守敏
(しゅびん、生没年不詳)
平安時代前期の僧で出自については不詳。
一般的には守敏僧都(しゅびんそうず)と称されている。
大和国石淵寺の
大和国石淵寺の
勤操
らから三論・法相を学び、真言密教にも通じた。
823年(弘仁14年)嵯峨天皇から空海に東寺が、守敏に西寺が与えられた。
ただ、空海と守敏とは何事にも対立していたとされる。
824年(弘仁15年)の干ばつの時、神泉苑での雨乞いの儀式に於いて空海に敗れたことに怒り、彼に矢を放ったが地蔵菩薩に阻まれたとの伝承がある。
824年(弘仁15年)の干ばつの時、神泉苑での雨乞いの儀式に於いて空海に敗れたことに怒り、彼に矢を放ったが地蔵菩薩に阻まれたとの伝承がある。
これにちなみ現在、羅城門跡の傍らに「矢取地蔵」が祀られている。