安政丁銀は安政6年12月8日から幕府の命により鋳造が始まり、12月27日(1860年1月19日)から通用開始された丁銀の一種。
江戸幕府最後の秤量貨幣であり政字丁銀(せいじちょうぎん)とも呼ばれる。
表面には大黒像、常是」および「常是、寳」の文字に加えて「政」字の極印が打たれている。
表面には大黒像、常是」および「常是、寳」の文字に加えて「政」字の極印が打たれている。
安政小判と異なり「正」の字を避けたのは宝永年間に特鋳された
宝永正字丁銀
との混同を避けるためといわれる。
なお、「大黒像」極印を12箇所打った祝儀用の十二面大黒丁銀がある。
嘉永6年(1853年)、浦賀沖の黒船来航により幕府は開港を迫られ、日本貨幣と西洋貨幣との交換比率が定められた。
江戸幕府は、1ドル銀貨を双替方式で評価し1ドル=1分であると主張したが、ハリスに押し切られ、1ドル=3分の交換比率を承諾することになった。
江戸幕府は不公平条約を締結させられたため、日本国内における銀との交換比率では金安を意味し、数十万両にも及ぶともいう金貨流出を招く結果となった。
なお、交換比率の不公平を実力で防ぐ目的で、安政小判および安政二朱銀が鋳造された。
なお、交換比率の不公平を実力で防ぐ目的で、安政小判および安政二朱銀が鋳造された。