天石立神社(あまのいわたてじんじゃ)
奈良県奈良市柳生町の岩戸谷にある神社
戸岩山という小高い山の北麓、標高330メートルの山中にあり本殿を有たず、鎮座する巨岩を直接拝する形態。
『延喜式神名帳』に「天乃石立神社」と記載される式内小社で旧社格は村社にあたる。
扉形に3つに割れた花崗岩の巨岩「前伏磐」、「前立磐」、「後立磐」の3石の周囲の樹間に注連縄を張り廻らしてこれを神体として祀る。
「前立磐」は「神戸(かんべ)岩」とも称すが、他の2岩とともに天岩戸の扉石が落ちてきたものとの伝承がある。
社辺は戸岩谷と称し「一刀石」をはじめとする巨岩、巨石が累々とする景勝地となっている。
一般的に沢庵漬けの考案者と言われている臨済宗の僧
沢庵
沢庵
によって「柳生十景」の一に数えられ、「万年渓」と名付けられた。
ご祭神
*豊磐牖命
前立磐をご神体としており、「天岩立神社」とも称す。
板形、高さ6.0m、幅7.3m、厚さ1.2m。
*櫛磐牖命
後立磐をご神体としており、「天岩吸神社」とも称す。板形。
*天岩戸別命
前伏磐をご神体としており、「天立神社」とも称す。
板形、1.2m、幅約7m、厚さ1.2m。
*天照大姫命
きんちゃく岩をご神体としており、「日向神社」とも称す。
丸形、幅7m、高さ7m。
なお、鎮座地一帯に分布する巨石のそれぞれにも、全て3,123柱の神々が宿るとされる。
場所 奈良市柳生町柳生字岩戸谷789
創建由来
本殿もなく巨岩そのものを神体として崇める自然崇拝が源流。
太古からの祭祀の形態を遺す古社で、創祀の年代などは不詳。
平安時代の『延喜式神名帳』には小社との記録がる。
社伝によれば神代の昔、天岩戸の故事に基づいて創祀されたという。
日本書紀に記載された手力男命が天岩戸を開いた時 にその扉石が当地に飛来したとされ、「神の宮居の戸」の謂いから「神戸岩」とも称したとの伝承がある。
当地一帯は関白藤原頼通の時代に春日大社に神領として寄進された。
その折には神戸岩が鳴動したという。
なお、近世初頭に至るまで皇室に慶事ある度に鳴動を繰り返したと伝わる。
剣豪の柳生宗厳(柳生石舟斎)が当神社で剣術の修行をしており、江戸時代には柳生藩の歴代藩主から崇敬された。
なお、鎮座地後方に聳える戸岩山にかけての到る所にも巨石が見られる。
また、柳生を初めとする奈良市の山間部には巨岩、巨石に対する信仰の形跡が多い。
同じ大柳生町に鎮座する夜支布山口神社の摂社立盤神社等も巨岩上に社を構えている。
場所 奈良市柳生町柳生字岩戸谷789