽(陝西省淳化県西北)から九原(内蒙古自治区包頭市西)まで直道をつくらせた。
山をけずり谷をうめ、1800里(700数十キロ、実際の直線距離は600数十キロ)も建設しただ、た。
数年たっても完成しなかった。
馳道は国内叛乱鎮圧用で始皇帝が全国巡遊に通った道とほぼ同一であった。
直道は北の長城に通ずる軍用道路で
匈奴防衛
のために尽速に部隊を送るためのものあった。
秦末群雄蜂起のときには、趙の
李良軍
は井陘(せいけい)から西進しようとしたが、突然あらわれた秦軍に行く手をはばまれたといわれる。
この秦軍は、王離の軍と考えられる。王離は九原から馳道をいそぎ、井陘(せいけい)に出たものだった。