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2017年12月27日

ヴィンセント・テラノヴァ(Vincent Terranova) モレロ一家の幹部

ヴィンセント・テラノヴァ(Vincent Terranova)
     1886年5月15日 ― 1922年5月8日
 ニューヨークの犯罪組織モレロ一家の幹部
 酒の密輸で財を築き
   ハーレム・タイガー
   ヴィンセント・モレロ
とも呼ばれた。
 シチリア島コルレオーネで生まれ。地元マフィア
   ベルナルド・テラノヴァ
の息子で3人兄弟(次男チロ、三男ニコラス)の長男である。
 なお、ジュゼッペ・モレロは異父兄である。
 1892年一家で渡米し、ニューヨークからルイジアナ、テキサスなどを転々とした。
 1896年頃、ニューヨークに戻り、イースト・ハーレム地区に定住して学校に通いながら家族の左官業を手伝った。
 モレロ一家あるいは「107丁目ギャング」とも呼ばれた組織に加入した。
 1908年9月、ハーレムでイタリアンロッテリー(イタリア式富くじ)を運営していたライバルのサム・シッカ(Sam Sicca)を殺害した疑いで逮捕されたが、のち証拠不十分で釈放された。
 1910年、ジュゼッペ・モレロが逮捕収監されると弟チロやニコラスと共にモレロ一家のリーダーの一人となった。
 1915年5月、ナポリ系ギャングの大物
   ジョシュ・ガルッチ
を、ブルックリンのカモッラ勢(ペリグリーノ・モラノやネイビーストリートギャング)と共謀して殺害し、ガルッチの賭博利権を奪った。
 また、冷蔵庫のない時代の生活必需品である
   氷の配給ビジネス
に進出した。
 ブルックリンカモッラと同盟関係を結び、その後、「マフィア−カモッラ戦争」と呼ばれる
   対カモッラ抗争
で弟のニコラスと共に、ライバルの暗殺や反逆者への制裁を主導した。
 1916年9月、カモッラ勢によりニコラスが暗殺、身辺が騒がしくなりカモッラに執拗に命を狙われた。 
 1917年11月、カモッラの主要リーダーが
   内部密告
で芋づる式に逮捕されたことで目先の脅威は消えたうえ、カモッラに取られたハーレムの賭場の縄張りを奪い返した。
 1913年、レイナ一家(後のルッケーゼ一家)の
   ベルナルディナ・レイナ
と結婚した。 禁酒法施行後、縁戚の
   ヴィンセント・サレミ
やナポリ系の
   "ジョー・ペッポ"ヴィセルティ
とハーレム向けのアルコール密売を始めた莫大な財を築いた。
 カラブリア系ギャングの
が経営する酒場ハーヴァード・インの経営に参画したことでカモッラ戦争以来となるブルックリン進出を図ることが出来た。
 懐が潤沢になったことでダイアモンドの指輪を付け、ピンストライプの高価なスーツとシルクのシャツを着こなした。
 素行が目立ったことから「ハーレムタイガー」の異名を得て、いち早く密輸成金の仲間入りをした。
 1920年3月になるとジュゼッペ・モレロが出所し、一家のボスに返り咲いた。
 1921年夏頃、モレロ一家が勢いを取り戻すのを恐れた
はモレロ一家全員に死の宣告を出し、抗争が勃発した。
 1921年10月、ヴィンセントの密輸仲間
   ジョー・ペッポ
が射殺された。
 1922年5月8日朝、ハーレム116丁目の自宅近くで、走行中の車からショットガンで銃撃され9発の兆弾を浴びて死亡した。
 なお、ヴィンセントは反射的に持っていた32口径リボルバーで撃ち返している。
 モレロ派のジョー・マッセリアに密輸仲間の
   サルヴァトーレ・マウーロ
を殺されたウンベルト・ヴァレンティの仕返しとされている。
 ニコラ・ジェンタイルによれば、ヴァレンティは元々ダキーラ配下で、ダキーラと喧嘩してモレロらと同じく死の標的にされていた。
 その後、和解してモレロ派を攻撃していたとされる。
 なお、ヴィンセント暗殺の3か月後にヴァレンティを謀殺したマッセリアが一家を継ぎ、ジュゼッペ・モレロがアドバイザーとなった。
posted by まねきねこ at 17:27| 愛知 ☁| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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