咸平元宝
中国の貨幣
咸平元年(998年)始鋳
北宋(960年 - 1127年)の第3代皇帝
真宗(しんそう)
(在位:997年5月8日 - 1022年3月23日)
は太祖趙匡胤の弟である二代皇帝太宗の方針を受け継ぎ、文治主義を推進した。
その結果、軍事力の弱体化を招き周辺国との軍事バランスが崩れたことから999年に西夏との連合軍を率いた契丹の聖宗は統和22年(1004年)に北宋領の黄河河畔(現在の河北省)に20万と号する大軍で侵攻した。
この親征に宋朝は動揺、王欽若ら多数の官僚は江南への遷都を主張したが寇準が断固抗戦を主張したため、その意見を容れた真宗は契丹に対する親征を決意し対峙したが本格的ン戦闘には至らず膠着状態となった。
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中国の北半を支配した女真族の征服王朝「金(1115年 - 1234年)」の侵攻を受け遷都するまでを北宋と呼ぶ。
金に宋の都開封を追われて南遷した後の南宋と区別する。

