イーゴリ・イヴァーノヴィチ・シコールスキイ
(Игорь Иванович Сикорский )
1889年5月25日 - 1972年10月26日
ロシア帝国のキエフ(現ウクライナ)で生まれた航空機のパイオニアのひとりでシコルスキー・エアクラフトの創立者。
飛行機の開発者であり、自身も飛行家でもあったイーゴリは、世界初の4発の大型機の開発をはじめ、多くの新型機を工業後進国であったロシア帝国で生産した。
1917年のロシア革命を受けてアメリカ合衆国へ亡命し、以後ロシアへ帰ることはなかった。
米国において彼は近代的なヘリコプターの開発をおこない、ベルと並んで米国のヘリコプターの代名詞となった。
シュラフタの家系の出身で、正教徒であった父イヴァン・アレクセーエヴィチは心理学の教授、母マリーヤ・ステファーノヴナはロシア人とウクライナ人のハーフで、医師であった。
少年時代から航空機に親しみ、模型飛行機の作成などからはじまり、その面白さにのめり込んでいった。
ロシアの首都サンクトペテルブルクの海軍兵学校に入り、その後当時の航空機研究の最先端の地であったフランスに渡り研究を重ねた。
1909年にロシアに戻ってからヘリコプターの研究を行ったがうまくいかず、転身して航空機の開発において大きな成果をあげることになる。
1913年、世界初の4発機
S-21 ルースキイ・ヴィーチャシ
を初飛行させるとともに世界初の量産4発旅客機
S-22 イリヤー・ムーロメツ
を初飛行させた。
S-22 イリヤー・ムーロメツは第一次世界大戦においては爆撃機として使用された。
1919年、学者であった父が亡くなったのち、工場の技術者たちとともにフランスに亡命した。
戦後、アメリカに渡ったものの、妻のオリガは離婚し、娘たちとともにロシアへ留まった。
彼はニューヨークのロングアイランドにシコルスキー飛行機会社を1923年に設立した。
この年、娘たちがアメリカへ亡命してくる。
1928年、水陸両用の飛行艇S-38を開発した。
これはアメリカ各地で広く使われ、彼とその会社の名を有名にした。
1939年9月14日、コネチカット州にて、シングルローターのヘリコプターVS-300をロープでつないだ状態で飛行させた。
1940年5月13日、VS-300の自由飛行に成功した。
1942年、ヘリコプターVS-316A(開発名XR-4)が軍用としてアメリカ政府に納入した。