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2016年11月11日

スタンレー・ドラッケンミラー ポンド暴落など金融危機の仕掛け人のひとり


スタンレー・ドラッケンミラー
       1953年6月−

 米国の鉄鋼生産の中心地であるペンシルベニア州ピッツバーグで生まれた。
 1950年代人口が丁度ピークアウトとなる時期でUSスチールの鉄鋼の生産量もピークに達していた。

 ITバブルの崩壊などの影響から景気後退に陥って経営破綻したビッグ3の一角
   ゼネラルモーターズ
がある自動車産業都市デトロイトの人口も同時期にピークに達し、大戦の復興需要で欧州への資材供給拠点として莫大な資金が流入して経済が活発化してた。
 なお、その後、デトロイト市中心から人が周辺地に流出しており、周辺地域の人口が2000年代に頂点に達し下落に転じ、デトロイト市は2013年7月財政破綻した。

 貿易の自由化に伴い、通貨の固定相場制により日本は輸出主導で発展した。
 スミソニアン体制の崩壊ともいえる1971年に金とドルの兌換を停止後、円の切り上げとなった。

 スタンはバージニア州リッチモンドの高校を卒業後、1975年にリベラルアーツカレッジの一つ、メイン州の
   ボードイン・カレッジ
で英語と経済学を学び学士号を取得、1976年に結婚した。
 1977年に卒業後しピッツバーグ・ナショナル銀行で働き始めた。

 1980年にスタンは離婚した。
 1981年には投資会社
   デュケインキャピタルマネジメント
を設立し百万ドルで運用を開始した。

 1988年ビクター・ニーダーホッファーの後釜として
   ジョージ・ソロス
に2000年まで雇われた。

 同年にモルガンスタンレーのストラテジスト
   バートン・ビッグス
の姪でドレフュスの株式シニアアナリスト
   フィオナ・キャサリン・ビッグス
と結婚した。
  
 クウォンタムファンドを運用し成功した事例として1992年のポンド売り、1997年7月のアジア通貨危機がよく知られている。

 なお、ボンド通貨危機として知られるソロス対英国中央銀行の鬩ぎ合いでポンド売りのドイツマルク買いの決定でソロスに自身があるのなら増やすべきだとアドバイスして積みまして行ったと言われている。

 なお、議会承認などで予算が整わず英国中央銀行の資金が細って防戦側の予算の限界があったともいいます。

 アジア通貨危機ではマレーシアからは取引手法について悪く言われている。
 売り浴びせたのち底値付近で買って浚う動きをしたようです。
 
 
 1999年7月には金融市場がドットコムバブルであると指摘しtあものの2000年
   テクノロジー株
の暴落から逃れられず多大な損失を出してしまいソロスの元を離れることになった。
  

 なお、テクノロジー株が上昇する中
   ウォーレンバフェット
は良く分からないものには投資しないというスタイルを貫いて暴落の直撃を免れたと言われている。

 スタンはこれ以降デュケインの業務に集中していった。

 2003年バートン・ビッグスはモルガンスタンレーを離れtえヘッジファンドのトラクシス・パートナーズを設立した。

 2010年8月スタンは30年を区切りに事業から引退すると表明した。

 損失を出すこと無く続けて来たファンドではあっても常に高いパフォーマンスを維持するということの難しさを知っており、30年というのは丁度良い区切りであった。

 なお、年末にデュケインのスタッフが新たにファンドを立ち上げると発表した。

 引退後は自己資産管理、ゴルフ、テレビ出演でのコメンテーターなどをしている。

  
     
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posted by まねきねこ at 06:04| 愛知 ☁| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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