匪賊(ひぞく)
徒党を組むなど集団で、掠奪・暴行などを行う賊徒のこと。
「匪」「賊」とも否定的な価値判断を伴う文字で構成されており、政府機関など取り締まり側(体制側)・被害者側の視点からの他称。
日本では、特に近代中国における非正規の武装集団を指す言葉。
中国では満州族の建国した清朝がアヘン戦争や太平天国の乱、日清戦争を経て辛亥革命(1911年(宣統3年)から1912年(民国元年))により、中国の中央政権は清から中華民国へと交替した。
中国の王朝の興亡史を見れば明らかだが、中央の王朝の滅亡により各地の権力者が次の覇権を狙って互いに闘争する環境が生まれ、統治力は地方までは十分に及ばず、地方ではさまざまな武装集団が出現した。
それは村落の自衛組織もあれば、侠客集団や盗賊集団もあった。
その中で反体制的・反社会的なものが「匪賊」(「土匪」とも言う)と呼ばれた。
中国ではふつう会匪・股匪と呼ぶ数十人から数百人、多い時は千人単位で農村などを劫掠する盗賊集団が古代から存在していた。
中華民国の初期、河南・陝西を荒らしまわった
白狼匪
は、山塞などに拠点を持ち頑強に抵抗した中でも最大かつ凶悪なものの一つ。
また、巨大な武装集団の中には、政府軍として公認・再編されて
軍閥
として活動した。
王天縦・張作霖・馮麟閣らは「匪賊」を出自とするもの。
1923年、津浦線の急行列車を土匪件の孫美瑶が襲撃し、国際上、問題となった「臨城事件」では政府に公認されなかった例。
徒党を組むなど集団で、掠奪・暴行などを行う賊徒のこと。
「匪」「賊」とも否定的な価値判断を伴う文字で構成されており、政府機関など取り締まり側(体制側)・被害者側の視点からの他称。
日本では、特に近代中国における非正規の武装集団を指す言葉。
中国では満州族の建国した清朝がアヘン戦争や太平天国の乱、日清戦争を経て辛亥革命(1911年(宣統3年)から1912年(民国元年))により、中国の中央政権は清から中華民国へと交替した。
中国の王朝の興亡史を見れば明らかだが、中央の王朝の滅亡により各地の権力者が次の覇権を狙って互いに闘争する環境が生まれ、統治力は地方までは十分に及ばず、地方ではさまざまな武装集団が出現した。
それは村落の自衛組織もあれば、侠客集団や盗賊集団もあった。
その中で反体制的・反社会的なものが「匪賊」(「土匪」とも言う)と呼ばれた。
中国ではふつう会匪・股匪と呼ぶ数十人から数百人、多い時は千人単位で農村などを劫掠する盗賊集団が古代から存在していた。
中華民国の初期、河南・陝西を荒らしまわった
白狼匪
は、山塞などに拠点を持ち頑強に抵抗した中でも最大かつ凶悪なものの一つ。
また、巨大な武装集団の中には、政府軍として公認・再編されて
軍閥
として活動した。
王天縦・張作霖・馮麟閣らは「匪賊」を出自とするもの。
1923年、津浦線の急行列車を土匪件の孫美瑶が襲撃し、国際上、問題となった「臨城事件」では政府に公認されなかった例。
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