小糸焼(こいとやき)
岐阜県高山市で焼かれる陶器で茶陶で知られる。
名の由来は高山城下西方の地名、小糸坂である。
寛永年間に開窯、高山城主の
金森重頼
が京都の陶工、竹屋源十郎を招いたのが始まりとされる。
重頼の兄で高名な茶人
金森重近(宗和)
の指導の下で茶器を焼かせ茶陶として名を馳せたものの、金森家が出羽国に転封されたために僅か20年に廃窯となった。
その後、天保8年、高山の豪商
細江嘉助
平田忠右衛門
により小糸坂の地で復興した。
しかしながら、この窯もわずか数年で廃窯した。
現在の小糸焼は戦後に長倉三朗とその息子、靖邦が綿密な発掘調査の下に復活させたもの。
現在の小糸焼は戦後に長倉三朗とその息子、靖邦が綿密な発掘調査の下に復活させたもの。
小糸焼は独特の作風で知られているが、特に
「伊羅保(イラボ)釉」