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2015年06月03日

アルバート・タネンバウム 通称 アリー


アルバート・タネンバウム
    Albert Tannenbaum
      (1906年1月17日 - 1976年11月)


 ユダヤ系ギャングスターのひとりで通称「アリー」と呼ばれた。

 1930年代前半に、イタリア系のラッキー・ルチアーノとユダヤ系のマイヤー・ランスキー などが主導して作り上げたニューヨークの五大ファミリーの固定化を進め、犯罪シンジケートで「縄張り争い」が組織の消耗となり各々のビジネスを損なうという考え方、殺人行為を規律化するため、プロの殺し屋から構成された暗殺専門の執行機関「マーダーインク」の殺し屋のひとり。 


 しゃべりだしたら止まらない話好きで、それが時計の刻む音のように聞こえたので“Tick Tock” というあだ名もある。
 

 ペンシルベニア州で生まれ、幼少時にニューヨーク市マンハッタンのロウアー・イースト・サイドに移住した。


 25歳の時、勤め先の父親が経営するクラブハウスでシャピロ兄弟の
   ジェイコブ・シャピロ
に度胸と腕力を見出され、暗黒街の戦闘員としてマフィアの仲間に入った。


 最初は週給35ドルだったが労働組合ゆすりやスト破りで名を上げ、のちマーダー・インクのヒットマンに名を連ねた。


 最も有名なのは1939年に組織を裏切った友人
   ハリー・グリーンバーグ
の殺害事件で、ロサンゼルスまで追いかけて当時、組織の西海岸代表だった
の立会いで実行されたとされている。


 その後、ブルックリン警察による圧力に耐え切れず、密告者に転じた。


 マーダー・インクのメンバーであるレプキ”ルイス・バカルターや同僚チャールズ・ワークマンらとともにダッチ・シュルツ暗殺を証言した。


 捜査協力の見返りに刑を軽くされ、出所後は過去の殺人事件の証言者としてたびたび証言台に上がるのが記録に残っている。

 釈放後は、保護プログラムでサポートを受けながらアトランタでセールスマンをやっていたという。




    
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posted by まねきねこ at 08:51| 愛知 ☔| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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