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2015年06月05日

チャールズ・ワークマン(Charles "Charlie The Bug" Workman) アイルランドギャング「ダッチ・シュルツ」暗殺の実行犯

チャールズ・ワークマン(Charles "Charlie The Bug" Workman) 
   1908年10月4日 - 1979年1月
 NY市のロウアー・イースト・サイド生まれのギャングスター。
 マフィアの全国委員会のマーダー・インクの殺し屋であだ名は"バグ"と呼ばれた。
 18歳から19歳にかけて窃盗、傷害などの容疑で逮捕され犯罪者の道に進んだ。
 1930年代初めにマフィアのマーダー・インクの雇われ殺し屋となった。
 週125ドルの俸給に加え、暗殺した人間の財布を盗んで小金を稼いでいたと言われる。
 1933年武器の不法所持で逮捕された。
 アイルランド系ギャングのボス
の暗殺の実行犯に選ばれた。
 1935年10月、メンディ・ワイスと共にニューアークのレストラン、パレス・チョップ・ハウスでシュルツを襲撃した。
 襲撃後ワイスが、待たせていた車で先に逃げてしまった。
 そのため、レストランの裏に抜け出して鉄道線路に沿って歩いて帰ったという。
 後年逮捕された2人はシュルツの件に口を閉ざしたが、同僚だったアルバート・タネンバウムが2人のシュルツ殺害やその後の2人の仲間割れを捜査当局に暴露した。
 マーダー・インク担当の検事補によれば、ワイスは先に車で逃げてしまったことをワークマンに責められた。
 ただ、逃げ遅れたのはワークマンのいつもの
   盗み「癖」が原因
だったようで、暗殺した人物から金品を盗むため、トイレで倒れたシュルツの身を物色していたため、逃げ遅れたとワイスは思っていた。
 このためその後喧嘩になったという。
 マーダー・インクに所属し、全国委員会の命令により実行した殺した人数は18人は下らないと言われる。
 1939年微罪で逮捕され、殺人関与で終身刑を宣告された。
 宣告を受けて退廷する際には傍聴席にいた弟に対し「真面目に仕事して暮らせ」と忠告したという。
 また、どうしようもなくなったら国が助けてくれると言ったうえで、非情な社会であるマフィアの仲間にはなるなと告げたとされている。
 1941年トレントンのニュージャージー州立刑務所に収監された。
 模範囚人として1964年特赦で釈放され、23年ぶりに妻や弟と再会した後には堅気となり、ガーメント地区の衣料セールスマンになった。

   
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posted by まねきねこ at 05:03| 愛知 ☔| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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