大黒寺
大阪府羽曳野市大黒にある「大黒天発祥の寺」のこと。
縁起によれば、西暦665年 天智天皇4年 正月甲子(きにえね)の日に修験道の祖
役ノ行者(えんのぎょうじゃ)
が、金剛山に籠り
孔雀明王経
を誦え諸仏諸神に人々の救済を祈願していたところ、大地が震え、天空が薄暗くなり、五色の雲がたなびいた。
その雲の中から大黒天が現れれ「お告げ」をしたという。
大黒天は、過去世に於いては、摩尼珠王福徳円満如来 天竺にては、マカキャラ天 日本に来りては、大黒天と称す福徳自在の福の神であると話した。
左の手に袋を持つ、この中に一切の福徳を納めている。
右の手に槌を持つ、この槌は一切の悪魔を降伏し 諸々の災難を除き、宝福を打ち出だす
打ち出の小槌
なり。
我に五つの福を授ける誓願がある。
第一に父母に孝行の福
第二に子授け、子孫長久の福
第三に病気平癒の福
第四に武運長久の福
第五に農民には五穀豊穣、商人には商売繁盛の福
である。
甲子の日に礼拝し帰依信仰すれば、この五つの福徳寿命が授かり、諸願成就せしめん。
そして、「我に有縁の地あり。」と一筋の光明を以ってこの霊場(現在大黒寺の在る羽曳野市大黒の地)を示したとのこと。
役ノ行者は渇仰の思いで拝聴しそのお告げに従い、縁ある善男善女にこの福徳寿命を授けんがため、示された地に寺を建立し大黒天尊像を彫刻し奉じたのが、大黒寺のはじまりと言われる。
このお告げの中には、「家々の中心の柱を大黒様と思い、大切にすれば一家が栄える」という、大黒柱の由来に当たる様な記述もあった。
このお告げの中には、「家々の中心の柱を大黒様と思い、大切にすれば一家が栄える」という、大黒柱の由来に当たる様な記述もあった。
また、甲子の日には、「自然石で大黒様によく似た石が、石川を流れ来て大黒寺の前に流れ着く」という伝承もある。
以来1350年、現在も60日毎におとずれる甲子の日(大黒天の縁日)には甲子祭(きのえねさい)が行なわれている。
以来1350年、現在も60日毎におとずれる甲子の日(大黒天の縁日)には甲子祭(きのえねさい)が行なわれている。