ジョゼフ・ビオンド (Joseph Biondo)
1897年4月16日 - 1966年6月10日
NYのイタリア系犯罪集団
の幹部で、ガンビーノ一家の副ボスを務めた。
本名 ジュゼッペ・ビオンド
ニックネームは
ジョー・バンディ
で生涯を通じて2度、大物マフィアボスの暗殺に関わったとされる。
シチリア島バルチェッローナ・ポッツォ・ディ・ゴットで生まれた。
1898年頃、一家で渡米し、NY市マンハッタン区イースト・ヴィレッジに住み、父が酒場を経営し生計を立てた。
1919年、麻薬所持で逮捕されている。
ラッキー・ルチアーノとはイースト・ヴィレッジ界隈の幼馴染で、若い頃一緒にストリートギャングになるまで路上でスリなどをやって生活費を稼いでいた仲間。
若い頃シチリア系マフィアの
サルヴァトーレ・ダキーラ一家(現 ガンビーノ一家)
の組員ウンベルト・ヴァレンティのグループに属した。
1922年、ダキーラ派とジェノヴェーゼ一家の前身
モレロ・テラノヴァ派
との間の抗争でヴァレンティが殺されたのと同じ年に、ビオンドも路上の決闘に関わり、殺人罪で逮捕された。
その後、1927年頃までにダキーラ一家のメンバー入りをしている、
イースト・ヴィレッジで強請ギャング団を率い、小柄だったが武闘派として周囲に恐れられた。
付き合いのある仲間として
ニコラ・ジェンタイル
らがいた。
1925年結婚し、1927年に米国籍を取得している。
ダキーラ暗殺に続く
では中立だった。
ヴィンセント・マンガーノと行動を共にし、最後は勝馬に乗るべくサルヴァトーレ・マランツァーノの陣営に鞍替えしている。
1931年、ジョー・マッセリアとの争いを制したマランツァーノは
をマンガーノ暗殺を条件に旧ダキーラ一家ボスに据えた。
マランツァーノはその年9月に暗殺されたが、その暗殺謀議に関わったと信じられている。
ルチアーノが推進していたNY五大ファミリー再編では、マンガーノ一家(現ガンビーノ一家)に幹部として配属になった。
1930年代までにクイーンズのジャクソン・ハイツに転居した。
19'30年代、タクシー会社の
組合強請ギャング
ただ、警察は何の証拠も得られなかったが、ルチアーノはビオンドに米国へのヘロインの密輸屋を紹介した。
以後、ビオンドは密輸ルートの調整で何度もイタリアに飛んではルチアーノと接触したという。
ルチアーノから米国内への麻薬密輸の監督を任され、北米の麻薬の上りをイタリアへ運んでいたと信じられている。
1950年代初期、インターポールの麻薬犯罪者リストに掲載された。
1951年、アブナー・ツヴィルマンらと共に米国議会上院の
犯罪調査委員会
に召喚されるが証拠が集まらず特に何も告発されていない。
1958年、連邦麻薬捜査局FBNは、シチリア在住の
ニコラ・ジェンタイル
のビオンド宛の手紙を押収し、ジェンタイルから麻薬取引の情報を引き出した。
1957年10月、アルバート・アナスタシアの死で実権を握った
1957年10月、アルバート・アナスタシアの死で実権を握った
により副ボスに据えられた。
この時にはガンビーノと共に一家の最古参になった。
アナスタシア暗殺チーム
を率いていたとされるとされる。
表向きの家業は不動産ブローカーで、マイアミのナイトクラブや自動車会社なども所有していた。
副ボス時代は、一家の収入をピンハネしたり、当局の注目を浴び社会から非難を受けやすい麻薬密輸を止めなかったとも言われ、ガンビーノの信頼を失った。
1965年頃、副ボスの座を
に奪われ、兵隊に格下げになった。
晩年フロリダのハレンダールのサウスオーシャンドライブの別荘に住んだ。

