趙 元奴(ちょう げんど)
北宋末期の美妓で芸術面では北宋最高の一人と言われた第8代皇帝
徽宗
の妃嬪 北宋の首都である開封の名妓として知られ
などと共に徽宗の寵姫となって、多くの財帛を賞賜され、才人を授けられた。
第9代皇帝欽宗が皇帝に即位すると、軍費のため趙元奴の財帛は全て没収された。
第9代皇帝欽宗が皇帝に即位すると、軍費のため趙元奴の財帛は全て没収された。
靖康元年(1126年)、金軍が開封を陥落させたため、徽宗は青城に監禁されtあ。
開封府に手紙を書いて衣服、針線、牛羊肉、石鹸など生活用品を要求した。
その際に名指しで才人趙元奴も要求したが、以後、趙元奴に関する記録はない。
金軍の侵攻の際に、金の兵士多数に凌辱されて妊娠した
邵元奴
という才人がいたという記録があり、音の一致から、趙元奴と同一人物の可能性も考えられている。
邵元奴は、金に到着後は妊婦だったことを考慮され、連行途中で出産した
小王婕、
や他の4人の妊娠させられた妃嬪と一緒に、昏徳公(徽宗)のもとに帰された。