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2017年01月08日

台湾には嘉慶帝が訪台していたという民間伝承が残っている?


 中国の漢民族の王朝であった明を征服した満州族の部族連合の長であったヌルハチ(天命帝)の子(第八子)
   崇徳帝(1626-1643)
が清朝を建国した。

 摂政王ドルゴンは満洲族の風習
   辮髪
を漢民族に強制し、「頭を剃らないは首を留めず」と言われるような苛烈な政策で支配を固め、経済が安定化し、その後、100年で人口が倍以上の2億人になったという。
 (なお、当時の日本は2500万人程度だが、幕末で3500万人程度まで増加。中国は日本の幕末時に4億人を突破している。)


 清朝で最盛期であった乾隆帝の跡を継いだ第7代皇帝
   嘉慶帝(1760−1820)
の文物を展示する特別展が7日、国立故宮博物院(台北市)で始まった。

 正史には実際に嘉慶帝が台湾を訪れたという記録はない。

 だが、台湾には嘉慶帝が訪台していたという民間伝承が残っている。

 故宮博物院の馮明珠前院長は以前、嘉慶帝がそれまでの康熙帝、雍正帝、乾隆帝よりも台湾を重視し、台湾出身の王得碌を重用していたことが台湾の人々の好感を呼び、伝承が生まれたのではないかと分析している

 そのため、これまで何度もドラマ化されるなど、歴代皇帝の中でも台湾と縁の深い人物として知られている。

 なお、1661年に日本の平戸生まれの
   鄭成功(日本名 福松)
が日本の鎖国により、海外に追放されていた倭銃隊と呼ばれた日本式の鎧を身に纏った鉄砲隊や騎馬兵などを多用して台湾を武力支配していたオランダ人と戦闘を繰り返し勝利して追放し鄭政権をつくった。


 その後、次男の鄭克塽が継いだものの1683年に明軍の提督
   施琅(1621年 - 1696年)
が率いる清軍に降伏した。
 
 
 特別展は故宮博物院南部院区(嘉義県)で昨年5〜9月に開かれていた。
 今回の展示は6月18日までの予定で同院が所蔵する関連文物を、宮廷芸術など4つのコーナーに分けて展示、紹介している。
       
   
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posted by まねきねこ at 07:24| 愛知 | Comment(0) | イベント 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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