小菅神社(こすげじんじゃ)
長野県飯山市にある神社
戸隠・飯綱とともに信州三大修験霊場の一つ。
役小角が開山した修験寺院
小菅山元隆寺(こすげざん がんりゅうじ)
が小菅神社の起源とされる。
その後、幾度かの退転と再建を繰り返した後、明治時代の神仏分離により、神社とされた。
ご祭神
*八所権現
主神として小菅権現(摩多羅神)を祀り、さらに熊野、金峰(吉野)、白山、立山、山王、走湯、戸隠の七柱の神々を観請したもの。
創建由来
詳細は不明であるが、伝承によると役小角によって開山された修験寺院・元隆寺が、小菅山の起源とされる。
仏法をひろめるのに諸国を巡っていた役小角が小菅山が神木霊草に満ちた山野のありさまに心を打たれているところに地主神が現れ、この土地が諸神集合の地であり、仏法をひろめるにまさに相応しい地であり、地主神みずからも守護を与えると告げられたという。
このお告げを受けた役小角が祈願に勤しんでいたところ、今度は小菅権現が出現した。
小菅権現は、みずからが馬頭観音の化身であり、仏法の擁護と興隆に力を貸すと告げた。
役小角は、小菅権現を主神とし、併せて熊野・金峯山(吉野)・白山・立山・山王・走湯・戸隠の7柱の神々を勧請した。
坂上田村麻呂が大同年間にこの地を訪れ、八所権現本宮や加耶吉利堂を再建した。
このほか、元隆寺を建立し、諸塔堂を整備したとの言い伝えがある。
戦国時代には、小菅山一帯は、上杉氏の庇護下に置かれた。
上杉謙信の弘治3年(1557年)の願文は、小菅山の由緒に言及し、坂上田村麻呂の名に触れつつ武運を祈念している。
ただ、こうした繁栄も、永禄10年(1567年)の川中島の戦いで敗退した上杉軍を追撃する武田氏の軍勢によって、元隆寺は兵火に遭い本堂を除く堂塔はことごとく焼失した。
その後も兵火にさらされ、元隆寺に常住するものがなく、慶長初年(1600年)頃には完全に廃墟と化し伽藍も田畑や民家、荒野に帰してしまった。
場所 長野県飯山市大字瑞穂内山7103(奥社)