金札宮
(きんさつぐう)
(きんさつぐう)
場 所 京都市伏見区鷹匠町8番地
アクセス 京阪電車・近鉄電車の丹波橋駅下車し、西に徒歩5分の位置。
(伏見市役所の北隣にあたるところ。)
京都伏見区でも最も古い神社のひとつで奈良時代の天平勝宝二年(750年)の創建。
京都伏見区でも最も古い神社のひとつで奈良時代の天平勝宝二年(750年)の創建。
境内の中央にあるご神木のクロガネモチは、「かねもち」=「金持ち」に転じることから、金運開運のご神木として親しまれています。
金札宮は、天太玉命(白菊大明神)(あめのふとだまのみこと)、天照大御神、倉稲魂命を祀る神社で、謡曲「金札」ゆかりのお宮さんとしても有名です。
794年、山城国愛宕郡(現京都市)に遷都された第50代の桓武天皇の御世に、天皇が伏見の里に神社建立のため、勅使を遺わされました。
このとき天から金札が降り下り、取り上げてみると
伊勢大神宮の流を絶やさぬため、天津太玉神を祀るように
とのご神託が、金文字で書かれていたと書いてありました。
謡曲「金札」は、この金札の故事を語り天津太玉神が金札と弓矢で君の代と国土を守護し、悪魔を降伏させ、もう弓矢の必要はなくなったと謡っています。
金札宮の御神体の金札と、祭神である天津太玉神と天照大神の守護もあって都の平和は長く続きました。
開運と幸運を呼ぶ神社として永く人々の尊崇を集めている。
由 来
750年大きな流れ星が降る異変があり、第46代の孝謙天皇(女帝で在位749〜758年)がこの現象に深く憂慮された時に伏見久米の里に白菊を植え賞でている翁がおり、「この地に日照りが続き、稲が枯れるような時、私が愛でた白菊の露の一雫より清水が湧き出す」吾は、太玉命で天下の豊秋を喜ぶ。「人々が一度この白菊の露の一雫より、福運が着き、家運は長く隆盛で、子孫繁栄し、火災のわざわいから除かれるであろう」との事。
これをお聞きになった天皇は、事のほか喜ばれ、天皇みずから筆をとられ社殿造営の指示をだされたとのこと。
この社殿建築中に、
「永く伏見に住み国土を守らん」
と書かれた金の札が降り人々が集まって来るうちに、空から声がし
「我こそは天照大神より遣わされた天太玉命なり、
この社殿建築中に、
「永く伏見に住み国土を守らん」
と書かれた金の札が降り人々が集まって来るうちに、空から声がし
「我こそは天照大神より遣わされた天太玉命なり、
我を拝まんとすれば、なお瑞垣(みずがき)を作るべし」
と聞こえたとの話も伝わっている。
また、一説には750年創建で、第56代 清和天皇(在位858〜876年)の頃天皇の命により橘 良基(たちばなよしもと)が阿波国(現の徳島県)より勧請(神仏の分身を他の地に移して祀る事)したとも伝えられています。
伏見で最も古い神社の1ッであると伝えられている。
と聞こえたとの話も伝わっている。
また、一説には750年創建で、第56代 清和天皇(在位858〜876年)の頃天皇の命により橘 良基(たちばなよしもと)が阿波国(現の徳島県)より勧請(神仏の分身を他の地に移して祀る事)したとも伝えられています。
伏見で最も古い神社の1ッであると伝えられている。