ダグラス・マッカーサーは1947年からたびたび米国本国へ向かって
日本への占領
を終わらせるようメッセージを送り続けた。
1948年3月9日、マッカーサーは候補に指名されれば大統領選に出馬する旨を声明した。
この声明にもっとも過敏に反応したのは日本人であったという。
町々の商店には「マ元帥を大統領に」という垂れ幕が踊った。
日本の新聞は、マッカーサーが大統領に選出されることを期待する文章であふれた。
そして、4月のウィスコンシン州の予備選挙でマッカーサーは共和党候補として登録された。
マッカーサー候補はウィスコンシンでは勝利すると予想していたが、結果はどの州でも1位をとることはできなかった。
6月の共和党大会では、1,094票のうち11票しか取れず、434票を獲得した
トーマス・E・デューイ
が大統領候補に選出された。
本選挙で大統領に選ばれたのは現職の民主党の
ハリー・S・トルーマン
であった。
なお、マッカーサーとトルーマンは、太平洋戦争当時から占領行政に至るまで、何かと反りが合わなかった。
マッカーサーは大統領への道を閉ざされた。
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