三銖 紀元前120年
秦の始皇帝が中国を統一した際、度量衡を統一し経済の活動を活発化させた。
秦の始皇帝が中国を統一した際、度量衡を統一し経済の活動を活発化させた。
各国で使われていた古文銭や刀銭から、外円内方に形状が画一された最初の
秦半両(12銖で8gくらい 一両が24銖)
が鋳造された。
秦朝は2代で滅んだ後、約50年後の漢の文帝がBC175年から四銖半両の鋳造を石范で始めたものの、鋳造技術が未熟であったため、色々な書体で鋳造された。
この四銖半両は久しく流通したものの、民間ではこれを削り取ったり、密鋳したりして四銖に足らない軽い銭が次第に多くなっていった。
そのため武帝は元狩三年に、それまで流通していた半両銭をの鋳造を止め、銭の法定価値と実質価値との一致を図るため、銭重と銭文を一致させた三銖銭を発行した。
この三銖銭については、周郭の無いものもあるが大抵は有輪となっている。
この銭は武帝の意図に反し、思惑通りには市場に普及せず、僅か一年で発行を止めてしまった。
なお、漢書では三銖銭の鋳造年を建元二年としており、同五年に止めたのち、再度四銖半両銭を発行したとの記述がある。